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楽園の他所者 Stranger in Paradise [歌・詩 ]

煉獄や天使について考えていたのと、歌詞に出てくる "hang suspended" がサミュエル・ピープスの日記の処刑の記述と不気味に響きあったせいかわかりませんがw、トニー・ベネットの歌唱で有名な "Stranger in Paradise" を聞いています。

   ギリシアのピアニストの chopenistis さんの投稿映像(歌は Vasiliki Bratsou さん)――

 
"Stranger in paradise (Kismet)" (2:00): "Δημοτικό Ωδείο Καβάλας 12/6/09
Συναυλία της τάξης μονωδίας της καθηγήτριας Μαρίας Καρατζά με τίτλο
"Τραγούδια Που Αγαπήθηκαν Μέσα Από Τα Musical"
Music: George Forrest
Lyrics: Robert Wright
Φωνή: Βασιλική Μπράτσου
Πιάνο: Λευτέρης Μισιργής
Κάμερα: Στέλα Μισιργή
Voice: Vasiliki Bratsou
Piano: Lefteris Misirgis
Camera: Stela Misirgi"

   "Kismet" というのは1953年ロサンゼルス初演のミュージカルのタイトルです。1911年にロンドンで初演された Edward Knoblock (Edward Gustav Knoblauch, 1874-1945) の芝居 Kismet: An "Arabian Night" in Three Acts を、Alexander Borodin の曲を使って Robert Wright (1914- ) と George Forrest (1915-99) のコンビが詞をつけてミュージカル化し、それがさらに映画化もされました。 

  エドワード・ノブロックというのはニューヨーク市生まれのドイツ系移民ですが、イギリスに帰化したので、英国の劇作家・小説家とされているようです。Kismet (キズメットあるいはキスメット)というのは、Fate とか Destiny を意味するアラビア語に由来するトルコ語・ウルドゥー語だそうで、辞書には《イスラム》アッラーの意志;運命,天命,宿命 などと書いてあります。

  ロシア五人組のひとりであったアレクサンドル・ボロディン (1833-87)の『イーゴリ公』(1869- 未完; 没後1890完成 Prince Igor )におさめられた「韃靼人の踊り」が "Stranger in Paradise" の音楽です。(『イーゴリ公』の映像(訳詩つき)はこちら <http://www.youtube.com/watch?v=ChoRfYn5qP4>)。ボロディンは東スラヴの叙事詩『イーゴリ戦記』をもとにしたのだそうです。ということでアラブやスラヴやアジアやヨーロッパが、東方と西方が、混交して現代にまで至っているのかなあ、としじみ、いやしみじみするクリスマスの日。

 "Stranger in Paradise"

Take my hand,
I'm a stranger in paradise,
All lost in a wonderland,
A stranger in paradise.
If I stand starry-eyed,
That's a danger in paradise,
For mortals who stand beside
An angel like you.
I saw your face
And I ascended
Out of the commonplace
Into the rare!
Somewhere in space
I hang suspended
Until I know
There's a chance that you care.
Won't you answer the fervent prayer
Of a stranger in paradise?
Don't send me in dark despair
From all that I hunger for,
But open your angel's arms
To the stranger in paradise
And tell him that he need be
A stranger no more.
(私の手を取ってください
私は楽園の他所者
不思議の国ですっかり迷子になった
楽園の他所者。
もしも私が夢見るようなまなざしをしているなら
楽園でそれは危険なこと
あなたのような天使のかたわらに
人間が立っていることは。
私はあなたの顔を見
そして私は上へ昇りました
平凡な世界を抜けて
稀有な場所へと!
宇宙のどこかで
私は宙吊りになっています
あなたが好いてくれる運があると
私が知るまでは。
楽園の他所者の
熱い祈りに答えてくれませんか?
私が渇望するすべてから
暗い絶望へと送らないで
あなたの天使の腕を広げてください
楽園の他所者に
そして彼に告げてください
もう楽園の他所者ではないと。)

"starry-eyed" は文字通りには「星のような目をした」ですけれど、idealistic とか romantic とかさらには naive とかいう意味で、OED を見るとマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』の24章がいちおう初例となっています(いちおう、というのは "starry-eyed という言葉自体は2番の「転義」「比喩」のほうにいちおう1928年の "starry-eyed sympathy" というのがカッコつき――不確実という含み――だけど挙がっているからです)――"She had never stood starry-eyed when the Stars and Bars ran up a pole."  "Somewhere in space I hang suspended" と合わせて考えると、天空の星のイメジなんでしょうか。星になっちゃったのかなあ。いやちがうw。地上のラヴソングですよね。
 


"Hedy Lamarr (Stranger In Paradise)" (3:16), posted by "Muirmaiden"

 

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2009年12月27日付記

おまけの先に派生した記事――

「"Stranger in Paradise" の不思議な日本語訳 A Stranger Translation of "Stranger in Paradise"」

「ミュージカル『キスメット』のなかの "Stranger in Paradise" "Stranger in Paradise" in the Musical Kismet (1953)」


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"Stranger in Paradise" の不思議な日本語訳 A Stranger Translation of "Stranger in Paradise" [歌・詩 ]

前の前の記事で適当な訳をつけましたが、英語の詞は春にアメリカで買った Robert Gottlieb and Robert Kimball, ed., Reading Lyrics (New York: Pantheon Books, 2000) という700ページを越す歌謡曲詞集から写しました、WEBサイトのコピペでなくて。カリフォルニア時間の「April 2 2009年4月2日アルバニ(カリフォルニア)の空とユーカリゴマその他 [天気 weather]」で回るユーカリゴマの下にあった本です。あのときは正確な歌詞云々と書きましたが、書き写している途中で、なんだかパンクチュエーションとかヘンな感じがしました(元がそうなのかもしれませんけれど・・・・・)。ベタで、句読点をそのままに、改行しないで行頭を大文字にしないで書き写すと、つぎのようです。――Take my hand, I'm a stranger in paradise, all lost in a wonderland, a stranger in paradise.  If I stand starry-eyed, that's a danger in paradise, for mortals who stand beside an angel like you.  I saw your face and I ascended out of the commonplace into the rare!  Somewhere in space I hang suspended until I know there's a chance that you care.  Won't you answer the fervent prayer of a stranger in paradise?  Don't send me in dark despair from all that I hunger for, but open your angel's arms to the stranger in paradise and tell him that he need be a stranger no more.  あ、いいのか。息が長く、かつ、しつこいのね。
  
  さて、勢いで訳したのですけれど、あとから検索したらいくつか日本語訳が見つかりました。そのなかで、ミュージカルにおける男女のパートの歌をそのまま機械的に訳しているものがあって、興味深かったので、引きます。「Kismet - Stranger In Paradise 日本語歌詞」 <http://lyrics.xydw.com/m/movie/kismet/stranger-in-paradise/ja/>。英語もいちおう機械的に添えておきます。ミュージカルの歌詞についての考察はまたいずれ。
彼女: She
ああ、なぜ、葉を行う Oh why do the leaves
桑の木の Of the Mulberry tree
ささやく異なる今 Whisper differently now
そしてなぜナイチンゲールが歌っている And why is the nightingale singing
桑の弓の正午に At noon on the Mulberry bow
いくつかの最も神秘的な理由 For some most mysterious reason
これは私が知っている庭園ではない This isn't the garden I know
いいえ、楽園の現在の No it's paradise now
これだけの庭された That was only a garden
たった今 A moment ago

彼: He
私の手をください Take my hand
天国で見知らぬ人によ I'm a stranger in paradise
全ての不思議の国では失わ All lost in a wonderland
楽園の見知らぬ人 A stranger in paradise
もし私が星空スタンドアロン目 If I stand starry-eyed
それは楽園の危険がある That's a danger in paradise
人間は人の脇に立つ For mortals who stand beside
あなたのような天使 An angel like you

私はあなたの顔を見た I saw your face
そして私は昇天 And I ascended
を当たり前の Out of the commonplace
にまれな Into the rare
宇宙のどこかで Somewhere in space
私は中断ハングアップする I hang suspended
まで、私は知っている Until I know
そこには、介護チャンス There's a chance that you care

場合は、熱烈な祈りの答えはしない Won't you answer the fervent prayer
楽園の見知らぬ人の Of a stranger in paradise
暗い絶望の中送ってください Don't send me in dark despair
すべてから、私は飢えて From all that I hunger for
しかし、あなたの天使の腕を開く But open your angel's arms
楽園で見知らぬ人には To the stranger in paradise
と彼に言う And tell him
彼が必要とされる That he need be
見知らぬ人以上  stranger no more

彼女:
私はあなたの顔を見た I saw your face
そして私は昇天 And I ascended
を当たり前の Out of the commonplace
にまれ Into the rare

両方: Both
宇宙のどこかで Somewhere in space
私は中断ハングアップする I hang suspended

彼女:
まで、私は知っている Until I know

彼:
私が知っている瞬間ティル Till the moment I know

彼女:
そこには、介護チャンス There's a chance that you care

彼:
そこには、介護チャンス There's a chance that you care

彼女:
場合は、熱烈な祈りの答えはしない Won't you answer the fervent prayer
楽園の見知らぬ人の Of a stranger in paradise

彼:
暗い絶望の中送ってください Don't send me in dark despair
すべてから、私は飢えて From all that I hunger for

両方:
しかし、あなたの天使の腕を開く But open your angel's arms
楽園で見知らぬ人には To the stranger in paradise
そして、私は可能性があります教えてください And tell me that I may be
見知らぬ人以上。  A stranger no more.
  介護チャンスはともかく、ふたりともやっぱり昇天しちゃってるのかなあ、とハッとさせられたことでした。

 


"Thomas Allen/Sarah Fox - Stranger in Paradise" (5:31) posted by "schweitzer006325"


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ミュージカル『キスメット』のなかの "Stranger in Paradise" "Stranger in Paradise" in the Musical Kismet (1953) [歌・詩 ]

なんだかカリフォルニア時間に戻ったような気分で、ミュージカルの詩について考えてみます。

いわゆる「スタンダード」と呼ばれる曲がしばしばそうであるように、"Stranger in Paradise" は verse 部と refrain 部をもっていて、verse 部分は元のミュージカルのコンテクストをrefrain 部以上に想起させるものとなっています。もっともverse を読んだからといって物語がすべて凝縮されているはずもなく、非具体性は残ります。それでもrefrain 部だけ独立して読むよりは、よかれあしかれキャラクターたちの関係、そしてラブソングのコンテクスト、は推測されます。それだけ歌(refrain部分)の抽象化の度合いは減るわけです、よかれあしかれ。

と、なんだかわけのわからない前口上はそれくらいにして、とりあえず、「男女」「彼・彼女」に割り振られた詞を見てみます。歌詞を適当に直して、適当にパンクチュエーションを付加しました。(その前のところに、あとから見つかったのですが、日本人によるすてきなパフォーマンスを)――


"『Le Mani』Vol.1 《Kismet》 Stranger in Paradise" (5:06) posted by "LeMani2007" on July 3, 2009: 「Le Mani旗揚げ公演《Kismet》Stranger in Paradise

Piano1.難波益美、2:横田真弓
Vl.松下あすか
Vo.兎束康雄、守谷由香

Arr.内田塊 」

VERSE 
She:
Oh why do the leaves ああ、どうしてマルベリーの
Of the mulberry tree 木の葉のささやきは
Whisper differently now?  今は違って聞こえるの?
And why is the nightingale singing そして、ナイチンゲールはなぜ
At noon on the mulberry bough?  マルベリーの枝で真昼に歌っているの?
For some most mysterious reason なにかとても神秘的な理由から
This isn't the garden I know.  ここは私の知る庭ではなくなっている。
No, it's paradise now.  いいえ、いまは楽園なの。
That was only a garden  ほんの少し前には
A moment ago.  ただの庭だったのに。

REFRAIN
He:
Take my hand,  私の手を取ってください
I'm a stranger in paradise, 楽園では他所者なのです
All lost in a wonderland,  不思議の国ですっかり迷子になった
A stranger in paradise.  私は楽園の他所者なのです。
If I stand starry-eyed,  夢見るような目で立ちつくしていると
That's a danger in paradise,  楽園では危険なこと
For mortals who stand beside  あなたのような天使のかたわらに
An angel like you.  生身の人間が立っているのは。

I saw your face 私はあなたの顔を見、
And I ascended  凡庸な世界を抜け出して
Out of the commonplace  私は上へ昇りました
Into the rare!  稀有な場所へと!
Somewhere in space  宇宙のどこかで
I hang suspended  私は宙吊りになっています
Until I know  あなたが好いてくれる運命があると
There's a chance that you care.  私が知るまでは。

Won't you answer the fervent prayer  楽園の他所者の
Of a stranger in paradise?  熱い祈りに答えてくれませんか?
Don't send me in dark despair  私が渇望するすべてから
From all that I hunger for, 暗い絶望へと送らないで
But open your angel's arms  あなたの天使の腕を広げてください
To the stranger in paradise  楽園の他所者に
And tell him that he need be  そして彼に告げてください
A stranger no more  彼はもう楽園の他所者ではないと。

She:
I saw your face
And I ascended
Out of the commonplace
Into the rare!

Both:
Somewhere in space
I hang suspended

She:
Until I know

He:
Till the moment I know

She:
There's a chance that you care.

He:
There's a chance that you care.

She:
Won't you answer the fervent prayer
Of a stranger in paradise?

He:
Don't send me in dark despair
From all that I hunger for,

Both:
But open your angel's arms
To the stranger in paradise
And tell me that I may be   そして私に告げてください
A stranger no more.  私はもう楽園の他所者ではないのだと。

  庭のなかの二人の男女が、庭の変貌とともに日常性を脱して恋愛の恍惚境に至るおはなし。でしょうかw。 そこは人間性も剥奪されて天使に変容しうるパラダイスなのでした。

  しっかし。男も女も同じセリフを言い合うのはなんだかなあ。下の短い映像は、デュエットを含む後半部分です。


"Kismet: Stranger In Paradise" (1:30) posted by scrim808.

