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煉獄と天国の関係はどういうものなのでしょうか The Heaven and the Purgatory [φ(..)メモメモ]

前の記事でも引用したように、日本語のウィキペディアの記事「煉獄」は、「煉獄(れんごく ラテン語: purgatorium)とは、キリスト教、カトリック教会の教義のひとつ。 すなわち、煉獄とは死後地獄へ至るほどの罪はないが、すぐに天国に行けるほどにも清くない魂が、その小罪を清めるため赴くとされる場所であるとする。」と定義を与え、さらに、「第2バチカン公会議以降の教会の現代化の流れにより、現代のカトリック教会においても煉獄について言及されることはほとんどない。」こと、また「正教会では煉獄を認めない。またプロテスタント教派もルターを始めとして煉獄の教義を認めない。」との説明を付加していました。

  実は個人的にかねて気になっていたのは、煉獄(浄罪界)のような超現実空間がなければ、最後の審判(そして神の国への参入)まで、キリスト教徒の死者はどこにいるんだろう、ということなのでした。もちろん上のウィキペディアの記事にあるように天国か地獄ということでしょう。

  しかし、モーリちゃんの父の知識では、擬似空間的に、天国を「この世」から超絶した場所として想定する世界観は、もともとはキリスト教が異端としたグノーシス主義の宇宙像にこそあるもので、キリスト教、特にピューリタニズムは、終末論を核心に置く時間的な世界観をもったのではなかったか。さらに、永遠回帰的な円環的時間でもなく、直線的・進化論的世界観を時間にこだわることでつくりあげたのがキリスト教ヨーロッパ文明ではなかったのでしょうか。死んで天国へ行くというのは正統教義ではなくて俗信だということは、日本語ウィキペディアの「天国」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9B%BD> にも書かれています(もっとも「独自研究」云々の嫌疑がかけられているようですけど)。――

キリスト教世界における天国

一般に「善き死者の赴く処」とされる天国の概念は、ギリシャ神話オリンポス北欧神話アースガルズとユダヤ・キリスト教の(=神の居場所)、イエスの説いた神の国などが民衆レベルで混ざり合って成立しており[要出典]、純粋なキリスト教の教えとは言えない[誰?] 。キリスト教の教理では、最後の審判以前の死者がどこでどのような状態にあるのかについて、各教派間の統一見解を得るに至っていない。

ダンテの『神曲』では、地球を中心として同心円上に各遊星の取り巻くプトレマイオス天動説宇宙を天国界とし、恒星天、原動天のさらに上にある至高天を構想していた。

  「要出典」とか「誰?」とか書かれているのが悩ましさを伝えておるようです。

  もちろん、天国での死後の世界や天使の奏楽やら、というのは絵画の題材になってきたのだし、アメリカ文学でいえば、初期植民地時代のピューリタンのエレジーや墓碑銘にも来世(天国)での(真の)生が(どうみても最後の審判以前に)期待されていますし、キリスト教倫理を大切にした19世紀のナサニエル・ホーソーンみたいな作家の小説(たとえば短篇の「優しい少年」や有名な長篇『緋文字』)にも天国の敷居や舗道みたいなのが描かれています。

  で、よくわからんですね。煉獄みたいな中間的・モラトリアム的時空間があれば、最後の審判まで待てるでしょうが(辛いかもしらんけど・・・・・・先に逝った人のほうが永く煉獄にいるというのはどういうことだ、みたいな疑念がどこからか提出されそうですけれど、煉獄10000(0)年免除みたいな、地上的時間を相対化し、歴史的差異を無化するような時間が永遠(神の国)の前には流れるなのかもしれません)。

  敢えて世俗的・文学的コンテクストで言えば、勧善懲悪 distribution of prizes 的なオチを付けたいときに、倫理的最終判断が地獄堕ちとか天国で天使に迎えられ、とかいうふうに結着してほしいという期待はわかります(みんな煉獄へ逝っちゃうんじゃいっしょくたになっちゃうし)。そしてそれ以前に、現実の死者の葬送において死後の生の期待が天国を切望するのもわかるように思えます。

  ところで、purgatory について検索してあれこれ見ていて、意外なヒットだったのは、ジーン・ウェブスターの1905年の小説『小麦姫 The Wheat Princess』なのでした。

WS000337.JPG

さらに、もっとあとのほうで――

WS000335.JPG

     "I think," she commented, "that I prefer a religion which does n't have a purgatory." (「私は煉獄を持たない宗教を選びたいと思います」)
     "Purgatory," he returned, "has always struck me as quite superior to anything the Protestants offer.  It really gives one something to die for." (「煉獄は、プロテスタントが提示する何ものよりもまったく優れたものとずっと私には感じられました。人に、それのために死ぬ場を真に与えてくれます」)
     "I should think, for the matter of that, that heaven direct would give one something to die for." (「それをいうなら、天国直行というのが人に、何のために死ぬかという場を与えるものではないでしょうか」)
     "What, for instance?  Golden paving-stones, eternal sunshine, and singing angels!" (「え、たとえばこういうこと? 黄金の敷石、永遠の陽光、歌う天使たち!」)
     "Oh, not necessarily just those things.  They 're merely symbolical." (「あら、必ずしもそういうものだけではないわ。そういうのはただの象徴にすぎません」)

  すげー適当な訳です。この小説は、ヴァッサー大学を1901年に卒業したウェブスターが、1903年に、在学中に書いていた短篇をまとめるかたちで出した最初の学園物『パティーが大学生だったころ』を出した、翌々年の1905年に発表した、ヨーロッパが舞台の物語です。実は何年か前にウェブスターの本を集めたときにこの本だけ手に入らず、読んでいません(ほんとは買ったのも読んでないのがあるのですけれどw)。 ウェブスターの推理小説『フォー・プールズの謎』(1909)以上に読まれておらんのではないか、と推測します(なにしろこちらは自分が読んでいるくらいですから)。

  冬休みに読めたら読んでみたいと思います。

  ということで、これはφ(..)メモメモです。

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本の部分の英語名称メモ Names of Parts of a Book [φ(..)メモメモ]

直前の記事「ジーン・ウェブスターの父親による『ハックルベリー・フィンの冒険』の出版 The Publication of _Adventures of Huckleberry Finn_ by Charles L. Webster」で、表紙のことを「カヴァー」と書いて、待てよ、日本語でカバーというと表紙ではなくてジャケットだな、と書き改めました。かねて、古書の記述を読んだりして興味をおぼえるところありましたので、なかば自分のメモとして書き留めておこうと思います。

  日本の本、ならびに日本語の名称については、大阪府立中之島図書館の「「本」の部分の名称」というページ <http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/osaka/book_bui.html#orikaeshi> がたいへんわかりやすく有益だと何年も前から思っておりました。まことに勝手ながら、そこと自主的コラボして英語の名称を記します。

bookbui1.gifbookbui2.gif
images via 大阪府立中之島図書館「「本」の部分の名称」<http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/osaka/book_bui.html#orikaeshi>

  なんとなく、手近にあった古い洋書を撮影してみました。――

Patty-cover.jpg

  まず、この赤い全面は cover です。日本語で「カバー」と呼ぶ、本を覆う紙は dust jacket あるいは wrapper です(dust cover ということはありますけど、基本 cover は表紙です)。cover を分けると、おもて表紙は front cover、うら表紙は back cover、そして背(表紙)は・・・・・・spine というのがふつうみたいw。spine というのは背骨です。これは、本の本体(front matter――= title page(s) (タイトルページ)と Table of Contents (目次)と list of illustrations (図版一覧)と Preface (序)や Foreword (前書き)と Dedication (献辞)と Acknowledgement (謝辞)と Frontispiece(口絵)などからなる――を除いた本文)を "body" と呼ぶこととかかわるような気がします。backbone とも呼ばれます。

  先走って front matter を並べてしまってわかりにくくなったので、そのへんも自家製画像で説明します。――

Patty-frontispiece&title.jpg

  左が frontispiece (口絵)です。もちろん口絵のない本もあります。
  右が狭義の title page です。広義の title page(s) は、このページの裏側の、コピーライトなどの情報を記したページも含めた場合です。本の書名(When Patty Went to College)、著者名( [By] Jean Webster) 、+この本の場合挿絵画家名(With Illustrations / by C. D. Williams)、出版社の都市名(New York)、出版社名(The Century Co.)、出版年(1903)が書かれています。

  つづいて、タイトルページの裏のコピーライトのページ(下の見開きの左側)――

Patty-copyright.jpg

  見にくいですけど、左側は次のように印刷されています。――

     Copyright, 1903, by
      THE CENTURY Co.
 Copyright, 1901, 1902, by TRUTH Co.
            _________