 

  さて、ミュージカルの物語を少し導入して、コンテクストをよかれあしかれ構築してみます。

61vfq0N-zfL__SS500_.jpg

  2幕からならミュージカル Kismet (1953) において、"Stranger in Paradise" は、第1幕10曲中の7曲目に出てきます。舞台は千一夜物語のころのバグダッド。売れない詩人Haji は美しい娘のMarsinah を伴って詩を民衆に売ろうとする ("Rhymes Have I") がまったく売れず、バザールのオレンジを盗んでこいと娘は父に言われます。乞食のあいだに入って物乞いを始める詩人をほんとうの乞食たちが非難すると、自分は乞食仲間で行方不明になっているHaji のいとこなのだと詩人は言い訳する。詩人の物乞いは魔術的な言葉の力を持っていて、金が手に入り、詩人は運命をたたえる歌を歌う("Fate")。そのとき砂漠からやってきたHassen-Benが、彼をHaji と思って誘拐します。詩人は山賊のJawan のもとへ連れて行かれますが、そこで、Haji が15年前に呪いをかけたために息子が行方不明になっているJawan の話を聞き、金貨100枚で呪いを解くことを約束します。ううむ。話が長いですね。詰めます。オレンジを盗んだ果物売りから追いかけられたMarsinah ですが、そこへ金をもった父親の詩人が戻ってきて、商人に金を渡し、また大金の半分を娘に与えます。商人がMarsinah を美しく着飾らせます("Baubles, Bangles and Beads" )。そこへお忍びで、街に出ていたカリフがやってきて目を留め、Marsinah に一目ぼれして後をつけます。実は、カリフは借金を返すためにAbabu の王の3人の娘のいずれかと結婚せねばならない羽目におちいっています。Marsinah は美しい庭のある小さな家を見つけて、その家を買って、父と娘で住もうと考えます。Marsinah が庭を賛美しているところへカリフが忍び入り、庭師のふりをして娘に自己紹介します。その場で恋に落ちるふたり("Stranger in Paradise)。ふたりは月の出に庭で会うことを約束して別れます。

  と、読んでいただいても、特に歌の理解が深まるわけではないかもしれませんw。逆に言うと、歌は必ずしもミュージカルのプロットに完全にガッチガチに合致していないのではないか。とも思えます。半年以上前に考えて前のブログに書きとめていたことをまた書きとめておきます(ほんとはコピペ)――

ひとつはミュージカルの歌詞について(*)、というか、結局、歌詞について。ほとんど本人ぐらいしか覚えておらないと思うのですけれど、ハナシの元は「おおスザンナ」の歌詞の受容なのですが、いったい歌詞というのは音楽(というより歌曲)にとってどれほど重要なのか、という問題をはらんでいます。書きだしたついでに書いておくと、フォスターはヴァース+リフレイン形式を出して、その後の歌謡曲に先駆けるところあり、だとすれば、ミュージカルにおける歌詞の変奏についても示唆的なものをもったのではないか思われます(たぶん)。「おおスザンナ」の問題には、ミンストレルショーという舞台を離れて曲がひとりだちしたときに、歌詞に何が求められるか、どう理解されるか、ということが含まれていると思われます。既に書いたように、歌詞の3番だかでは話者は自分のことを "this darkie" と呼んでおり、普通には「私」=黒人という歌の物語の世界が追認されるわけですし、この歌の歌詞は一人称の物語を語っていて(まあ、その中に夢の物語も枠として入っているけれど)、だから、簡単に言うと、たいへん特殊な状況を特定の人が歌っているわけです。それを芝居ではなくて(つまりミンストレルで黒人のなりをした白人が演じるのではなくて)日常の空間でふつうの人が歌うときって、どうなるんだろう、という、たいへん素朴といえば素朴な話です。

  いっぽう、アイラ・ガーシュウィンは、実は、バラバラの歌曲の寄せ集めではなくて、ひとつのミュージカルの物語やプロットに相互に関係づけられた統一のある作詞を行なったほとんど最初の人として位置づけられています(急いで付け加えておきますが、これも既にみたように、ボツになった歌を改編してのちのミュージカルで使用するとかはしょっちゅう行なってはいますけれど、まあ、考えてみれば男女の物語というのがミュージカルであれなんであれ物語の基本だから、愛や恋の歌は再使用可能だし、だからこそ特殊な物語状況があっても他の人に歌われ、かつ共感を呼ぶわけでしょうが)。けれどもアイラ・ガーシュウィンのこの努力は、ひとつの歌の自律性、といったらいいだろうか、をヘタをすると損ないかねないかもしれないですよね。その歌がミュージカルの中で置かれたコンテキストが歌詞の意味を左右するからです。
(*) September 15 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (1)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (1)にはじまる September 26 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (1 1/3)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (1 1/3) の3分の1つづきのSeptember 27 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (1 2/3)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (1 2/3)の3分の1つづきのOctober 3, September 30 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (2)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (2)のつづきの October 4 ミュージカルの歌詞というもの(上)――アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (3)  On Musical Lyrics: " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (3) のつづきのOctober 8, 19 『ファニー・フェース』 (1927) のプロット I ――ミュージカルの歌詞というもの(下の1)――アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (4)  On Musical Lyrics: " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (4)のつづきの October 20 『ファニー・フェース』 (1927) のプロット II ――ミュージカルの歌詞というもの(下の2)――アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (5)  On Musical Lyrics: " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (5) のつづきのOctober 21 『ファニー・フェース』 (1927) のプロット III ――ミュージカルの歌詞というもの(下の3)――アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (6)  On Musical Lyrics: " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (6) あたりでとまって、メイポールやルネサンスフェアのほうへ話が広がってしまったのでした。ああ、そうだ。ジェンダー問題が底流としてあったのでした。

(「March 28-29 短い文 (ポーの『マージナリア』から) 付 ミュージカルの歌詞についての雑感 [歌・詩]」)

  何も思考は進歩しておらない自分がいます。がっくし。ただ個別の事例で反復しているだけですね。デモ人間というのはそういうものなのだという気もします。

  この歌についても例の『ジャズ詩大全』(私的情報)におさめられていることを知りました(第2集)。膨大な『大衆音楽徒然帖』はいつのまにかすっかりリンクが切れてしまったみたいで、断片的な引用を引証します――「mirukoの時間 ココログ: STRANGER IN PARADISE」 (2006.2.4)<http://blog.livedoor.jp/miruko1/archives/50159551.html>。主旨のひとつは(村尾陸男の訳にある「旅人」がJRのCM と響きあっているということですが、英語の原詞に別に「旅」の要素はないです。物語のカリフも旅人ではない。けれども、そんなふうに(どんなふうにか)人は歌にいろんなイメジを自由に重ねるものなのでしょう。し、この歌の場合は曲自体が、それこそ「異邦人」的な東西融合ないし東西の境の想像のオリエントみたいなものを喚起して、(『あしながおじさん』の)ジュディーが言うところの wanderthirst を駆り立てるところがあるのやもしれません。

Kismet(1930).jpg
Kismet (1930)

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Kismet (1944)

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Kismet (1953, musical)

Kismet(1955).jpg
Kismet (1955)

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Le Mani <http://mani.rakurakuhp.net/> 〔Le Mani. 2007年3月に武蔵野音楽大学出身のピアニスト10名が集い結成された〕

Le Mani通信 <http://blog.livedoor.jp/lemani/> 〔Le Maniの情報案内ブログ〕


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ストレンジャー・イン・パラダイスふたたび Stranger in Paradise Again [歌・詩 ]

ふたたび、といってもふたたびリクツをこねるつもりはさらさらなく、ただ、年末の一連の記事――「楽園の他所者 Stranger in Paradise」~「ミュージカル『キスメット』のなかの "Stranger in Paradise" "Stranger in Paradise" in the Musical Kismet (1953)」――を書いた後、オリエンタル(といってもヨーロッパ的オリエンタリズム的オリエンタル)な舞台の映像が見つかったのと、なんだかJRのコマーシャル(といっても、去年のいまごろ、カリフォルニアにいて知らなかったのですが、テレビで流れていたと聞いていました。案の定というかサラ・ブライトマンではなくてトニー・ベネットの歌唱ですね)がこのごろテレビでまた流れているみたいで思い出したのとで、あらためて訳詩を少し変え、ならべかえて、貼っておきます。


"KISMET- Stranger in Paradise-Mouhamed Kandil" (5:00) posted by "dramatico25": "Phoenix Productions- 1999 Count Basie Theater."

3分過ぎくらいに、男(庭師に変装したカリフ)は庭の壁の外に出て、「今宵月の出に At moonrise」と女(マルシナー)と約束を交わしますが、女が庭の中でひとり歌いだすと、またぞろ庭に戻ってきてデュエットします。まっことミュージカルですw。パラダイスが語源的に para (壁) プラス dise (まわりに) というのを少し想起させる庭園ですかね。

VERSE 
SHE (MARSINAH):
Oh why do the leaves 
Of the mulberry tree 
Whisper differently now?  
And why is the nightingale singing 
At noon on the mulberry bough?  
For some most mysterious reason 
This isn't the garden I know.  
No, it's paradise now.  
That was only a garden  
A moment ago.  
(ああ、どうしてマルベリーの 木の葉のささやきは 今は違って聞こえるの? そして、ナイチンゲールはなぜ マルベリーの枝で真昼に歌っているの? なにかとても神秘的な理由から ここは私の知る庭ではなくなっている。 いいえ、いまは楽園になっている。 ほんの少し前には ただの庭だったのに。)

REFRAIN

HE (CALIPH):
Take my hand,  
I'm a stranger in paradise, 
All lost in a wonderland,  
A stranger in paradise.  
If I stand starry-eyed,  
That's a danger in paradise,  
For mortals who stand beside  
An angel like you.  
I saw your face 
And I ascended  
Out of the commonplace  
Into the rare!  
Somewhere in space  
I hang suspended  
Until I know  
There's a chance that you care.  
Won't you answer the fervent prayer  
Of a stranger in paradise?  
Don't send me in dark despair  
From all that I hunger for,
But open your angel's arms  
To the stranger in paradise 
And tell him that he need be 
A stranger no more 
(私の手を取ってください 楽園では他所者なのです 
不思議の国ですっかり迷子になった 私は楽園の他所者なのです。
夢見るような目で立ちつくしていると 楽園では危険なこと 
あなたのような天使のかたわらに 生身の人間が立っているのは。
私はあなたの顔を見、凡庸な世界を抜け出して 
私は上へ昇りました 稀有な場所へと! 
宇宙のどこかで 私は宙吊りになっています 
あなたが好いてくれる運命があると 私が知るまでは。 
楽園の他所者の 熱い祈りに答えてくれませんか? 
私が渇望するすべてから 暗い絶望へと送らないで 
あなたの天使の腕を広げてください 楽園の他所者に 
そして彼に告げてください 彼はもう楽園の他所者ではないと。)


SHE:
I saw your face
And I ascended
Out of the commonplace
Into the rare!
(私はあなたの顔を見、
凡庸な世界を抜け出して 
私は上へ昇りました 
稀有な場所へと!)

BOTH:
Somewhere in space
I hang suspended
(宇宙のどこかで 
私は宙吊りになっています )

SHE:
Until I know
(私が知るまでは)

HE:
Till the moment I know
(私が知る瞬間まで)

SHE:
There's a chance that you care.
(あなたが好いてくれる運命があると)

HE:
There's a chance that you care.
(あなたが好いてくれる運命があると)

SHE:
Won't you answer the fervent prayer
Of a stranger in paradise?
(楽園の他所者の 
熱い祈りに答えてくれませんか?)

HE:
Don't send me in dark despair
From all that I hunger for,
(私が渇望するすべてから 
暗い絶望へと送らないで)

BOTH:
But open your angel's arms
To the stranger in paradise
And tell me that I [he/she]* may be  
A stranger no more.  
(あなたの天使の腕を広げてください 
楽園の他所者に
そして私に告げてください
〔彼/彼女〕はもう楽園の他所者ではないのだと。)

  最後のふたりのデュエットのなかの stranger の指示が、最初の男のリフレインの "him" から "me" に変わっているくらいで、あとは(というよりここも含めて)リフレイン部の歌詞は男女平等で差異がほぼないのでした。

  *17時11分追記――聞き直したら、この舞台では、女は "he"、 男は "she" と歌っていました。/10日17時18分追記――もう一回聴き直したら、女がshe、男がhe と歌っているようです。つまり自分のことです。ついでに書きますと、女がヴァースで、まるでパラダイスのよう、と言ったのに合わせて、男が楽園の天使に女をたとえる、それから今度は女のほうも男を天使のような存在と見る、という展開ですか。

  男の最初のリフレインの最初の天使 (angel) と人間 (mortal) の違いはどこへ?? ここは女声は反復しないままにあいまいにするわけでしょうか。

  それでも最後にふたりとも互いに "your angel's arms" (あなたの天使の腕)を広げて、と訴えています。そうなると、「楽園の天使」という常套的な、しかし宗教的なイメジは、二重に世俗化・人間化されて、人間的な人間のヴィジョンとなっているわけですね。(あ、リクツをこねちゃたw)

  もうひとつ、Mina のなまめかしい歌と踊りを――


"Mina - STRANGER IN PARADISE da "KISMET"" (1:14) posted by"M1lleluci": "Mina, rievocando il musical, si esibisce in "Stranger in paradise" tratto dallo spettacolo "Kismet" durante Milleluci nel 1974"

   おまけに1955年の映画の予告篇(カリフ役は Vic Damone)――


"Kismet - Original Trailer 1955" (4:32)

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イタコのイタロウ Itaro of Itako 潮来の伊太郎 [歌・詩 ]

モーリちゃんとモーリちゃんの母がモーリちゃんの母の実家にしばらく帰っていて、モーリちゃんの父はモーリちゃんの祖父祖母と一緒にしばらく夕食を共にしていたのだけれど、週末の夜につづけてNHK(ナツメロ)とフジテレビ(こっちはモノマネ)で、「潮来の伊太郎」を聞いたので、長年の疑問をモーリちゃんの父はモーリちゃんの祖父にぶつけてみた。

  「ちょっと見なれば」というのは、いわゆる已然仮定というやつなんすかね? 〔Cf. 「已然形」Wikipedia〕、ちょっと見「ならば」、じゃなくて、「なれば」?