      Published March, 1903

   コピーライトが二種類あるのは、ジーン・ウェブスターのこの短編集が、過去に刊行した作品を含んでいるからです。そして、スペースがあって、下に、

       THE DEVINNE PRESS

   これは、出版社ではなくて、印刷所の情報です。要するに、日本の本の「奥付」に相当する情報が、ここで与えられています。初版初刷でない場合に、第何刷か(Number of printings)が書かれるのもここです。現在のアメリカの本だと、ISBN や Library of Congress number も書かれるはずです。

  右側のページは献辞 (Dedication) です(もちろんない場合もあります)。

  先に先に進むと、つぎのつぎのページは目次 (Contents)――

Patty-contents.jpg

  目次は最初の短篇 "Peters the Susceptible" に第1ページの番号をふっています。しかし、この目次の次の紙(leaf) は図版のリスト (List of Illustrations) が書かれていて、それは目次には載っていません。

Patty-listofillustrations.jpg

  この右側のページをめくると本文が始まります。

  さて、ここでちょっと前に戻って、中之島図書館の図の10~12番の箇所をみてみます。明確な説明が必要でしょうから、文章も引用します。――

10.見返し(みかえし)

 狭義には、表表紙(おもてびょうし)の裏側をいいます。一般的には表表紙・裏表紙の内側に貼り付けて、本の中身と表紙をつなぎ合わせている「見返し紙」のことです。表紙と本の中身を張りつける「力紙」(ちからがみ)と、「遊び紙(遊び)」があります。

11.扉(とびら)

 見返しの次にあり、書名、著者名、発行所名などを記してある部分。2ページにわったて[わたって]いるものを「見開き扉」といいます。上質紙を用いて本文と区別しているものもあります。

12.標題紙(ひょうだいし)

 本文の前にあってタイトルなどが書いてある紙。洋書では、表[ママ]題紙に書誌データの重要な部分を記してありますが、日本では多くが「奥付」に記載しています。
 ちなみに、標題紙に書かれている標題を「標題紙標題」といいます。

  まず、「見返し」に相当する英語はなんというかというと、ピタッと1語のことばはどうやら存在せず、おもて表紙の見返しは "the reverse of the front cover" あるいは "the inside of the front cover"、うら表紙の見返しは "the reverse [inside] of the back cover" という説明的な呼び方しか、少なくとも一般的には、ないみたいです。 endpaper (あるいは endsheet あるいは endleaf)でよいと思います。見返しのうちで表紙のうちがわに張った紙(日本では「力紙」とか「効き紙」とよぶ)は pastedown ということばがあります。「遊び紙」(表紙の裏側というか内側に貼られないほうの紙)は flyleaf です。pastedown があるのはペーパーバック paperback or softcover ではなくてハードカヴァー hardcover (この「カヴァー」が「表紙」です)の本の場合です。

  ついでながら leaf というのは、「葉っぱ」ですけれど、ページの裏表をもつ紙の一葉です。現代の、とくにペーパーバックの本は、なんども開いたり閉じたりしていると糊だけでくっつけてあるためにバラバラになってしまうことがままありますが、昔の本は印刷した全紙を四つに折ったり八つに折ったりして糸で綴じて、それをひとつの集まりとして重ねていってつくりましたから、leaf が1枚の紙ということはほぼ考えられません――裁断してあれば1枚の紙は 2 leaves, 4 pagesになるし、古い本で、ペーパーナイフで開いていくような本だと紙は折られた状態で綴じられているわけです。で、そういう、見かけ上何枚ものleaf をつくっている紙のグループを signature と呼びます。でもほとんどふつうのひとは耳にしません、この意味では。日本でいう「折丁」です。わかりにくい日本語だったので、もういちど言い直すと、1枚の印刷紙を折りたたんだのが signature です。それを重ねて1冊の本ができます。gathering とも quire ともいう、と辞書を見ると書いてありますけれど、同義語はともかく、なんでsignature というかというと、折丁の一番上のページの欄外に番号とか記号を「しるし」として書いて製本の便宜にしたことからだと思うのです。そのABCとか123みたいな折記号のことも signature といいます。(前の記事でいうと、イギリス初版のほうの『ハックルベリー・フィンの冒険』の本文第1ページの右下に B とある、それが折記号としてのsignature です(made の下)。

  つぎに、日本だと「扉」と呼ばれる部分、つまり口絵の前の「タイトル」のページは、英語(の本)だと half title [half-title] と呼ばれます。『パティー』の原書の場合だと、イラストの最初のパティーの口絵 (frontispiece) の1枚前の leaf にこの half title がしるされています。――

Patty-half-title.jpg

  基本、タイトルだけです。それも、略したタイトルである場合やタイトルページのタイトルとは異なる場合も多いのです。それで、しばしば洋書の場合に、正式なタイトルはどれか、ということで混乱が起きることがあります。カヴァーの標題と、ハーフタイトルのページの標題と、タイトルページの標題が全部ちがうということがありますから。しかし、著者名と一緒に記されたタイトルページの標題(図書館の説明文にある「標題紙標題」)が正式なタイトルなのだということになっています(自信99パーセント)。ちなみに『ハックルベリー・フィンの冒険』の場合、イギリス版初版のハーフタイトルは "Huckleberry Finn" だけであり、アメリカ版初版のハーフタイトルは "Adventures of Huckleberry Finn" となっていました。

  ここまでをまとめますと、まず cover (front cover) があり、pastedown, flyleaf があり、half title があり、frontispiece があり、title page があり、copyright page があり、(場合によって Dedication があり、)(場合によってここに Preface があることもあり、)(場合によってここに Acknowledgment(s) があることもあり、)  table of contents があり、(場合によって list of illustrations があり、)(場合によってここに Preface や Foreword があり、)(場合によってここに Acknowledgment(s) があり) ――以上が "front matter"――本体 "the body of the book" に進みます。front matter というのはたぶん日本でいう「前付」に相当するのだと思います。

  本体についてはあんまりくわしく説明することはないです。進行でいうと、最初に Introduction があったり、本文が終わって最後に End notes や Bibliography や Glossary や Index がついていたりする、ということです。そして、見開きページで眺めると、上の図で「柱」と呼ばれる部分は、英語だとページ上部のものが header(s) 、下部のものが footer(s) で、あわせて running heads と呼ぶこともあります。だいたいは左側の header は本のタイトルを反復し、右側の header は章のタイトルを反復します。そして、 header とは別に、page number(s) がページのtop や bottom やあるいはデザインによったら side に印されます(下が多い)。

  あとは・・・・・・中之島図書館の図にある「つめかけ」というのは大きな辞典・事典類で施される、図書館図の3の「小口」(英語で fore-edge)の紙を球状(?)にえぐってページをめくりやすくしたものですけれど、英語だと thumb index です。紙で仕切ったものもあって、それは tab と呼びます。

  あとは・・・・・・

  以上、メモ終わります。

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「「本」の部分の名称」 <http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/osaka/book_bui.html#orikaeshi> 〔大阪府立中之島図書館〕

「本の豆知識-製本用語解説-」 <http://www.nippoh-bb.co.jp/topics/index3.html> 〔日宝綜合製本株式会社〕


ヘイマーケット事件 The Haymarket Affair [φ(..)メモメモ]

前に記事「チョルガッシュ、ゴールドマン、無政府主義 Leon Czolgosz, Emma Goldman, and Anarchism in America [Marginalia 余白に]」や「ウォルター・クレインとメイ・デー(前) Walter Crane and the May Day (1st Part) [カリフォルニア時間補遺] 」で、1886年5月にシカゴで起こったヘイマーケット暴動について書きました。

  いまだに首謀者がわからないこの事件(諸説については英語のWikipedia "Haymarket affair" 参照)は、歴史的には "the Red scare" (大文字で "the Red Scare" というとアメリカ史では1919年から20年にかけての、国際的な共産主義の浸透をおそれた米政府による過激派外国人の国外追放、労働運動弾圧、数千名の共産党嫌疑者の不当逮捕の起こった「赤の恐怖」を指します)の端緒でした。