  ちなみに、「已然仮定」という用語を「未然仮定」(えーと、潮来でいうなら「ちょっと見ならば」だったら未然形の未然仮定)という用語とともに学んだのは比較的最近で、美人のホマレたかい同僚のKKが就職したときに、彼女の出身校の校歌だかなんだかで、聖書の「求めよさらば」、「求めよされば」という対があって、それぞれを未然・已然という仮定として習ったとかなんとかいうふうに教えられたのだった。

  モーリちゃんの祖父(モーリちゃんの父の父)からは回答を得られず、「さぁー? つづきは?」と、歌詞の先を再三訊かれ、知らんがな、と酔ったアタマで考えながら、いっぽう思いはゲゲゲの鬼太郎とか、恐山のイタコ(中学生のころイタローはイタコだったのか、とマジに考えた時期があった)とか、Oh!モーレツ♪ア太郎とか、あらぬ方向へチャネリングしていたのでした。

  「潮来の伊太郎」 (1960) 作詞・佐伯孝夫 作曲・吉田正 goo音楽 <http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND13850/index.html>

  ま、続く歌詞を検討しても、答えはでてきませんな。それでいいのさ~♪ 〔2010.8.26深更記――と書いて平然としていましたが、リス姉さんとの応答(コメント)によって、どうやら自分的には歌詞の物語の中に問題を回収してしまいました、なぜか〕

  歌詞検討メモ

1.  「この歌の替え歌を大学入試の門に掲げ、母校の受験生を励ました安保闘争真っ只中の先輩たち。♪飯田校[高?]の飯太郎ちょっと見なれば、鈍才そうな田舎猿・・・・・・」 <http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-itakogasa.html>

2.  「♪イタ公のスタローンちょっと見なれば~」 『コンスタンチン君』<http://bhn.jpn.org/doctor/konstantin.html>

3. 以下  省略

 

  佐伯孝夫と吉田正コンビの作詞・作曲で橋幸夫が歌というと、翌1961年の吉永小百合とのデュエット「いつでも夢を」、1962年の「江梨子」(「野菊」が出てくるところが水郷つながりか?)、1963年の「舞妓はん」、1964年の「恋をするなら」と続いていくのだけれど、・・・・・・うーむ、基本バラバラですな。

 


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イタコのイタローホイ Itaro of Itako, Hoy 潮来の伊太郎補遺 [歌・詩 ]

(1)  「潮来笠」と呼ばれる菅笠(スゲガサ) があったわけでも、ある(歌唱ヒット後も)わけでも、ないようですが、水郷潮来地方の菅笠として、「あやめ笠」の名で継承されているものがあります。――

・「あやめ笠[発見!!いばらき] <http://www.pref.ibaraki.jp/discover/craft/east/01.html>――

元来は潮来の水郷地帯の農作業には欠かせない日除け、雨よけのすげ笠であった。現在は、幸せを招く郷土の民芸品として作られている。

かつては農作業の必需品

あやめ笠利根川下流のデルタ地帯・潮来地方は、水郷地帯としても知られる早場米の生産地である。い草で編んだすげ笠は、水郷地帯での農作業には欠かせない装身具で、日除け、雨よけ、さらには悪事災難を避け身を守る笠として使用されてきた。現在は帽子の普及で笠をかぶる人はいなくなったが、幸せを招く民芸品として作られている。

「潮来笠」で一躍有名に

潮来(いたこ)の笠は、昭和30年代に歌手の橋幸夫が歌った「潮来笠」で一躍有名になった。「あやめ笠」の名は、あやめが潮来の野の花であり、笠の形もあやめに似ていることに由来する。100万株ともいわれるあやめが咲き競う風景は、「潮来出島(いたこでじま)の真菰(まこも)の中に、あやめ咲くとはしおらしや」と約300年前の民謡にも歌われている。「あやめ笠」の復活は、すげ笠姿の農民があやめの野に溶け込む風景を思い起こさせてくれる。い草を切断し、手作業で一つの束にする。中心に芯を入れ、「ぼっち」という突起を作る。い草を編み込み、竹ひごを入れながら「ふち編み」をする。

製造工程

  • 裁断→
  • ぼっち作り→
  • 編み込み→
  • ふち編み→
  • 仕上げ」 〔茶色部分コピペしそびれてました―22:20記〕

 

・「あやめ笠:茨城県潮来市 水郷潮来観光ガイド」<http://www.city.itako.lg.jp/kanko/tokusanhin/tokusan01/index.html>――

 水郷情緒豊かなサッパ舟を操る娘船頭の風情というと、紺ガスリと菅笠(あやめ笠)に象徴されています。い草を編んだあやめ笠は、早場米地帯として知られる当水郷地方では、古くから農作業には欠かせない必需品で、日よけや雨よけの農具として、更には悪事災難を避け常に身をまもる笠としてこの水郷地方では大切にされてきました。
   以前は、婚礼の際に花嫁を迎えるときに花嫁の頭にこのあやめ笠をかぶせて災難をよけ、生涯夫婦仲良く幸せにとの願いを込めた行事もあります。
  しかし、近年になって帽子等が急速に普及したことに伴い、あやめ笠の需要も極端に少なくなり、あやめ笠を編む人も少なくなってきていました。
  このような中、この伝統ある民具である『あやめ笠』を後世に伝承をして行くために、潮来市シルバー人材センターのメンバーが中心となり、このあやめ笠を伝承していくための組織を構成し、毎年行われている『あやめまつり大会』においてあやめ笠の物産販売を行っており、平成8年にはこのような活動が評価され「茨城県郷土工芸品」の指定も受けております。 」

(2) 映画(1) 橋幸夫が主題歌を歌いながらも端役で出る映画『潮来笠』の封切りは1961年大映 <http://movie.goo.ne.jp/movies/p20107/story.html>。いっぽう東映では、1961年に『あやめ笠――喧嘩街道』 <http://movie.goo.ne.jp/movies/p23052/comment.html>、1962年に続篇『男度胸のあやめ笠』 <http://movie.goo.ne.jp/movies/p20741/comment.html>が出ています。東映対大映映画という菅笠抗争があったのかしら。

(3)  潮来に建っている伊太郎像は菅笠をかぶった伊太郎が描かれています。モーリちゃんの父に浮かんだ笠のイメジも最初は男(渡り鳥)のものでしかありませんでした。
itakogasa-HashiYukio-utakara.jpg
「菅笠」というと、現菅総理がむかしお遍路さんになったときに被ったようなものも含まれます――たとえば、「菅笠・ひのき笠・網代笠・巡拝帽子」<http://www.eitikai.co.jp/sugekasa-boushi.htm>――。

(4)  ドラマと映画 (2)  伊藤左千夫の小説『野菊の墓』のドラマ・映画化――
1955年 映画『野菊の如き君なりき』 監督:木下惠介、出演:田中晋二、有田紀子、杉村春子、田村高廣、笠智衆
1959年 ドラマ『野菊の墓』 出演:中村萬之助、夏川静江、津村悠子、神山繁
1961年 ドラマ『野菊の如き君なりき』 出演:久保賢、宮裕子
このころ水郷ブームみたいのがあったのかしら。――花村菊枝の歌謡「潮来花嫁さん」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BD%AE%E6%9D%A5%E8%8A%B1%E5%AB%81%E3%81%95%E3%82%93> は1960年4月でした。

  個人的には、大学1年生の初夏に、友だちに誘われて、野郎だけで水郷に舟を浮かべて遊んだのが懐かしい思い出です。女船頭さんだったかどうかも覚えていませんが、待合の鄙(ひな)びた感じと、舟が特に狭い水路を進んでいくときの両岸から張り出した植物の緑の様子はおぼろげに思い起こされます。

  それ以前・・・・・・高校の英語の先生に、『野菊の墓』を読んで泣くようでなければ文学は語れないみたいなことを言われたような言われないような・・・・・・それで、中学生のときに友人から借りたまま読まずにいた本を読んで、無理に高校時代に泣いたような気もしますが、結局無理しなくても泣いたのかもしれません。若いころは屈折していました。

 


水郷潮来 嫁入り舟

  花嫁があやめ笠を被っているというのではないのですか。『野菊の墓』の記憶は文章でも映像でも(山口百恵でも松田聖子でも)記憶はなく。


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ポーの言葉の中にレノーアを探していた――宇多田ヒカルとポー (1) I Was Searching for My Lenore in the Words of Mr. Edgar Allan Poe: Utada Hikaru and Poe (1) [歌・詩 ]

・・・・・・これを求めて私は生き続けてるのかな、と思う。
想像を超えて素晴らしいものが返ってくる、想像を絶するほどの恐怖や大惨事がふりかかる。
どっちでもいいから、私には必要。――宇多田ヒカル 「
想像を絶するもの」『Message from Utada Hikaru / Hikaru』  

  8月末に中学校の同級会があって、その2次会のカラオケで初めて宇多田ヒカルを歌った。「ウタダってむずかしいよね」「え、これ初めて歌うんだよ」「これ彼が好きな女優のドラマの主題歌だから」「え、誰それ」「・・・・・・」

  閑話休題(はやいw)。いや、なんかよく覚えていないけれど、人間活動とかをすると休養宣言した宇多田ヒカルがポー好きなんだという話をして、じゃ、帰ったらブログに書くから、とかなんとか言って、でも朝の5時まで歌っていたのでカエルなり死んだようになって(ゲロゲーロ)、ブログを書く余裕はなかった(つーか、それなりに考えなければ簡単には書けまへんがな)。

  まー、月並みなところから入ります。あ、そのまえに、宇多田ヒカルは1月19日の生まれで、1809年1月19日に生まれたエドガー・アラン・ポーと同じ誕生日です。このことは意味があるように彼女には思われるということはあるかもしれない。ちなみにモーリちゃんの父はフランスの詩人ステファヌ・マラルメが亡くなった1898年9月9日のウン十年後の9月9日に生まれました。若いころモーリちゃんの父は、自分にはマラルメの魂が転生していると信じて詩作に耽っていたのです。

  閑話休題Pt. 2。宇多田ヒカルは尊敬する作家とか芸術家とか(あ、みんな作家か――画家だって作家なんですよね)好きな作品とか、かねて公表してきていて、そーですねー、たとえば、WEBに残っている古い資料だと、nikkei BPnetの1999年の暮れの「宇多田ヒカルのパーソナルデータからビジネス記録まで大公開! ! - ニュース」 <http://www.nikkeibp.co.jp/archives/087/87987.html> の「パーソナルデータ」(これは『日経エンタテインメント!』2000年1月号の特集「宇多田ヒカルパーフェクトアクセスBOOK」とシンクロしていると思われます――

宇多田ヒカルPERSONAL DATA】

本名
宇多田ヒカル(うただ・ひかる)
生年月日 1983年1月19日、ニューヨーク生まれ。16歳。
身長 158cm
血液型 A型
趣味 読書、絵描き、人間観察、仮眠、ライブやテレビ出演のパス集め、瞑想、Eメール
特技 バスケ、左足の小指の独立動作、手抜き、ごまかし
好きな映画 「ショーシャンクの空に」「ジョー・ブラックをよろしく」「ゴッドファーザーPART2」「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」「バグダッド・カフェ」「天国から落ちた男」
好きな作家と小説 中上健次「異族」、芥川龍之介「羅生門」「河童」、川端康成「感情装飾」、森鴎外「高瀬舟」、夏目漱石「こころ」、宮沢賢治(詩集)、ロアルド・ダール「More Tales of the Unexpected」(←短編集で邦訳はまだされていない)、S.シルヴァスタイン「歩道の終わるところはどこ」「屋根裏の明かり」、エドガー・アラン・ポー、 エリ・ウィーゼル「夜」、ジョン・ベレント「真夜中のサヴァナ」、F・スコット・フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」
好きなアーティスト ベイビーフェイス、ブラックストリート、ジャネット・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、アース・ウィンド&ファイアー、チャカ・カーン、ミニー・リパートン、フレディ・マーキュリー(クイーン)、スラッシュ(ガンズ&ローゼズ)、ジョー、ローリン・ヒル、NAS、メアリー・J.ブライジ、マックスウェル、2パック、ガービッジ、尾崎豊、GLAY

  渋い。中上健次が先頭だぜ。フォークナーを読ませてあげたいw。で、ポーだけ作品がなくて作家名だけ、というのが特別扱いのしるしかと。

  月並みなところから、ということでした。

  誰もの目に留まるのは、Utada 名義のアルバム『EXODUS』所収の作品 "Kremlin Dusk" におけるポーの詩 The Raven への言及です。

All along I was searching for my Lenore
In the words of Mr. Edgar Allan Poe
Now I'm sober and "Nevermore"
Will the Raven come to bother me at home

  と、ここでモーリちゃんの思考はあらぬほうへ向かい、いったいなんで "my Lenore" と話者(語り手、歌い手)は呼ぶのかしら、と疑問がむくむくと。レノーアは詩『大ガラス』の話者(男)の恋人(女)の名前です。音に極端にこだわったポーの詩において、この女性の名前自体、nevermore と韻を踏むべく選ばれたところがありますが、もうひとつの理由は Lenore がポーの短篇小説の "Eleonora" とか他の詩 "To Helen" や"To Lenore"に反復されるように、ギリシアの美女 Helena の異形であることにかかわると思います(「美女の死」というのはポーが美的に好んだモティーフでした)。

  それで、なんで "my" なのかは考え中ですけれど、ポーの他の作品の言葉の中に Lenore を探すというのではなくて、エドガー・アラン・ポーという言葉の中に Lenore を探してみる、というふうに思いつきがむくむくと起こりました。なぜかはわかりません。突然のヒラメキ、というのが人生にはあるのです。結果あんまり意味がないとしても。わしって天才かしら。

edgar allan poe

edgar aLlan poe

Edgar aLlan poe

Edgar aLlaN poe

Edgar aLlaN pOe

EdgaR aLlaN pOe

EdgaR aLlaN pOE

   ま、不正解だなーw。 

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Hikki's WEBSITE [1999-2004] <http://www.emimusic.jp/hikki/>

Message from Utada Hikaru / Hikaru <http://www.u3music.com/top.html> 〔 「これは言っておかねば」(2010.8.11); 「久しぶりの大事なお知らせ」(2010.8.9)〕

Hikaruの本棚 <http://www008.upp.so-net.ne.jp/library/hikki_favorite_books.htm>

ポーの"大鴉"を題材にとった、Utada「Kremlin Dusk」を聴く。 」『男色系男子』 2010.7.23 <http://masafiro1986.blogspot.com/2010/07/utadakremlin-dusk.html>

Edgar Allan Poe The Raven エドガー・アラン・ポー「大鴉」 i_訳 」『無意識日記
宇多田光 word:i_』 2008.9.7 <http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/564b9402709c8441e188407e5115c72a>

オレの歌詞和訳

エディタ・コミュニティ(edita)ベータ - 宇多田ヒカル(ヒッキー)の応援団 Kremlin Dusk: 英語・日本語・画像 <http://community.edita.jp/c_topic_show/c-497ec470ccedb/t-4994ef90c5053> 〔どなたの訳か知りませんが、同じ訳がいくつもでまわっており。え、"In the words of Mr. Edgar Allan Poe" は、「エドガーアランポーの言葉を引用するならば」と、つぎのセンテンスの冒頭のフレーズなのか~。そうかも~(漠爆)。〕

/////////////

视频: 宇多田光——Utada United演唱会 (C)

キャバDEEP - AIKO

音乐Kremlin Dusk 宇多田光.-.[UTADA.UNITED.2006].演唱会

 


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すべての子供が知っておくべき詩 Poems That Every Child Should Know [歌・詩 ]

バーネットの『白いひと The White People』の献辞に掲げられたジョン・バローズの詩をWEBで探索していたときに出会ったのが、メアリー・エリザベス・バート Mary Elizabeth Burt, 1850-1918 の編んだ Poems That Every Child Should Know: A Selection of the Best Poems of All Times for Young People (初版 1904) でした。

PoemsThatEveryChildShouldKnow(Doubleday1904).jpg

 

  バートというのはイリノイ州の学校の先生をしてからシカゴの教育局に入って、青少年に啓蒙的な古典(プラトンとか)や文学のアンソロジーを編むだけでなく、個別の作家(バローズとかユージーン・フィールドとか)のアンソロジーを編集した女性の文人のようです。

  この本は、現在も例のKessinger が復刻版を出しています。でも Internet Archive に音源もテクストも入っているし、Project Gutenberg でも E-text 化されている。そして、文学史でとりあげられるような詩人だけでなくて、スティーヴン・フォスターの歌謡も入っています(90番の「ケンタッキーの我が家 My Old Kentucky Home」と91番の「故郷の人々 Old Folks at Home」)。Bates の "America the Beautiful" は入ってないけれど、アメリカ国歌は入っています。

  これらの詩を全部知ってる子供がいたら、賢いだろうなあ、と思います。

   六部構成で、全187篇。350ページを超える本です。詩のタイトルのあとに解説が添えられています。ううむ。51番は自分の作品ではないですか。お茶目というか厚顔というか。