  事件の3年後に出版され、アナキズムをマルクス思想に根ざすものとして「赤の恐怖」をアメリカ国民に強く訴えるとともに、ヘイマーケット暴動について詳述したのが Michael J. Schaack のAnarchy and Anarchists: A History of the Red Terror, and the Social Revolution in America and Europe; Communism, Socialism, and Nihilism in Doctrine and Deed; the Chicago Haymarket Conspiracy, and the Detection and Trial of the Conspirators (Chicago: F. J. Schulte, 1889) (『アナキーとアナキスト――赤の恐怖と欧米における社会革命の歴史、コミュニズム、社会主義、ニヒリズムの教義と行動、シカゴのヘイマーケット策謀と陰謀者の捜査と審判』)でした。このシャーク(あるいはスカーク?)というひとはシカゴ警察の Captain (いちばん上のひとではないが、部隊を指揮していた)で、捜査や逮捕の中心人物でしたから、それなりに「偏り」があると想像されますが、この本の "commentary" 付きのpdf.ファイルがWEB にありました――"Homicide in Chicago :: Anarchy and Anarchists (1889)" <http://homicide.northwestern.edu/pubs/anarchy/>。でもファイル自体はただのリプリントみたい。でも付随する新聞の切り抜きとか、もうちょっと広いシカゴの文化史関連文書とか、あるいは本自体の多数の図版のリストとか、それなりに見やすく、興味深いです。

  このひとがピンカートン探偵社を使って捜査というか操作をしたり、偽証や買収などの不当なふるまいをしたことは立証されていて、ノーザン・イリノイ大学のどこぞのサイトに引かれている Frank Donner, Protectors of Privilege: Red Squads and Police Repression in Urban America  (Berkeley, CA: University of California Press, 1990), pp.12-22. などは、Schaack をさんざんに批判しています <http://www3.niu.edu/~td0raf1/history498/From%20Frank%20Donner.htm>。

  でも、逆に、ローカルには、警察が弛緩していたシカゴに数年前に赴任した Schaack がドイツふう軍隊風な規律をもちこむことで警察は立て直されたのであり、捜査においては「探偵」として英雄的な活躍をしたのだ、全米的には、彼の600ページに及ぶ詳しい著作によって反共・保守の思潮が高まったのだ、とする考えもあります。

  2006年に Death in the Haymarket: A Story of Chicago, the First Labor Movement and the Bombing That Divided GIlded Age America ( 『ヘイマーケットにおける死――シカゴ、最初の労働運動、金メッキ時代のアメリカを割った爆弾の物語』)を書いた歴史家 James Green のインタヴューが紹介記事 "The Haymarket Riot Remebered: NPR" <http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=5369420> で聞けます。

  以上、メモ。

  このごろとりわけ19世紀末から20世紀はじめにかけての風物の図版に昔以上に興味がわいてきていて、先日、10年以上前に買って本棚の奥に詰まっていた Album of American History という4巻だか5巻だかの大型ハードカバー本を数年ぶりにひっぱりだしました。James Thuslow Adams が主幹となって、たぶん第2次大戦中に編集されたもので、とりあえずひっぱりだすことのできた第3巻1853-1893 は1946年に出版されています。同じ Scribners 社から同じAdams がDictionary of American HistoryAtlas of American History の編集をしていて、姉妹編みたいなものかもしれません。

AlbumofAmericanHistory3-388s.jpg

  テクストは、まあ、なんというか、保守的な立場といえるかしら。「シカゴにおける戦闘的な8時間労働運動の結果として、ストライキ参加者と警察のあいだで何度か衝突が起こっていた。過激派グループによりビラが作成され、警察に対する報復と1886年5月4日のヘイマーケットでの大衆集会を呼びかけた。」というのがいちばん上のパラグラフ。そして3枚の画像それぞれにキャプション的な説明文があります。「集会当日、騒乱が予想される場所に、多数の警察予備隊が配置された。」 「警察が群集に散会を命じたとき、爆弾が投げられ、7人が死亡、多数の負傷者を出した。」 「犯人たちに対する民衆の反発のムードのなか、首謀者の8人が有罪判決を下され、左に示すように4人が絞首刑となった。」

  まんなかの絵は Harper's Weekly 1886年5月15日号からとられていますが、上下の2枚は Schaack の著書 Anarchy and Anarchists から引かれています。下の公開(?)処刑の図は645ページです。Schaack の本は他にも "Execution of the Nihilist Conspirators" 39ページとか、多分に扇情的に処刑シーンを入れているように思われます。サミュエル・ピープスの時代のように広場で "hanged, drawn, and quartered" というような演出(いちおう「Hanged, Drawn and Quartered――『あしながおじさん』のなかのサミュエル・ピープス(4) Samuel Pepys in Daddy-Long-Legs (4) [Daddy-Long-Legs] 」参照)がなされなくなった現代であればこそ、ジャーナリズムや出版が人々におよぼす影響力は強いのかもしれません。

  ちなみに、同じ Album of American History 第3巻の419ページには1889年6月8日の Leslie's Illustrated Newspaper からとられた "Electrocution" の絵があって、その記述によると、電気椅子による死刑はニューヨーク州で1888年に始まったのだそうです。A[lbert] R[ichard] Parsons (1848-87), August Spies (1855-87), George Engel (1836-87), Adolph Fisher (1858-87) の4人が、警官殺害を教唆したとして絞首刑に処されたのは1888年11月11日のことでした。死罪を宣告されていたLouis Lingg (1864-87) は一番若かったのですが、処刑前日に自殺しています。

  扇情的と書きましたが、人の死、とりわけ暴力的な死というのは、心をゆさぶるところがあります。8人の警官と少なくとも4人の労働者が死亡した(そして4人が刑死した)この事件を、"riot" と呼ぶか "massacre" と呼ぶか、"affair" と呼ぶか、あるいは犠牲者を "martyr" (殉難者)と呼ぶときに警官か、警官を含まないのか、立場によっていろいろでしょうが、さまざまに心ゆさぶる事件であったのは確かです。

AnarchistsofChicago(WalterCrane,1894)1024.jpg
Walter Crane, "Anarchists of Chicago" Liberty (November 1894)


彼と彼女、彼(女) He or She, S(he) [φ(..)メモメモ]

前のふたつの記事のおまけメモです。 

  英語を中心とするフェミニズム的ジェンダー意識から、たとえば one を he で受けていたのを he or she とか he/ she とか s(he) とかして「両性」化する運動というのは、結局のところ「無性」化ではないので、男女の違いを訴えることになるような気がする(そしてそれはそれでフェミニズム的にはいいのかもしれない・・・・・・違いがなければ平等を訴える必要もないから)。ひとつの問題は、男女の性差があいまいなマイノリティーのひとたちもいて、そこに二者択一的な性差を強調しているように見えることかしら。

  「かの」ということばを誰に対しても用いるというのはどうだろう(文法的にはむちゃくちゃだけど、でもモトカノみたいなかたちで「カノ」は(代)名詞化してるし)、とタワムレに夢想してみたのだけれど、考えてみれば、もともと「かれ」は男女両方とも指す日本語であって、わざわざ「彼女」というコトバをつくって男性を「彼」、女性を「彼女」に分割したのは明治以降のことであるらしい。もっとも、これそれあれどれ的なノリのことばと「かれ」はつながっていただろうから、人間の主体性とか個体主義的な感覚を「彼」が本来もっていたとは思われないし、西欧の文献の翻訳のうえでの必要性というだけでなくて、それと同時に日本が受け入れてきたヨーロッパの近代的個人主義のためには確固とした人称代名詞が必要だったのかもしれない。

  で、いろいろ読んで勉強になりました。メモリマス。

☆「「彼=彼女(かれ/かのをんな)」表現について」 (『言葉と身ぶり』、和井府清十郎さんの『綺堂事物』内 <http://hansichi.hp.infoseek.co.jp/contents/kare.html>)――明治期における3人称表現の変遷について、「かのおんな」が「かのじょ」へ移行した可能性と、「かれ」が女を指す用例など。

☆「彼女より古い彼」 (「エッセイ集」、MARU さんの、現在の日本語の環境の中で育つ子供たちの
言葉の発達について考えるサイト『ことの葉』内、平成14年1月) <http://www.geocities.co.jp/Technopolis/8625/essay5.htm>)――「はっきり主語を示すという、元の言語の性質までは日本ではなじまなかったよう」だし、「個人を尊重し一個の人格として見るという考え方が「彼」「彼女」に見られないこともない」が、「各自の役割が重要な意味をもつ家族関係においては、「彼」「彼女」の出番はこれからもなさそうに思う」ことなど。

☆「彼或は彼女」(Ludwig D. Omen さんのブログ『日常的な、余りに日常的な』2009.7.8 <http://omen.seesaa.net/article/123041988.html>) ――「三人称単数/複数の無性を意味する、或は性別を特定しない様な、新しい言葉が欲しい」。性差別意識と、「「he or she」ではなくて新しい三人称単数の無性形の単語を創ってそっちをプッシュすればよかったのにと思う」ことなど。

☆「かれ - ウィクショナリー日本語版」 <http://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%8C>
☆「彼女 - ウィクショナリー日本語版」 <http://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BD%BC%E5%A5%B3> ――「西欧語の三人称女性を翻訳するのに案出された語か」(語源)。