PART I  The Budding Moment 
      1. "The Arrow and the Song"    HENRY W. LONGFELLOW
      2. "The Babie"                       JEREMIAH EAMES RANKIN
      3. "Let Dogs Delight to Bark and Bite"  ISAAC WATTS
      4. "Little Things"                    EBENEZER COBHAM BREWER
      5. "He Prayeth Best"               SAMUEL T. COLERIDGE
      6. "Twinkle, Twinkle, Little Star"     ANONYMOUS
      7. "Pippa"                              ROBERT BROWNING
      8. "The Days of the Month"      AN OLD SONG
      9. "True Royalty"                    RUDYARD KIPLING
    10. "Playing Robinson Crusoe"    RUDYARD KIPLING
    11. "My Shadow"                       ROBERT LOUIS STEVENSON
    12. "Little White Lily"                GEORGE MACDONALD
    13. "How the Leaves Came Down"    SUSAN COOLIDGE
    14. "Willie Winkie"                    WILLIAM MILLER
    15. "The Owl and the Pussy-Cat"  EDWARD LEAR
    16. "Wynken, Blynken, and Nod"   EUGENE FIELD
    17. "The Duel"                           EUGENE FIELD
    18. "The Boy Who Never Told a Lie"      ANONYMOUS
    19. "Love Between Brothers and Sisters"     ISAAC WATTS
    20. "The Bluebell of Scotland"       ANONYMOUS
    21. "If I Had But Two Little Wings"    SAMUEL T. COLERIDGE
    22. "A Farewell"                         CHARLES KINGSLEY
    23. "Casablanca"                        FELICIA HEMANS
    24. "The Captain's Daughter"       JAMES T. FIELDS
    25. "The Village Blacksmith"       HENRY W. LONGFELLOW
    26. "Sweet and Low"                  ALFRED TENNYSON
    27. "The Violet"                        JANE TAYLOR
    28. "The Rainbow (a Fragment)"   WILLIAM WORDSWORTH
    29. "A Visit From St. Nicholas"     CLEMENT CLARKE MOORS
    30. "The Star-Spangled Banner"    FRANCIS SCOTT KEY
    31. "Father William"                   LEWIS CARROLL
    32. "The Nightingale and the Glow-worm"     WILLIAM COWPER
PART II  The Little Child
    33. "The Frost"                          HANNAH FLAGG GOULD
    34. "The Owl"                           ALFRED TENNYSON
    35. "Little Billee"                      WILLIAM MAKEPEACE THACKERAY
    36. "The Butterfly and the Bee"   WILLIAM LISLE BOWLES
    37. "An Incident of the French Camp"    ROBERT BROWNING
    38. "Robert of Lincoln"               WILLIAM CULLEN BRYANT
    39. "Old Grimes"                       ALBERT GORTON GREENE
    40. "Song of Life"                     CHARLES MACKAY
    41. "Fairy Song"                       JOHN KEATS
    42. "A Boy's Song"                   JAMES HOGG
    43. "Buttercups and Daisies"     MARY HOWITT
    44. "The Rainbow"                   THOMAS CAMPBELL
    45. "Old Ironsides"                  OLIVER WENDELL HOLMES
    46. "Little Orphans Annie"        JAMES WHITCOMB RILEY
    47. "O Captain! My Captain!"     WALT WHITMAN
    48. "Ingratitude"                     WILLIAM SHAKESPEARE
    49. "The Ivy Green"                 CHARLES DICKENS
    50. "The Noble Nature"            BEN JONSON
    51. "The Flying Squirrel"           MARY E. BURT
    52. "Warren's Address"            JOHN PIERPONT
    53. "The Song in Camp"            BAYARD TAYLOR
    54. "The Bugle Song"               ALFRED TENNYSON
    55. "The Three Bells of Glasgow"   JOHN G. WHITTIER
    56. "Sheridan's Ride"               THOMAS BUCHANAN READ
    57. "The Sandpiper"                 CELIA THAXTER
    58. "Lady Clare"                      ALFRED TENNYSON
    59. "The Lord of Burleigh"         ALFRED TENNYSON
    60. "Hiawatha's Childhood"       HENRY W. LONGFELLOW
    61. "I Wandered Lonely as a Cloud"  WILLIAM WORDSWORTH
    62. "John Barleycorn"               ROBERT BURNS
    63. "A Life on the Ocean Wave"    EPES SARGENT
    64. "The Death of the Old Year"   ALFRED TENNYSON
    65. "Abou Ben Adhem"             LEIGH HUNT
    66. "Farm-Yard Song"               J. T. TROWBRIDGE
    67. "To a Mouse"                     ROBERT BURNS
    68. "To a Mountain Daisy"         ROBERT BURNS
    69. "Barbara Frietchie"             JOHN G. WHITTIER
PART III  The Day's at the Morn
    70. "Lochinvar"                       SIR WALTER SCOTT
    71. "Lord Ullin's Daughter"        THOMAS CAMPBELL
    72. "The Charge of the Light Brigade"    ALFRED TENNYSON
    73. "The Tournament"              SIDNEY LANIER
    74. "The Wind and the Moon"    GEORGE MACDONALD
    75. "Jesus the Carpenter"         CATHERINE C. LIDDELL
    76. "Letty's Globe"                  CHARLES TENNYSON TURNER
    77. "A Dream"                         WILLIAM BLAKE
    78. "Heaven Is Not Reached at a Single Bound"    J.G. HOLLAND
    79. "The Battle of Blenheim"    ROBERT SOUTHEY
    80. "Fidelity"                          WILLIAM WORDSWORTH
    81. "The Chambered Nautilus"   OLIVER WENDELL HOLMES
    82. "Crossing the Bar"              ALFRED TENNYSON
    83. "The Overland-Mail"            RUDYARD KIPLING
    84. "Gathering Song of Donald Dhu"   SIR WALTER SCOTT
    85. "Marco Bozzaris"                FITZ-GREENE HALLECK
    86. "The Death of Napoleon"     ISAAC MCCLELLAN
    87. "How Sleep the Brave"        WILLIAM COLLINS
    88. "The Flag Goes By"             HENRY HOLCOMB BENNETT
    89. "Hohenlinden"                   THOMAS CAMPBELL
    90. "My Old Kentucky Home"     STEPHEN COLLINS FOSTER
    91. "Old Folks at Home"           STEPHEN COLLINS FOSTER
    92. "The Wreck of the Hesperus"   HENRY W. LONGFELLOW
    93. "Bannockburn"                   ROBERT BURNS
PART IV  Lad and Lassie
    94. "The Inchcape Rock"           ROBERT SOUTHEY
    95. "The Finding of the Lyre"     JAMES RUSSELL LOWELL
    96. "A Chrysalis"                     MARY EMILY BRADLEY
    97. "For a' That"                      ROBERT BURNS
    98. "The New Arrival"               GEORGE W. CABLE
    99. "The Brook"                       ALFRED T ENNYSON
  100. "The Ballad of the Clampherdown"   RUDYARD KIPLING
  101. "The Destruction of Sennacherib"   LORD BYRON
  102. "I Remember, I Remember"  THOMAS HOOD
  103. "Driving Home the COWS"    KATE PUTNAM OSGOE
  104. "Krinken"                           EUGENE FIELD
  105. "Stevenson's Birthday"        KATHERINE MILLER
  106. "A Modest Wit"                  SELLECK OSBORNE
  107. "The Legend of Bishop Hatto"  ROBERT SOUTHEY
  108. "Columbus"                       JOAQUIN MILLER
  109. "The Shepherd of King Admetus"   JAMES RUSSELL LOWELL
  110. "How They Brought the Good News from Ghent to Aix"
                              ROBERT BROWNING
  111. "The Burial of Sir John Moore at Corunna"  C. WOLFE
  112. "The Eve of Waterloo"         LORD BYRON
  113. "Ivry"                               THOMAS B. MACAULAY
  114. "The Glove and the Lions"    LEIGH HUNT
  115. "The Well of St. Keyne"       ROBERT SOUTHEY
  116. "The Nautilus and the Ammonite"    ANONYMOUS
  117. "The Solitude of Alexander Selkirk"   WILLIAM COWPER
  118. "The Homes of England"      FELICIA HEMANS
  119. "Horatius at the Bridge"      THOMAS B. MACAULAY
  120. "The Planting of the Apple-Tree"  WILLIAM CULLEN BRYANT
PART V  On and On
  121. "June"                              JAMES RUSSELL LOWELL
  122. "A Psalm of Life"                HENRY W. LONGFELLOW
  123. "Barnacles"                       SIDNEY LANIER
  124. "A Happy Life"                   SIR HENRY WOTTON
  125. "Home, Sweet Home"          JOHN HOWARD PAYNE
  126. "From Casa Guidi Windows"   ELIZABETH BARRETT BROWNING
  127. "Woodman, Spare That Tree!"   GEORGE POPE MORRIS
  128. "Abide With Me"                 HENRY FRANCIS LYTE
  129. "Lead, Kindly Light"             JOHN HENRY NEWMAN
  130. "The Last Rose of Summer"     THOMAS MOORE
  131. "Annie Laurie"                    WILLIAM DOUGLAS
  132. "The Ship of State"              HENRY W. LONGFELLOW
  133. "America"                           SAMUEL FRANCE SMITH
  134. "The Landing of the Pilgrims"   FELICIA HEMANS
  135. "The Lotos-Eaters"              ALFRED TENNYSON
  136. "Moly"                               EDITH M. THOMAS
  137. "Cupid Drowned"                 LEIGH HUNT
  138. "Cupid Stung"                    THOMAS MOORE
  139. "Cupid and My Campasbe"     JOHN LYLY
  140. "A Ballad for a Boy"              ANONYMOUS
  141. "The Skeleton in Armour"      HENRY W. LONGFELLOW
  142. "The Revenge"                    ALFRED TENNYSON
  143. "Sir Galahad"                      ALFRED TENNYSON
  144. "A Name in the Sand"           HANNAH FLAGG GOULD
PART VI 
  145. "The Voice of Spring"            FELICIA HEMANS
  146. "The Forsaken Merman"         MATTHEW ARNOLD
  147. "The Banks o' Doon"             ROBERT BURNS
  148. "The Light of Other Days"      THOMAS MOORE
  149. "My Own Shall Come to Me"   JOHN BURROUGHS
  150. "Ode to a Skylark"                PERCY BYSSHE SHELLEY
  151. "The Sands of Dee"              CHARLES KINGSLEY
  152. "A Wish"                             SAMUEL ROGERS
  153. "Lucy"                                WILLIAM WORDSWORTH
  154. "Solitude"                            ALEXANDER POPE
  155. "John Anderson"                    ROBERT BURNS
  156. "The God of Music"                EDITH M. THOMAS
  157. "A Musical Instrument"          ELIZABETH BARRETT BROWNING
  158. "The Brides of Enderby"         JEAN INGELOW
  159. "The Lye"                             SIR WALTER RALEIGH
  160. "L'Envoi"                               RUDYARD KIPLING
  161. "Contentment"                       EDWARD DYER
  162. "The Harp That Once Through Tara's Halls"   THOMAS MOORE
  163. "The Old Oaken Bucket"          SAMUEL WOODWORTH
  164. "The Raven"                          EDGAR ALLAN POE
  165. "Arnold von Winkleried"           JAMES MONTGOMERY
  166. "Life, I Know Not What Thou Art"     A. L. BARBAULD
  167. "Mercy"                                  WILLIAM SHAKESPEARE
  168. "Polonius' Advice"                    WILLIAM SHAKESPEARE
  169. "A Fragment from 'Julius Caesar'"    WILLIAM SHAKESPEARE
  170. "The Skylark"                          THOMAS HOGG
  171. "The Choir Invisible"                GEORGE ELIOT
  172. "The World Is Too Much With Us"    WILLIAM WORDSWORTH
  173. "On His Blindness"                   JOHN MILTON
  174. "She Was a Phantom of Delight"     WILLIAM WORDSWORTH
  175. "Elegy Written in a Country Churchyard"    THOMAS GRAY
  176. "Rabbi Ben Ezra"                     ROBERT BROWNING
  177. "Prospice"                              ROBERT BROWNING
  178. "Recessional"                          RUDYARD KIPLING
  179. "Ozymandias of Egypt"             PERCY BYSSHE SHELLEY
  180. "Mortality"                              WILLIAM KNOX
  181. "On First Looking Into Chapman's Homer"    JOHN KEATS
  182. "Hervé Riel"                              ROBERT BROWNING
  183. "The Problem"                          RALPH WALDO EMERSON
  184. "To America"                           ALFRED AUSTIN
  185. "The English Flag"                    RUDYARD KIPLING
  186. "The Man With the Hoe"            EDWIN MARKHAM
  187. "Song of Myself"                      WALT WHITMAN

/////////////////////////////////////////////////////////

Mary E. Burt, ed.  Poems Every Child Should Know: A Selection of the Best Poems of All Times for Young People.  Illustrated and decorated by Blanche Ostertag. (New York: Doubleday, 1904)

poemsthateverychildshouldknow-frontispiece.jpg
frontispiece illustrated by Blanche Ostertag.

---.  Rpt.  New York: Doubleday, 1907.  355pp.  E-text @ Internet Archive <http://www.archive.org/stream/poemsthateveryc00burtgoog#page/n6/mode/2up>

---.  Rpt.  New York: Grosset, n.d.  354pp.  E-text @ Internet Archive <http://www.archive.org/stream/poemsthateverych00burtrich#page/n9/mode/2up>

---.  Project Gutenberg E-text <http://www.gutenberg.org/files/16436/16436-h/16436-h.htm> 〔テクストはのちの版みたいだけど、ハイパーリンクが便利そう。結局リプリントはみんな本文の組版は初版を踏襲しているのかも〕 

LibriVox recording of Poems Every Child Should Know, edited by Mary E. Burt. Read by Kara Shallenberg.  <http://www.archive.org/details/poems_every_child_should_know_librivox> 〔朗読。ダウンロードが25万超♪〕


 

Mary E. Burt.  Stories from Plato and Other Classic Writers @ The Baldwin Project <http://www.mainlesson.com/display.php?author=burt&book=plato&story=_contents>

Mary E. Burt.  Literary Landmarks: A Guide to Good Reading for Young People, and Teachers' Assistant.  Boston: Houghton Mifflin, 1889.  @ Google ブックス <http://books.google.co.jp/books?id=q_wQAAAAIAAJ&printsec=frontcover&dq=Mary+Elizabeth+Burt&source=bl&ots=MNIwvEO0Jv&sig=fwFMl2e60GA3jBDmsvmHfc5ssQA&hl=ja&ei=2j2uTJSoJoiEvAPfpZzHBg&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=5&ved=0CCcQ6AEwBA#v=onepage&q&f=false>

 

  


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秋日狂乱 A Fall Day Driven Mad [歌・詩 ]

女子バレーを見たあと、99年の愛の四夜目を見て、それから録画してあった Q10 を今見ています。「キューテン」と読むとモーリちゃんに怒られるのですけど、なんで「キュート」なの(ってまあ、第1話を見てとりあえずはわかってはおるのですが)。

  で、十数分前のやり取り(ほんとうは数時間前・・・・・・そして、ほんとうは・・・・・・ほんとうは・・・・・・ない)を見ながら、メモっておきます。

秋日狂乱

                     中原中也 

僕にはもはや何もないのだ
僕は空手空拳だ
おまけにそれを嘆きもしない
僕はいよいよの無一物だ

それにしても今日は好いお天気で
さつきから沢山の飛行機が飛んでゐる
――欧羅巴は戦争を起すのか起さないのか
誰がそんなこと分るものか

今日はほんとに好いお天気で
空の青も涙にうるんでゐる
ポプラがヒラヒラヒラヒラしてゐて
子供等は先刻昇天した

もはや地上には日向ぼつこをしてゐる
月給取の妻君とデーデー屋さん以外にゐない
デーデー屋さんの叩く鼓の音が
明るい廃墟を唯独りで讃美し廻つてゐる

あゝ、誰か来て僕を助けて呉れ
ヂオゲネスの頃には小鳥くらゐ啼いたらうが
けふびは雀も啼いてはをらぬ
地上に落ちた物影でさへ、はや余りに淡い!

――さるにても田舎のお嬢さんは何処に去[い]つたか
その紫の押花はもうにじまないのか
草の上には陽は照らぬのか
昇天の幻想だにもはやないのか?

僕は何を云つてゐるのか
如何なる錯乱に掠(かす)められてゐるのか
蝶々はどつちへとんでいつたか
今は春でなくて、秋であつたか

ではあゝ、濃いシロップでも飲まう
冷たくして、太いストローで飲まう
とろとろと、脇見もしないで飲まう
何にも、何にも、求めまい!……

   さて、今の時代にも中原中也の詩を読んで、写真を見て、あこがれる女子はいるのかしら。いてもいいけど。昭和10年10月の詩。

  中原中也は秋の歌が多いのだな。

/////////

青空文庫の朗読ページ mp3 <http://reservata.s123.coreserver.jp/poem-chuuya/mp3/arisi-24.mp3> 〔なんか、おっちゃんというかあんちゃんというかMさん的というか、まあ〕


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マイ・ハックルベリー・フレンド―ムーン・リヴァー Moon River or My Huckleberry Friend [歌・詩 ]

たまたまトルーマン・カポーティー (Truman Capote, 1924-84)の『ティファニーで朝食を』 (Breakfast at Tiffany's, 1958; 映画 1961) を読みながらマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』の挿し絵を眺めていたせいで、モーリちゃんの父の好きなオードリー・ヘップバーンの歌声が耳鳴りのように響いてきた正月でした。

BreakfastatTiffany's_poster.jpg

  ブログ『カリフォルニア時間』に載せた写真画像が、so-net photo の閉鎖によって悲惨な状態に陥っているのは1年前から気づいていましたが、いっぽうYou-Tube を中心にブログにリンクした動画もどんどん見られなくなっています(こっちは著作権がらみだからしょうがないところもあるのだけれど)。

  尊敬するセシリアさんが Tube だけじゃなくて MP3 をけっこう掲載するようになられたような気がする(といっても何年も前からかも)し、罪業滅消どころじゃないのもわかっていますけど、ためしにこそりとMP3を貼ってみたいと思いました。――

Hepburn,Audrey_atBreakfastatTiffany's.jpg"Moon River"
                                            w.  Johnny Mercer
                                            m.  Henry Mencini 

Moon River, wider than a mile,
I'm crossing you in style some day.
Oh, dream maker, you heart breaker,
Wherever you're going I'm going your way.

Two drifters off to see the world.
There's such a lot of world to see.
We're after the same rainbow's end―
Waiting round the bend,
My huckleberry friend,
Moon River, and me.

    改行、句読点など適当です。個人的には中学校のころに毎月レコードと一緒に配刊されるなんたらいう音楽雑誌で最初に英語の歌詞を見て、そのあとこの曲をテーマソングとしていたアンディー・ウィリアムズのミニアルバムみたいなレコード(18cmだけどLong-Playing なやつ)を買い、・・・・・・オードリーの映画や古いハリウッド映画を女友達と一緒にたくさんみたのは大学生になってからかなあ。彼女はジャズ・ヴォーカリストになりましたが。

Hepburn,Audrey_atBreakfastatTiffany's(1961).JPG

  "Moon River" は映画のためにつくられたオリジナル曲で、ホリー・ゴーブライトリー (Holly Gobrightly) まちがえてましたw ホリー・ゴーライトリー (Holly Golightly)〔2011.1.11記〕 役のヘップバーンに歌わせる歌詞の原案としては出だしのところ "I'm Holly, like I want to be / like Holly on a tree back home ..." (わたしはホリー、自分の好きなままの/故郷で木登りしていたホリーのままに) 〔よくわかりません。森の木の上の家で暮らす生活はカポーティの第二作『草の竪琴』 (The Grass Harp, 1951) に出てきます。あと『アラバマ物語』 (To Kill a Mockingbird, 1960) を書いたハーパー・リー (Harper Lee, 1926 - ) はカポーティの幼なじみで、主人公の女の子は木に登るのだけれど、自伝的なところがあって、アラバマ州モンローヴィルでのカポーティも投影されているみたいなことを読んだか聞いたかしたことがあります・・・・・・あー、登場人物のDill ですね、ウィキペディアに書いてありました。〕

  「私」は Moon River にむかって呼びかけていて、最後に「私のハックルベリー・フレンド」と呼ばれるのも川です。

  作詞のジョニー・マーサー (1909-76) はジョージア州の出身です。英語のウィキペディアの "Moon River" は、"my huckleberry friend" というのはマーク・トウェインのハックルベリー・フィンとは無関係で、もともとは "Blue River" というタイトルであったのが同名の曲があるのでタイトルを変更して歌詞から「青」のイメジャリーも落としたけれど "huckcleberry" は音の響きというか語感が気に入って残ったとかなんとか論理がよくわからない(ひとのことは言えませんが)薀蓄を傾けています。

  ミシシッピ川はカポーティーの生まれたニューオーリーンズを流れているけれど、ジョージアもアラバマも流れてはいません。でも幅1マイルの大河としてイメジされるのはミシシッピ以外にないでしょうし、南部つながりでハックを連想するほうが自然というものです(四苦八苦)。

  いちおうコトバ的には、"someone's huckleberry" = "someone's sweetheart, friend, or partner" という意味があります(OED)。歌詞のなかでは気持ち的にはやっぱり「幼なじみ」「まぶだち」という感じかしら。

  いちおうYT も貼っておいてみますw。

 

 

 


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恋人ふたりの間で股割き Torn Between Two Lovers [歌・詩 ]

ふたつ前の記事で、ウォルター・クレインが挿絵を書いたギリシア神話の物語の著者の名前がメアリー・マグレガーといいました。アレッ? メアリー・マグレガーって・・・・・・と思ったひとは自分を入れて1・2名でしょうけれど、はい、1976年暮れのデビュー曲 "Torn Between Two Lovers" が翌1977年にビルボード誌で1位に輝くヒットとなった、アメリカの女性シンガーです。

  つぎの記事に恋多き(複雑な相愛関係の)ラファエロ前派のひとびとを書いたのもあって、なんとなく書き留めておきたくなりました。

  Mary MacGregor はミネソタ州セントポールに1948年に生まれています(St. Paul, Minnesota というと作家のフィッツジェラルドの生まれた都市です)。十代でバンドを組み、ミネソタ大学卒業後にPP&M (Peter, Paul and Mary) のメンバーだった Peter Yarrow に認められ、バックコーラスに参加、そしてピーター・ヤーローの作詞・プロデュースで歌われたのがこの曲でした(邦題はなぜか「過ぎし日の想い出」)。

  もともとは『ドクトル・ジバゴ』にヤーローが触発されて、ふたりの女性への恋心に引き裂かれる野郎の(男の)歌として作詞したのだそうだけれど、メアリーさんに歌わせるということで女歌にしたのだそうです。

There are times when a woman has to say what's on her mind, even though she knows how much it's gonna hurt.  Before I say another word, let me tell you, "I love you."  Let me hold you close, and say these words as gently as I can: "There's been another man that I've needed and I've loved, but that doesn't mean I love you less.  And he knows he can't possess me, and he knows he never will.  There's just this empty place inside of me that only he can fill."
(どれだけ傷つけることになるかわかっていても、心の中にあることを言わなければいけないときが女にもあるわ。その前に、あなたに「アイ・ラブ・ユー」と言わせて。ぎゅっと抱きしめさせて、そしてできるだけおだやかに話させて。――「わたしに必要な、わたしが愛してきた別の男のひとがいます。でもだからそのぶんあなたのことを愛していないということにはならない。彼はわたしが彼のものになれないことを知っているし、将来も決してそうはならないことを知っている。ただ、彼だけが埋められる空っぽの場所がわたしのなかにはあるの。」
[refrain]
Torn between two lovers, feeling like a fool ふたりの恋人に引き裂かれて道化者みたいな気分
Loving both of you is breaking all the rules あなたたち両方を愛するのは完全ルール違反
Torn between two lovers, feeling like a fool
Loving you both is breaking all the rules

You mustn't think you failed me just because there's someone else.  You were the first real love I ever had.  And all the things I ever said, I swear, they still are true.  For no one else can have the part of me I gave to you.(誰か別のひとがいるからわたしとうまくいかなかったって考えるのはまちがい。あなたはわたしの初めてほんとうに愛したひとだった。わたしがこれまで言ったことはみな、誓って、いまでも真実よ。わたしがあなたに捧げたわたしの一部を他の誰も得ることはできないのだから。)
[refrain]

 
I couldn't really blame you if you turned and walked away.  But with everything I feel inside, I'm asking you to stay.(わなたが背を向けて去っていってもあなたを責めることなどできないでしょう。それでも、わたしの中の思いのすべてで、願っているの、どうか行かないでと。)
  ま、原詞をよく読んでもよくわからん歌です。クリスタル・ゲイルの「瞳のささやき Don't It Make My Brown Eyes Blue」に通じるものがあるかもw。
  ところで、不意に思い出したのですけど、この曲は、木之内みどりの昔のLPアルバムに、日本語の詞で入っていました。(さっき探そうとしたけれど、本箱の高いところにあるので見えなかった。) ♪誰にもきっと一度や二度の~あやまちがきっとあるはず~♪ とかなんとかが出だしで、「今はぁ、この愛、すべてなの~♪」みたいなサビ。なつかしぃ~。
/////////////////////////////////
"Mary MacGregor" http://www.artinbase.com/artist/19080/Mary_Macgregor/ArtInBase.com 内。リンク切れ〕のキャッシュ。バスルームというのはオフィーリアのモデルとしてバスタブにつかって肺炎になりかけたエリザベス・シッダルとは違って、トイレのことですかね。それにしても歌を否定的にコメントしていておもしろい。――
Mary was born in St. Paul, Minnesota, where she studied classical piano from the age of six. Within eight years, she was singing professionally with a local big band. After attending the University of Minnesota, where she continued singing with Minneapolis and St. Paul groups, Mary began touring the rest of the country with various folk, R&B, and rock bands.

It was during one of these national tours that she caught the attention of Peter Yarrow of Peter, Paul and Mary. Impressed with her double-octave range, Yarrow invited her to join him on a national tour as a backup vocalist. His next step was putting her voice on vinyl: Mary was heard singing backup on Yarrow's Love Songs album. Her blossoming vocal talent led to her first solo endeavor, produced by Yarrow, the fateful "Torn Between Two Lovers."

"I never liked the song too much, and I still don't," said Mary. "There are just some songs I like, and some I don't, and this is one of them. Peter and I had a very long relationship. We're both very emotional people, and whenever we got together it was a very volatile experience. Sometimes it was positive, sometimes negative, and on this particular song we had a lot of fights. Was it really good? Was it going to make it? We had a lot of discussions about this song.

"For me to sing anything, I have to get emotionally involved. That's what really makes it for me. I didn't like 'Torn' mostly because it was boring to sing. It's a real 'sleeper' kind of ballad. Peter thought it was a real statement, and he wanted it to happen. He wanted a woman to sing it, and he wanted that woman to be me.

"I recorded the song in Muscle Shoals, Alabama, while standing in a bathroom. It was a room that was actually part of the studio, just sort of built-in there. They had a boom stand with a microphone on the end of it. The boom was in the studio, and the mike kind of stuck in through the door, hanging over the mirror. It was a tiny little room, but I finally worked things around so I didn't have to stare at myself singing. It's a great place. You get a lot of natural echo in bathrooms."

Mary was trembling when she recorded her big song, and not from the studio air conditioning. At the time, she'd been happily married for five years, and just the thought of being unfaithful to her husband, Don, was traumatic. But then came stardom, and the hopes, pressures, fears, and disappointments that come with it. On May 25, 1978, Mary filed for divorce, citing "irreconcilable differences." Her next release -- a flop -- was called "Memories."

"A lot of people are torn between two lovers," said Mary, "or have been, or will be. The single itself must have touched a lot of them, because it sold more than two million copies worldwide."

"Torn Between Two Lovers" began its rise in November 1976, finally peaking at number one in February 1977. It put Mary in the spotlight -- for the moment -- but ruined her career singing advertising jingles.

Living on her central California ranch where she raises horses and writes songs, Mary looked back at her moment in the spotlight. She says the song ultimately proved to be a strain -- "not because I was sleeping with someone else, but because I was living with my career instead of with him. But those things happen."

"Now I'm in a dilemma because I'm too well known to return to being an anonymous singer for a bank, but I'm not well known enough to get bookings. I never thought about being a success until 'Torn.' I was trying to make a career out of doing commercials. Now I can't.

"Success is so fickle," she warned. "You're only as good as you're next hit."

Mary would never repeat the commercial success of "Torn," however she did crack the Top 40 one more time before the end of the decade with "Good Friend," which was featured on the soundtrack of the Bill Murray comedy Meatballs. 
torn-between-two-lovers-threesome-malt-watch-share-demotivational-poster-1259674594.jpg
image via demotivational poster <http://www.motifake.com/80010>


 

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ロセッティのプロセルピーナ (2) Dante Gabriel Rossetti's Proserpina [歌・詩 ]

ロセッティの一連の『プロセルピーナ』の絵の右上に書き込まれているロセッティ自作のイタリア語の詩。14行詩(ソネット)です。

Lungi è la luce che in sù questo muro
Rifrange appena, un breve istante scorta
Del rio palazzo alla soprana porta.
Lungi quei fiori d'Enna, O lido oscuro,
Dal frutto tuo fatal che ormai m'è duro.
Lungi quel ciel dal tartareo manto
Che quì mi cuopre: e lungi ahi lungi ahi quanto
Le notti che saràn dai dì che furo.

Lungi da me mi sento; e ognor sognando,
Cerco e ricerco, e resto ascoltatrice;
E qualche cuore a qualche anima dice,
(Di cui mi giunge il suono da quando in quando,
Continuamente insieme sospirando,)―
"Oimè per te, Proserpina infelice!"


Gothica - Proserpina (6:08)

Rossetti,Proserpina.jpg
Dante Gabriel Rossetti, Proserpina image via <http://lyricsdog.in/s/proserpine%20rossetti>

  1881年に刊行された詩集に "Per an Quadro" ("For a Picture") とタイトル "Proserpina" の下に添え書きして、伊・英の詩を見開きで載せています(264, 265)。 <http://www.archive.org/stream/balladssonnets00rossgoog#page/n314/mode/2up/search/Proserpina>  アメリカ版 Boston: Robert Brothers, 1882. pp. 280-281.


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毎日がバレンタイン・デー My Funny Valentine [歌・詩 ]

SaintValentine'sDay_1861.jpg 

カリフォルニアにいたころに、"My Funny Valentine" について書いたいたような記憶があったので、調べてみたけれど、なんも見つかりませんでしたw。歌詞について考えた記憶は確かにあるので、たぶんどこかで悩んで、あるいは忙しくて書かなかったのかしら。


PianistaItaliano [Alfonso Gugliucci], "My Funny Valentine"

                   My Funny Valentine

                                  ―Lorenz Hart (1895-1943)

     VERSE
Behold the way our fine-feathered friend
His virtue doth parade.
Thou knowest not, my dim-witted friend,
The picture thou hast made.
Thy vacant brow and thy tousled hair
Conceal thy good intent.
Thou noble, upright, truthful, sincere,
And slightly dopey gent― you're

     REFRAIN
My funny valentine,
Sweet comic valentine,
You make me smile with my heart.
Your looks are laughable,
Unphotographable,
Yet you're my fav'rite work of art.
Is your figure less than Greek?
Is your mouth a little weak?
When you open it to speak
Are you smart?
But don't change a hair for me,
Not if you care for me,
Stay, little valentine, stay!
Each day is Valentine's Day.

  歌詞は Reading Lyrics (Pantheon, 2000) を参照しました。どうして最後の Valentine's Day 以外は小文字の valentine なのでしょう。
  あー、たぶん歌詞の意味がよくわからなかったのですね。で、いまもわからないことがわかりましたw。 とりあえずもともとは "gent" と呼ばれているのが thou = you なのだから、女の歌なのね。チェット・ベイカーの唄はユニセックス、というよりバイセクシュアルな魅力なのか。

  来年こそは訳して書くぞ~。

///////////////////////////

20:46pm 付記

(1) 英語のウィキペディアの "My Funny Valentine" には1937年のミュージカルのときのシチュエーションが説明されていました。――

History

Babes in Arms opened at the Shubert Theatre on Broadway, in New York City on April 14, 1937 and ran for 289 performances.[1] In the original play, a character named Billie Smith (played by Mitzi Green) sings the song to Valentine "Val" LaMar (played by Ray Heatherton).[2] In the song, Billie pokes fun at some of Valentine's characteristics, but ultimately affirms that he makes her smile and that she doesn't want him to change. [. . .]

(2) ヴァースまでいれた日本語訳ふたつ――

a)  xxokkun, 「My Funny Valentine 私のへんてこなヴァレンタイン」 『xxokkunのダメダメ日記』 2005.9.3 <http://plaza.rakuten.co.jp/xxjazz/diary/200509030000/>

b)  pjol,  「My Funny Valentine」 『Lyrics - 訳詩の世界』 10.24 <http://udzu.blog123.fc2.com/blog-entry-3.html>

  Reading Lyrics を信じるならば、男も歌うようになって、Valentine がvalentine になったのではなくて、最初から "sweetheart" の意味で小文字の valentine だったと考えられます。しかしキャラクターの名前がヴァレンタインだったというのはわざとらしすぎだけど。つーか、やっぱりそのことをカリフォルニアで考えていたような記憶がw。ま、来年。


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ロセッティのプロセルピーナ (3) Dante Gabriel Rossetti's Proserpina [歌・詩 ]

ロセッティが(『プロセルピーナ』という)「絵のために」イタリア語で書いた詩「プロセルピーナ」のロセッティ自身の英訳(Ballads and Sonnets [London: Ellis and White, 1881])と適当な和訳を並べてみます。

    Proserpina

      
(Per un Quadro)

Lungi è la luce che in sù questo muro
  Rifrange appena, un breve istante scorta
  Del rio palazzo alla soprana porta.
Lungi quei fiori d'Enna, O lido oscuro,
Dal frutto tuo fatal che ormai m'è duro.
  Lungi quel ciel dal tartareo manto
  Che quì mi cuopre: e lungi ahi lungi ahi quanto
Le notti che saràn dai dì che furo.

Lungi da me mi sento; e ognor sognando,
  Cerco e ricerco, e resto ascoltatrice;
  E qualche cuore a qualche anima dice,
(Di cui mi giunge il suono da quando in quando,
Continuamente insieme sospirando,)―
  "Oimè per te, Proserpina infelice!"

 

Proserpina

(For a Picture)

Afar away the light that brings cold cheer
  Unto this wall, ―one instant and no more
  Admitted at my distant palace-door.
Afar the flowers of Enna from this drear
Dire fruit, which, tasted once, must thrall me here.
  Afar those skies from this Tartarean grey
  That chills me: and afar, how far away,
The nights that shall be from the days that were.

Afar from mine own self I seem, and wing
  Strange ways in thought, and listen for a sign;
  And still some heart unto some soul doth pine,
(Whose sounds mine inner sense is fain to bring,
Continually together murmuring,)―
  "Woe's me for thee, unhappy Proserpine!"

 

プロセルピーナ

(絵に寄せて)

はるか遠くにこの壁に冷たい喝采を
  もたらす光――ただ一瞬だけでそれ以上ではない
  遠くの宮殿の扉に入るのだから
一度食べればここにわたしを隷属させるこのわびしく陰鬱な
  果実から遠くはなれてエンナの花々がある
  わたしを凍えさせるこのタルタロス[地界]の灰色から
  遠くはなれた上空、そしてどれだけかけ離れているのか、
昔の日々とこれからの夜々は。

わたし自身からわたしは離れて思え、そして思い
  は不思議な道筋をたどり、しるしを求めて耳傾ける――
  そしていまなおひとつの心がひとつの魂を思い嘆いている
(その音声をわたしの内なる感覚はもたらし、
絶えず一緒にささやく)――
  「ああわたしは君を悲しむ、不幸せなプロセルピーナよ!」

l. 4  drear=dreary
l. 5  Enna ペルセポネ(プロセルピーナ)が花を摘んでいるときに冥界の王にさらわれた場所
l. 5  fruit  ザクロのこと。食べると冥界に縛られる(あるいは婚姻のしるし)

  よくわかりませんけれど、使いのヘルメスと一緒に地上へ戻る途中でザクロを食べた、という話ではなくて、冥界にいるあいだに食べてしまっていたので、戻れまてん、というお話のようです。

  が、ここで、絵もそうですけれど、(詩だと一人称の話者の)プロセルピーナ自身が自発的にザクロの実を食べる決断をしている。そしてその自分の不幸を嘆いている人がいるということです。で、この第三者は誰か、ということで、それが画家のロセッティであると。

Rossetti,Proserpine(1877).jpg
Dante Gabriel Rosetti, Proserpina (1877) image via Wikipedia

  


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希望という名のあなた (1) Your Name Is Hope [歌・詩 ]

希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出していた。

  岸洋子 (1935-92) の歌唱で有名な「希望」は、岸洋子のために書かれた曲ではなくて、もともとは倍賞千恵子のミュージカルのためにつくられたのを岸洋子が車中で聞き、自ら申し出て1970年にレコーディングしたのだとかなんとかいう薀蓄がWEBを検索するとたくさん出てくる。えーと、いちおう資料とかも示している「学術」的な文章は、東京大学社会科学研究所の希望学プロジェクト(まじです)のサイト『希望学』の<希望の名言集 第3回 岸洋子 「希望という名のあなたをたずねて 遠い国へとまた汽車にのる> <http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/meigen/meigen_3.html>だ。JASRACの許諾を得て歌詞も掲載しているので、読んでいただきたく、冒頭を引用しておきます。――

1970年、日本レコード大賞歌唱賞は、岸洋子の『希望』であった。岸洋子の代表作とも言うべきこの歌は、実は彼女のために作られたものではなく、倍賞千恵子のために作られたミュージカルの曲だった。しかもこの歌は、岸洋子のみならず、シャデラックス、フォーセインツという男性コーラスグループとの競作であった。『希望』は、1968年岸がタクシーの中でラジオから流れてくるこの歌にひきつけられ、曲の題名と資料を集めて、歌わせてもらうようお願いし、歌ったものだったのだ。
  男声フォークグループであるザ・シャデラックスのシングル版「希望」(SONA86109)は1970年5月1日の発売だから、岸洋子の「希望」(1970年4月1日発売)のひとつきあと、そしてフォー・セインツの「希望」は1年前の1969年5月1日の発売でした。作詞は藤田敏雄、作曲はいずみたく。
  
  あれこれ、暑いし図書館に行く余裕もなく、ネット情報によって、調べてみると、以下のようなことがある。――(1) 倍賞千恵子が出演するミュージカルの劇中歌の一つとして製作されたのは1967年〔『伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る<http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/c/b11ad4067974271aa29c31ab3b1f0de8>〕、(2) (岸洋子の1970年のヒットに関して)「この歌は4~5年前から労音で唄われていたのだという。」〔中之島のBOW さんの「歌と思い出 6」 <http://www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/song6.html>〕、(3) 倍賞千恵子LP一覧収録曲に「希望」がない <http://www.geocities.jp/marucyann1/lpichiran.html>)、(4a) いずみたくの回想として、文化講演会「体験的音楽論」(1986年10月5日NHKで放送、2011年2月13日・20日に深夜便アーカイブスで再放送)で語っていることとして、永六輔と作ったミュージカルが「見上げてごらん夜の星を」と「夜明けの歌」で、坂本九と岸洋子の同名の歌はここから出たのだけど、「希望」はもともと倍賞千恵子のために作った短いミュージカルで、その歌を岸洋子が歌ったのだ、(4b) いずみたくの著書『体験的音楽論』で語られていることとして、1962年から63年にかけてテレビで1時間のフォーク番組が生まれ、藤田敏雄といずみたくが担当し、大学生のフォークグループのチームが集まった。ふたりは月に2・3曲のオリジナル曲をつくり、そのなかから生まれたのが「君の祖国を」「君が若者なら」「希望のマーチ」「希望」「返しておくれ、今すぐに」だった。〔『倍賞千恵子応援ページ』のmarucyann の記事「希望のマーチ」 <http://www.geocities.jp/marucyann1/kibounomarch.html>〕
  ということで、作曲者いずみたく自身の回想自体に矛盾があるだけでなく、68年に岸洋子がラジオから聞いた音源がなんだったのかがわからんのです。
  さて、なんでこんなことを前置き的に書いているかというと、第一に、ミュージカルのコンテクストの中に置かなければならんのか、という『カリフォルニア時間』で考えた疑問(詩的メモ的にリンクしておくと、「March 28-29 短い文 (ポーの『マージナリア』から) 付 ミュージカルの歌詞についての雑感」など)が再燃したからですけれど、結論的にはたぶん考えなくていいんじゃないの、ということです(あっさり)。そして、むしろフォークソング的に――労音であれ歌声喫茶であれ、あるいはカレッジポップスとして――歌われたときに、中之島のBOW さんの言うように「わずかな希望をあてにして生きようと思う人たちの心に灯をともすような歌だった」だろう。労音ってよく知りませんけれど、大阪労音の音楽フェスティバルやミュージカルにいずみたくも藤田敏雄も一緒に携わっていました。「見上げてごらん夜の星を」なんかも大阪の労音でのいずみたくの同名のミュージカル主題歌でした。『歌のデータ・ベース Jポップス』は、メモとして「メモ:人生の終着駅死でさえも、愛があれば希望を持って汽車に乗れるというハイブロウな歌 」と記しているけれど(<http://www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/songs/1000_d2j2.html>)、そういうのとも違うと思う。そもそもどこに愛があるねんw
  第二に、(これは既に明瞭なことなのですが)岸洋子の苦難の人生――それは希望と絶望が暗転しつづけるようなものだったろう――を投影して曲がつくられたのではないということ。
 
  それでも、岸洋子が個人的に自己を投影して曲を歌ったということはありえる。さらに、有名な事実としては、ザ・シャデラックスとフォー・セインツの歌った3番の歌詞は岸洋子のヴァージョンと異なるということがあります。3番の冒頭「希望という名のあなたを訪ねて/涙ぐみつつまた汽車に乗る」は「涙ぐみつつ」以外は同じだけれど、男どもはそのあと「なぜ今私は生きているのか/そのときうたが低くきこえる/なつかしいうたがあなたのあのうた/希望という名のマーチがひびく/そうさあなたにまた逢うために/わたしの旅は今また始まる」と歌い、岸洋子は「希望という名のあなたを訪ねて/寒い夜更けにまた汽車に乗る/悲しみだけがあたしの道連れ/となりの席にあなたがいれば/涙ぐむときそのとき聞こえる/希望という名のあなたのあのうた/そうよあなたにまた逢うために/あたしの旅はいままた始まる」と歌いました。「そうさ/そうよ」「わたし/あたし」はジェンダーなんたらいう問題ですが(いちおう自分メモとして「October 10, 12 【メモ】 ジャズ、ジェンダー、CGP」参照)、そこではなくて、「希望という名のあなたのあのうた」とほとんど自己言及的に「あのうた」=「このうた」=「希望」とくるくるさせて希望を前面に押し出しながら(これは「マーチ」的な伴奏が出て盛り上がるところからも明らか)、奇妙にも「となりの席にあなたがいれば」と「人間性」「身体性」を最後になっても強調するからです。それもなんだか女っぽく。
  長くなったので、以下、パート2へつづく~♪
  

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希望という名の夜汽車 A Night Train Named Hope [歌・詩 ]

(山下達郎の)希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出していた今日この頃。(岸洋子の)「希望」の話者はなんで毎日のように汽車に乗っているのだろう、という疑問に頭を揺らしていたら、希望という名の夜汽車の歌が浮かんだ。つなぎに書き留めておこう。

「夜汽車」   欧陽菲菲    1972(昭和47)年8月5日発売
作詞 橋本 淳  作・編曲 筒美京平
希望という名の夜汽車にゆられ  女心は何処まで行くの 
夜汽車 -  欧陽菲菲 歌詞情報 goo音楽     ○Live

「希望」  岸洋子  1970(昭和45)年4月1日発売
作詞 藤田敏雄  作曲 いずみたく
希望という名のあなたをたずねて  遠い国へとまた汽車にのる
希望 - 岸洋子 歌詞情報 goo音楽   ○Live

  夜汽車は演歌だけでなくポップスでもフォークソングでもかつては愛好されたイメジですから、どこに出てきても不思議はないのでしょうけれど、岸洋子が膠原病を再発して1970年の紅白歌合戦には出られず、翌1971年の紅白に「希望」を歌唱しているわけで、69年のフォー・セインツ(ちなみに彼らは1970年秋に解散)、70年のザ・シャデラックスと競作となった「希望」は強くひとびとの心と頭に刻まれていたでしょう。作詞家の橋本淳にも。

  そうすっと、なんらかの解釈なり応答みたいなもの、あるいはパロディー的思考が含まれていてもおかしくないのかもしれないと思われてきます。――アップテンポにしたことが曲としての明瞭な違いですけれど、「希望」が実は目的なのではなくて目的をもつことが希望なのだとか(これは「青い鳥」的「聖杯」的モティーフであるw)、毎日汽車に乗っているのは女「心」なのだとか。心の旅。あー、だから。

  橋本淳の顔は浮かぶけれど、仕事の総体をぜんぜん意識したこともなく、よーわからんですけれど、つらつら思うに、ブルーコメッツの「青い瞳」「青い渚」「ブルー・シャトウ」の青のシリーズとか、渚ゆう子の「雨の日のブルース」「風の日のバラード」とかあと、弘田三枝子の「渚のうわさ」「枯葉のうわさ」とか・・・・・・なんかインターテクスチュアルな感性があるような気がする(マー、誰でもそうかもしらんが・・・・・というか間テキスト性の定義にもよりますか・・・・・・結局(セルフ・)パロディー的遊び心がかな)。

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橋本淳作品集 (2009)
image via Amazon.co.jp

  いま橋本淳と「書く」とジュンじゃなくてアツシで、マジレッドの子なのですね。――

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忍術学園六年生で善法寺伊作役の橋本淳
image via ザテレビジョン


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キボウという名の橋 (1) A Bridge Named "Hope" [歌・詩 ]

(山下達郎の)希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出していた今日この頃。(岸洋子の)「希望」の話者はなんで毎日のように汽車に乗っているのだろう、という疑問に頭を揺らしていたら、希望という名の夜汽車の歌(欧陽菲菲の)が浮かんで、つなぎに書き留めたつもりが、敬愛するshjさんからコメントをもらって、それに返答しながら、あれこれ考えた。さらに、shjさんのコメントを深夜に読む前の木曜の夜、神楽坂で飲んだ席で、「象徴はもういやです(辟易)」みたいな発言をする女学生がいて(エライ!)、思索は深まらざるを得なかった。

  エーと、最初に適当に書いておくと、アメリカ文学とシンボリズムの密な関係というのはとりあえず所与の想定みたいになっちゃっていて、それは植民地時代のキリスト教的タイポロジカルな世界観に根っこをもち、時代的には南北戦争後の遅くにやってきたリアリズムの時代にも、たとえば自然主義作家の象徴主義とかあっちゃったりするし、戦後にサリンジャーが評価されたのは(少なくとも当時の日本人研究者たちの文章を読むと、くそリアリズムに対して)象徴主義を復活させたからだったりする。象徴というのは、神秘主義的にいうと、神的・霊的な認識(のきっかけ)をもたらす契機となるようなものかもしらんけれど、一般化していうなら、モノがそのモノとしての意味や価値を超えて日常的認識を跳躍した意味や価値を示すときのモノのことだ。(単純なのはヘビ(蛇)=ドラゴン(竜)(=ムカデ(百足))=悪魔みたいな)。

  ややこしいのは、モノを指すコトバがモノにとってかわるのが言語動物人間の宿命なので、モノではなくてコトバが象徴になりおおせるという事態かもしれない。ドラゴンは架空の存在であるけれど言葉としては存在しちゃっているわけだし、ムカデ(centipede=百足)は足が百本なくても100の足をもつ。あるいは、可視的なモノはイデア的な物自体の仮象にすぎない(18-19世紀)とか、言葉は現実に対応しているのではなく現実を抽象化した観念にしか対応していないのだから、コトバ自体が結局のところ虚構である(20世紀)とか、イデア―現実―象徴―ことばをめぐる関係はぐるぐるとわけがわからないところがある。別言すれば、それぞれの間がぼや~っと溶け合って、モノをいうコトバなのか、象徴としてのモノをいうコトバなのか、象徴としてのコトバなのか、イデアを志向するコトバなのか、ただのコトバなのか、コトバを使っている当人ももしかしたらわからず、あるいはただコトバで遊んでいるみたいな超反現実的事態も容易に起こりうるかもしれない。

  以上前置き。

  青山テルマである。青山テルマはモーりちゃんの父たちが2008年から2009年にかけて離日していた前後にテレビで同じ歌を歌い続けていたのでちょっと驚いた記憶がありますが、2007年の曲。

「My dear friend」   青山テルマ   2007(平成19)年12月5日発売
作詞 Kenn Kato  作曲 Hitoshi Harukawa
だって、だって、時はいつだって 呆れるくらいわがままだよ、って なぜかあなたの隣にいるだけで心の声が響いてくる
My dear friend -  青山テルマ 歌詞情報 goo音楽     ○Live

   作詞のKenn Kato さんというのはカトチャン&ケンチャンではなくて、なんかアメリカ出身の日本人で、エグザイルの歌詞とかいろいろ1990年代から活躍しているひとのようです。歌詞全体を吟味するつもりもなく、中心的に考えたいのは最後から2連目です――

雨上がりの君の空に
キボウという名の橋が架かる
ためらえばすぐに消えてしまうから
負けない気持ちで渡りきるんだ

  このあとはリフレインで、「だって、だって、時はいつだって/呆れるくらいわがままだよ、って/なぜかあなたの隣にいるだけで/心の声が響いてくる」でおしまい。

  この一連が示しているのはまことに人間中心主義的 (anthropocentrist) 擬人主義的 (anthropomorphist) 世界観であります。

  が、また明日・・・・・・断片的ですいませんが、なんかカリフォルニア時間を思い起こしつつもありw


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キボウという名の橋 (2) A Bridge Named "Hope" [歌・詩 ]

希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出して、岸洋子の「希望」の話者はなんで毎日のように汽車に乗っているのだろう、という疑問に頭を揺らしていたら、希望という名の夜汽車の歌が浮かんで、つなぎに書き留めたつもりが、敬愛するshjさんからコメントをもらって、それに返答しながら、あれこれ考えた「キボウという名の橋 (1)」のつづきです。

  「また明日」と書きながら1日あいたのは、本が何冊も見つからなかったのと、話が歌詞のはなしからはなれてクソ六かしいところへいきそうでブレーキが働いたからかもしれません。

  本は見つからないのだけれど、いっそWEBをサーフィンして、典拠不詳にテクストを編み上げてみるのもいいかな、と思いつつ、いやいや、自分の頭からなんかひねりだそう、いや、なんだかんだ言ったって、もとから自分の頭にあったものなどなく、知識の蓄積とは原初的な引用のふるまいなんだから、と折衷的に・・・・・・

  先の (1) 〔「キボウという名の橋 (1) A Bridge Named "Hope"」〕で、いささか乱暴にこう書きました――

・・・・・・歌詞全体を吟味するつもりもなく、中心的に考えたいのは最後から2連目です――

雨上がりの君の空に
キボウという名の橋が架かる
ためらえばすぐに消えてしまうから
負けない気持ちで渡りきるんだ

  このあとはリフレインで、「だって、だって、時はいつだって/呆れるくらいわがままだよ、って/なぜかあなたの隣にいるだけで/心の声が響いてくる」でおしまい。

  この一連が示しているのはまことに人間中心主義的 (anthropocentrist) 擬人主義的 (anthropomorphist) 世界観であります。

  人間とモノとコトバの関係を考えるときに、20世紀の示唆的な文章のひとつはフランスの小説家アラン・ロブ=グリエの1958年の評論「自然・ヒューマニズム・悲劇」でしょう(これは『ヌーヴォー・ロマンのために』におさめられているはずですが、その本が見つからない)。

 ロブ・グリエの理論のなかでも、特に忘れてはならないと思われるのは、その比喩批判、とりわけ隠喩批判です。一言でまとめてしまうと、世界のなかにある事物は人間と無縁に、人間よりも先に存在しているのに、隠喩はそれを人間化してしまい、人間の世界のなかに取り込んでしまう、ということです。だからロブ・グリエは、事物を事物としてことばのなかに存在させるために、隠喩を排除しました。これは「唯物論」を厳格な立場で理解することです。代表作「嫉妬」に出てくる黒人の記述は、そこにまったく意味が付与されていないがゆえに、初めて黒人が黒人として小説のなかで描かれた反人種差別的な記述であると考えられました。不思議な理屈だなあ、と思うひともいるかもしれませんが、こういうものの考え方もあるのです。たとえばストーリーと呼ばれるものも人間が勝手につくるもので、世界のなかには事物や事実が雑然と存在しているのだから、それをそのまま記述するとそこには物語がないことになるのです。ひとをたぶらかすためにわけのわからないことを書いているわけではないのです。*

*NEIMUROYA、「アラン・ロブ・グリエに学ぶこと」、ブログ『文字は殺し、精神は生かす』2008.2.27 <http://muroyanei.blogspot.com/2008/02/blog-post_27.html>

ロブ‐グリエは人間中心的な言葉の用い方、小説におけるヒューマニスティックな比喩の、アナロジーの使用を導く視線をこう規定している。「人間とものとの間にかけられた魂の橋として、ヒューマニズムの視線は、なによりもまず連帯性のしるしである。」1このような視線を批判してさらにこう続ける。「人間は世界を見つめるが、世界は彼に視線を返しはしない。」2この闘いにバルトは連帯を「ロブ‐グリエ派なるものはない」(1958)において表明するのである。「視線は、ロブ‐グリエにあっては本質的に浄化的な行為であり、たとえ苦痛をあたえるものであっても、人間と対象〔もの〕との連帯の切断である。」3人間とものとの古い視線の既成の連帯には異議を申し立てるのではあるが、彼は新しい視線の下(外)への連帯を控えめながら呼びかける。「あらゆる点で共同の闘争に対する欲求を先行させねばならないように思われる」4。**
1) アラン・ロブ‐グリエ/平岡篤頼訳「自然・ヒューマニズム・悲劇」『新しい小説のために』(新潮社、1967)、60項。
2) アラン・ロブ‐グリエ/平岡篤頼訳「自然・ヒューマニズム・悲劇」『新しい小説のために』(新潮社、1967)、67項。
3) ロラン・バルト/篠田浩一郎・高坂和彦・渡瀬嘉朗訳「ロブ‐グリエ派なるものはない」『エッセ・クリティック』(晶文社、1972)、137項。
4) ロラン・バルト/篠田浩一郎・高坂和彦・渡瀬嘉朗訳「ロブ‐グリエ派なるものはない」『エッセ・クリティック』(晶文社、1972)、141項

**Puis Sang-soo、「ロブ-グリエのイノベーションについて」、『Puis Sang-soo's Red Notebook』 <http://sites.google.com/site/puissangsoo/home/report/about_innovation_of_alain_robbe-grillet>

  さてと、どんどんむつかしくなりそうなので、引き戻しておくと、自然の事物を人間の感情や思考や行動のヒユとして使うのって、人間の思い上がりじゃないの、というのがとりあえずのロブ=グリエの批判する人間主義(ヒューマニズム、だけど細かく言えば、それは人間中心主義、擬人主義としてのヒューマニズムだと言える)的隠喩の問題です。

  隠喩(メタファー)とは、とウィキペディアを参照しようとしたがわけわからんことが書いてある(w)ので、とりあえず(都合の)よい例をあげておくと、・・・・・・う~ん、うーん、「人は城、人は石垣、人は堀」(伝 武田信玄)の「城」「石垣」「堀」、♪「愛は空、愛は海、愛は鳥、愛は花、愛は星、愛は風、愛は僕、愛は君」(井上陽水)の「空」「海」「鳥」「花」「星」「風」、そして「僕」と「君」。どうでっしゃろw

  厳密にはメタファーとは、「~のような」(英語だとlike とか as でつながるような)というふうにタトエであることが明示されないヒユの種類なのだけれど、ロブ=グリエ的問題意識からは、「暗い海のような僕の心」だって「暗い谷間のような君の心の奥」だって、「暗い谷間をさまよう心」だって、おんなじ問題を抱えているように思われます。そして、このようなヒユ問題と、文学における情意の反映としての自然、あるいは逆にいえば、自然描写が登場人物の心的状態の「象徴」であるような描写というのも同じ問題を持っていることがわかります。

  「雨がしとしと日曜日、僕はひとりで君の帰りを待っていた」(ザ・タイガース「モナリザの微笑」)、「しとしとぴっちゃんしとぴっちゃんしとっぴっちゃん/哀しく冷たい雨すだれ/おさない心を凍てつかせ」(橋幸夫「子連れ狼」)

  ジョン・バースが初期の長編小説『フローティング・オペラ』のなかで、作家がどうしようもなく天候の記述を登場人物の心情に重ねて行なってしまうみたいなことを書いている一節がありました(見つからない本の一冊)けど、積極的にはT・S・エリオットのいう「客観的相関物 objective correlative」の説って、人間的主体と客観的自然が相応して作品を構築するわけで、やっぱり人間中心主義的なものなのでしょう(か)。

  ロブ=グリエのエッセイのタイトルには「自然」が入っていて、そのへん、今日のエコロジー的な思想と共振するところもあり、志村正雄の『神秘主義とアメリカ文学』でロブ=グリエの当該論文に触れていたところを参照したく思っただけれど(やっぱり見つからなかった本でした)。

  別方向に話を広げると、ネイチャー・ライティングの系譜の中で、その人間中心主義的姿勢ゆえに批判されることの多いのが19世紀のエマソンですが、エマソンは代表的なエッセイ『自然』の冒頭で、哲学が「自我 Me」と区別するもの、すなわち「魂 Soul」以外の宇宙のすべてのものは「人工 Art」も含めて「自然 Nature」という名前のもとに入れられる(「哲学的に考察すると」 "philosophically considered" という限定が入っていて、「霊」的なものがまだ入ってこないのがミソなのだと個人的には思いますが)みたいなことを言っています。すなわち自我対自然というときの自然ていうのは花鳥風月・海山川森野湖的な自然だけでなくて個としての人間をとりまくものすべてという構図です。

  それで、エマソン批判というのは、ロマン主義批判とつながっていて、その中心は人間中心主義 anthropocentrism という意味でのヒューマニズムの批判(20世紀初めのT・E・ヒュームとか)であったのが、ネイチャー・ライティングやエコ・クリティシズムの見直し・流行とともに擬人主義 anthropomorphism 的な思想が問題にされてきた(それは、主観の投影としての自然とか、人間が自然に対して神にとってかわってふるまうとかいうだけでなく、「言語」――エマソンの『自然』の中心となるのは「言語」の章――を中心としたヒューマニズム思想の問題なのだけれど、ここでは詳述する余裕はないです)。

  さて、問題の所在をなにげに確認したところで、ようやく問題の歌詞に戻って、「雨上がりの君の空」というのは、詩の中では、直前の連の歌詞が「誰もがみんな繰り返していく/Fine after rain 涙と笑顔の Story Maybe/そう、だからこそ立ち止まらないで/歩いてゆこう」なのであるから、「誰もがみんな繰り返」すこととして「Fine after rain」――英語・英文法的にはよくわからんが、雨のち晴れ、ですか?――、そして、それぞれ rain=涙、Fine=笑顔という構図が示されておるのですから、当然のことながら「雨上がり」の「」=rain=涙ということになります。「キボウという名の橋が架かる」「君の空」は、それが現実の空を見上げて、君(の心)を投影しているにせよ、君(の心)を空にたとえているにせよ、実は違いはなく、同じ人間中心主義的思い上がりをはらんでいます。さらに一人が空を占有することによって、個人主義的ヒューマニズムをはらんでいます。

  「俺の空」と「君の空」は個人主義の表現としては変わらない(「マルチャン俺の塩やきそば」とは意味が違う)。

  ところで「キボウという名の橋」について、「ためらえばすぐに消えてしまう」と書かれていることから明らかなように、これは空との関係でいうと実は橋ではなくて虹です。「橋」にせよ「虹」にせよ君(の心)にあらわれた「希望」のヒユなのですから、(希望→)キボウ(→虹)→橋という、かなり屈折した、言語象徴的置き換えが、人間精神を空&天気にたとえる隠喩の伝統にかぶせられているのがわかります。

  だからなに? って、まー、どうでもいいんだけどw

  たぶん、イライラするのは、わけのわからない日本語で、でもそれはこの歌がとりたててということではないのかもしれない。あーあ。

  しかし、気を取り直して、わけのわからなさの焦点を絞ると、「だって、だって、時はいつだって/呆れるくらいわがままだよ、って/なぜかあなたの隣にいるだけで/心の声が響いてくる」という、冒頭と結びで反復されるコトバです。この「心の声」は話者の心の声でしょうか? しょうね。「時」を擬人化するのは普遍的なことかもしらんけれど、呆れるくらいわがままなのはあなたなんじゃないの、と思えて腹が立ってしまうのでした。時は呆れるくらいわがままだから、キボウという名の橋はためらえばすぐに消えてしまうから(「時」によって消されてしまうから)、(時に対して)負けない気持ちで渡りきるんだ、ということなのでしょうけれど。

//////////////////////////

  23時過ぎに追記――

  1) あとは、「という名の」という日本語表現の多くに共通する問題だと思うのだけれど、「名」を付けるのは誰? 名指すのは誰? というのがイライラさせられる問題なのかもしれません。「希望の橋」といわれれば、はー、ヒユですね、ととりあえず了解しますけど、「キボウ(希望)という名の橋」と言われると、なんか橋ゲタに「希望」という名前が刻まれているような感じ。このモッテマワッタ感じにいらいらするのだと思われ。

  2) (人間が)名前をつけることによって初めてモノが存在するみたいな人間中心主義と類比的な自分勝手さを「という名の」という表現は臭わせていると感じられるのかも。


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希望という名のあなた (2)――「希望」の原詞 Your Name Is Hope: Original Lyrics of "Kibo [Hope]" [歌・詩 ]

いずみたくの著書『体験的音楽論』(大月書店〔国民文庫830〕、1976)を読んでいます。第Ⅱ部「歌と感情」の最終章「四 歌によって感情が統一されるすばらしさ」(pp. 65-78)に、本文での言及なしに藤田敏雄による「希望」の詩と楽譜が引かれていました(pp. 70-71)。

  えーと、ブログ的私的流れとしては、希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出して、岸洋子の「希望」の話者はなんで毎日のように汽車に乗っているのだろう、という疑問に頭を揺らしていたら、希望という名の夜汽車の歌が浮かんで、つなぎに書き留めたつもりが、敬愛するshjさんからコメントをもらって、それに返答しながら、あれこれ考えて「キボウという名の橋 (1)」とそのつづきの「キボウという名の橋 (2)」を書き、でもかんじんの「希望」の歌詞の解釈(「希望という名のあなた (1) Your Name Is Hope [歌・詩 ]」につづく(2) となるべきもの)を書けずに、「名もない Nameless [文法問題]」を書いたのが昨日。(2) を(3) に延ばして、メモ的に書きます。

  さて、いずみたくの本に引かれた詩を見ると、セインツ・フォー (1969) とザ・シャデラックス (1970) の歌った3番は実は4番であり、岸洋子 (1970) の歌った3番は3番と4番を合体させて改めたものだということがわかります。1番と2番はとりあえず前に引いた「希望学」の記事と「あたし」「わたし」以外は全く同じですし、長いと気が引けるので割愛。岸洋子の3番についても同記事を参照です。

  希望という名の あなたをたずねて
  寒い夜ふけに また汽車にのる
  となりの席に あなたさえいれば
  悲しみだけが 待っていようとも
  この世の終りが もしこようとも
  地の果てまでもと 約束するのに
  だのにあなたは どこにもいない
  わたしの旅は 笑顔のない旅

  希望という名の あなたをたずねて
  涙ぐみつつ また汽車にのる
  なぜ今 わたしは 生きているのか
  その時歌が ひくく聞こえる
  なつかしい歌が あなたのあの歌
  希望という名の マーチがひびく
  そうさあなたに また逢うために
  わたしの旅は 今またはじまる 
(p. 70)

  このあと、「一番のくりかえし」と書かれていて、そこまで番号は振っていなかったのですけれど、全体で5番からなる歌だということが示されています。

  5番まで全部歌うと、テンポにもよるけれど、たぶん7分くらいかかったんじゃないかしら。


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希望という名の列車にのって On a Train Named Hope [歌・詩 ]

いずみたく著『体験的音楽論』(大月書店、国民文庫830、1976)を昨日帰りの電車の中で読み了わった。

  いろいろと考えさせられるところあったのだけれど、意識的に細かく扱っていこうかな、と思う。

  第III部「歌と創造」の第五章の章題は「大切なオリジナリティー」で、「作品は、創造的、個性的、独創的なものでなくてはいけない。メロディーはもちろん、言葉も、テーマも、タイトルも、人の創ったものに似ていてはいけないのである。」という主張を述べる自身の新聞投稿の引用に始まり、素人の作品だけでなくプロにも自分の作ってきた曲と同じメロディーフレーズが見られることを嘆く。つづけて曲ではなくて歌詞の問題にもふれるのだが、そこで出てくるのが「希望」である。――

  ある有名な作曲家が、NHKの「みんなのうた」のために作った歌を聞いて、ボクは、デングリカエッテおどろいたことがある。その一年前に、ボクが作曲したTVの番組テーマとそっくり同じなのである。

  ボクの場合は、器楽曲。その人の場合は歌。

  まるで、ボクの作った曲に歌詩[ママ]をはめたようなものである。そのときは、その人がボクのあまりに親しい人だったので、放送局の人には注意したが、問題にはしなかった。

  また、次のような事件もあった。これについても、ある新聞に書いたことがあるが、作曲のことでなく作詞のことである。

  ボクと藤田敏雄の作った"希望" のうたい出しが、

    希望という名の[希望という名の、に傍点]
    あなたをたずねて

  となっていることは、多くの人が知っている。ところが、ある有名な作詞家が作った歌が、

    希望という名の[希望という名の、に傍点]
    列車にのって

  という書き出しなのである。"希望" という言葉が、登録されているわけではないので、かまわないではないかといわれたり、二行目が違うのだからといわれればそれまでである。

  しかし、"希望が" とか "希望の" とか希望という言葉をつかっても、いろいろな表現をすることはできるはずだが、"希望という名の" という言葉は独特のいいまわしであり、みんなに知られていなければともかく、知られすぎるほど知られている曲だから具合がわるい。

  プロですら、意識的か、無意識的かわからないが、このような間違いをおこす。前者の例の場合も、意識的とは思わない。意識的なら大事件であろう。

  きっと、ボクの曲を何回か聞いていて、印象に残っていたのだろう。それが、作曲する時に、ふと思い出されて、自分が作った曲のような錯覚をおこしてしまったのだろう。忙しい仕事をしていて、短時間に作ったりすると、おこりそうなことであって、ボクも想像できる。つまり、両者とも、創作のうえの無神経さがこのようなできごとをまねいてしまうのである。

  しかし、これが意識的となると泥棒と同じであって、絶対に許すことのできない事件である。 (pp. 125-127)

  「錯覚」を推測しながらも、それが本気かどうかわからぬところもあり、皮肉なアテコスリの気配がなくもないけれど、独創性と引用・盗用の問題をめぐる意識について、興味深い一節だと思う。

  その問題はちょっとおいといて、この一節を電車のなかで読んだときに、以前書いた橋本淳のことを言っているのだと思った――「希望という名の夜汽車 A Night Train Named Hope」参照。しかし、1972年の「夜汽車」は、タイトルどおり、「希望という名の列車にのって」ではなくて、「希望という名の夜汽車にゆられ」という出だしだったのでした。で、いずみたくが言及している曲・作詞家は不明です。

  それにしても「希望という名の」が独特のいいまわしかどうかわからないけれど、「希望」の歌のあとにこのフレーズが今日に至るまで使い回されているのが事実のようです。そうなると「欲望という名の電車」がおおもとにある、という仮説もあながち空論ではなくなってくるかも。


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という名の――中島みゆき  Named: Nakajima Miyuki [歌・詩 ]

とりあえず、「希望という名の列車にのって On a Train Named Hope」につづくメモ的記事。

1) ああ小魚たちの群れ
きらきらと海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく
(中島みゆき「ファイト」)

2) 時代という名の諦めが
心という名の橋を呑み込んでゆくよ
(中島みゆき「友情」)

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND53692/index.html

うーん。メモ以上に書いている余裕はないのですけど、さらにメモっておくと、2つ目のほうは、

時代――諦め と

心――橋 と

の対応関係があいまいなところが眼を、耳・・・・・・耳目を(?)引きます。

「呑み込む」という言葉と直接つながるのは心よりは橋なのだろうけれど、呑み込む主体であるのは「時代」「諦め」で、どっちも水ではない。

しかし、一般に時なり時代は「流れる」ものとしてイメジされているから、時代の流れが橋を呑み込み、それは諦めが心を呑み込むことの「メタファー」ということでしょうか。


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『アメリカのソネット』(ウィリアム・シャープ編, 1889) _American Sonnets_ (1889), ed. William Sharp [歌・詩 ]

去年の春、「ウィリアム・シャープとフィオナ・マクラウドの書誌 Partial Bibliography of William Sharp and Fiona Macleod」という記事を書いて、随時リンクを張ると書いたのに、そのままになっていました。それで、ぼんやりと眺めかけて、すぐにInternet Archive で検索したらヒットしたので、リンクを張るとともに別記事として書きつけておきます。

William Sharp, ed.  American Sonnets.  [Canterbury Poets Series.]  London: Walter Scott, 1899.  lx+293pp.

E-text @ Internet Archive <http://www.archive.org/stream/americansonnets00shar#page/n0/mode/2up>

  "The Canterbury Poets" というのはウィリアム・シャープが総編集をしたシリーズのようで、5、6冊自身が編注者となっているみたい。

  250ページまでがソネット(14行詩)で、そのあと4行詩と8行詩が少しおさめられ、最後に書誌的なNotes が付いています。ソネットで最も多く採られている詩人はヘンリー・ウォズワース・ロングフェロー (pp. 134-145) で12篇、ついでEdgar Fawcett の10篇 (45-54)。詩人のアルファベット順に並んでいます。ただ目次と本文の数字がずれている。ポーは3篇。1ページに1篇という読みやすい体裁です。

Sharp,AmericanSonnets.JPG

  右下の587 というのは印刷上の符号なのかしら。

Sharp,AmericanSonnets,notes290-1.JPG

  たまたまポーが載っている注のページ(とその次のページ)には同時代のAmélie Rives (1863-1945) や Edgar Saltus (1855-1921) について、長めの説明が書かれています。あー、ウィリアム・シャープってほんとに読書家だったんだなあ、って思います。

William_Sharp_(writer)_-_Project_Gutenberg_eText_19028.jpg
William Sharp (1855-1905)

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March 31 ウィリアム・シャープとフィオナ・マクラウド(1) William Sharp and Fiona Macleod (1)」 (2009.3.31)

ウィリアム・シャープとロセッティ William Sharp and Dante Gabriel Rossetti」 (2011.2.17)

ロセッティのプロセルピーナ (4) Dante Gabriel Rossetti's Proserpina」 (2011.2.19)

ウィリアム・シャープとフィオナ・マクラウドの書誌 Partial Bibliography of William Sharp and Fiona Macleod」  (2011.3.31)

「March 31 ウィリアム・シャープとフィオナ・マクラウド(1) William Sharp and Fiona Macleod (1)」 (2009.3.31)


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なぎさの誓い So Much in Love [歌・詩 ]

2012年新春。テレビを見ながら、今年も "Stranger in Paradise" が流れているなー、と思っていたのだけれど、忙しく時は過ぎてもう3月も末。で、このごろ頭の中に響いているのは"So Much in Love" (「なぎさの誓い」) です。〔三菱東京UFJ銀行のカードローンのモビットのCMで竹中直人と夏菜がいくつもヴァージョンをつくっている〕

  オリジナル (1963) の黒人5人のボーカルグループ、ザ・タイムズThe Tymes のドゥワップ doo-wop 版を――

So Much in Love

                       words & music by George Williams and Bill Jackson; arranged by Roy Straigis

As we stroll along together
Holding hands, walking all alone
So in love are we two
That we don't know what to do
So in love (so in love)
In a world of our own (so in love)

As we stroll by the sea together
Under stars twinkling high above
So in love are we two
No one else but me and you
So in love (doo so in love)
So much in love (doo so in love)
So in love (doo so in love)
So much in love (doo so in love) 

We stroll along together
I tell you I need you oh so much
I love, love you my darling
Can you tell it in my touch

When we walk down the aisle together
We will vow to be together 'til we die
So much love have we two
Just can't wait to say "I do"
So in love (doo, so in love)
Are you and I (doo, you and I)
So in love (doo, so in love)
Are you and I  (doo, you and I)

一緒に散歩するとき
ふたりきりで歩くときに
ふたりは愛しすぎちゃって
どうしたらいいかわからない

ふたりは愛しあっている
僕と君以外は誰もいない
愛しあっている(愛しあっている)
僕たちだけの世界のなかで(愛しあっている)

一緒に渚を歩くとき
高くまたたく星々の下
ふたりは愛しすぎちゃって
どうしたらいいかわからない

ふたりは愛しあっている
僕と君以外は誰もいない
愛しあっている(愛しあっている)
僕たちだけの世界のなかで(愛しあっている)

一緒に散歩する
僕は君に僕には君がとっても必要だ
愛してる、愛してるよ、って言う
言葉にしなくてもわかるだろうか? 僕が君に触れたら

一緒に教会の通路を歩くときに
僕らは誓いを立てる、死ぬまで一緒だと
とてもたくさんの愛であふれる僕たちは
「はい、誓います」と言うのが待ちきれないんだ

  1982年の映画 Fast Times at Ridgemont High のサウンドトラックで Timothy B. Schmit が歌って有名になった――

思えば、山下達郎も歌っていました。が、そっちの方面でウンチクをたれるのはやめて、英語の勉強、英語の勉強。

(1)  as と so が相関するのか、so と that が相関するのか、と宙ぶらりんのままにふわふわと進行し、so がとても連発されるのだけれど、それが思いの強さを訴えているのか。

(2)  自信がないのはCan you tell it in my touch? のところです。it は彼氏のほうの思い(ことば)と取りました。

(3)  最後の結婚式の通路での誓いは、祭壇での牧師と新郎・新婦の「あなたは・・・・・・誓いますか」「はい、誓います」のやりとりが待ちきれずに誓うということ。 "be together 'til [=until] we die" は、「健やかなるときも病めるときも・・・・・・死がふたりを分かつまで・・・・・・誓いますか」 "Do you take this man to be your lawfully wedded husband, to have and to hold, in sickness and in health, in richer and in poorer, until death do you apart" とか牧師が言う、「死がふたりを分かつまで・・・・・・」をいわばクダイテ表現したもので、"I do." は新婦・新郎の牧師の問いに対する答え(「はい、誓います」)。

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(August 17, 2012)

The Tymes, after fifty years (2008):

2009:


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