☆「正しい日本語~彼氏彼女編~」 (ブログ『ゾフィーの世界~背中に迫るあの声に振り向かずにGAROL~』2010.1.27 <http://ameblo.jp/hanafusa-prdxish/entry-10444229311.html>)

☆「「彼女」と「彼氏」」 (『英文法道場』 2007.12.26 (高2スーパー英語総合II(文法・作文)・第2課のオマケ話)
<http://blog.livedoor.jp/eg_daw_jaw/archives/51226815.html>)――もっぱら英語中心に考えるところが英語教師的かも。

  ところで「彼(女)」という書き方をするのか、というのが気になっているのですが、わかりませんでした。

  前も書きましたが、天使は「無性 sexless」 ということになっていて、でも He とか She で呼ばざるを得ないという不条理があります。

  (23時追記)なんだか日本人として日本語の問題をこそ考えねばならんなあという気が強くなってはいますけれど、とりあえず、ただの知識として、キリスト教の神の3つのペルソナは、「父なる神」 God the Father と、「子なる神」は God the Son、イエスですから息子、そして、しかし、第三の位格「聖霊なる神」がくせもので、霊的なものをしばしば女性原理と結びつける指向があったように思われるところが興味深いのです。それはまたそれで、機会があれば。


母と娘の会話 A Conversation Between a Mother and a Daughter [φ(..)メモメモ]

June 10, 2010

 むかしカリフォルニアではよく会話を記録したものだった(遠い目)。

 午後に仕事が終わって、地下鉄から直通でのんびり帰ろうとして、でも自宅の駅から3つくらい手前までしか行かない電車だったので、ホームでしばらく待ってから乗り換えた電車の、左隣に座っていた自分の家族ではない母と娘の電車の中での会話を、数独の余白に書き記したもの。小学校4年生くらいの女の子と、なんかピンを薄い金属板で割って開いて小さなアクセサリー(用の飾り)をつくる内職みたいなのをその娘と共同で電車内でやっていた若いお母さんとの会話――

娘「東武動物公園ってなあに?」
母「・・・・・・」
娘「頭が動物になるって」
母「ちげーよ。そのトーブじゃねーよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

娘「ママ死んだらやだよ」
母「なんで。お化けになるから?」
娘「うん。おどかさないで」

  そのあと娘への愛をママは語っていたのだが、その言葉は数独の余白にはメモられていない。

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お気に入りの数独ページ――

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天にまします我らの父――主の祈り Our Father in Heaven: Lord's Prayer [φ(..)メモメモ]

〔「『あしながおじさん』における神 (第3のノート)」のつづき〕 

「主の祈り」は、プロテスタントでもカトリックでも唱えられる、キリスト教徒の祈祷文の中心的なもので、それはイエス自らが「山上の垂訓」において弟子たちに教えた祈りであった(マタイ福音書)からです。

「主の祈り」-Wikipedia <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A>
"Lord's Prayer"-Wikipedia <http://en.wikipedia.org/wiki/Lord%27s_Prayer>
「主の祈りについて」-WikiForJ (by Shinri Nomachi) <http://gospel.sakura.ne.jp/wikiforj/index.php?%BC%E7%A4%CE%B5%A7%A4%EA%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6>

プロテスタント訳を引いておきます。――

天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
Our Father, which art in heaven,
hallowed be thy name;
thy kingdom come;
thy will be done,
in earth as it is in heaven.
Give us this day our daily bread.
And forgive us our trespasses,
as we forgive them that trespass against us.
And lead us not into temptation;
but deliver us from evil.
For thine is the kingdom,
the power, and the glory,
for ever and ever.

    つまり、「主 Lord」というのは、旧約で神であり新約でイエス・キリストでありうるわけでしょうが、「主の祈り」の「主」はイエスであり、イエスが「我らが父」と神を呼んで、人々とともに唱えるわけです。

  (1) ウィキペディアを読むまで知らなかったのですけれど、「天にまします我らが父よ」という、プロテスタントとカトリックが共有していた文句はカトリックのほうでは21世紀になって変わったのですね(あ、あくまで――う、不吉な・・・・・・あくまで追求するぞ――日本語問題)。

  (2) 三位一体的に "For thine is the kingdom, and the power, and glory, of the Father, and of the Son, and of the Holy Spirit, now and ever and unto the ages of ages" と唱える文言は東方教会において付加されたもの――日本語ウィキペディアにおいて、日本聖教会の「天主経」で司祭がいるときに「以下司祭朗誦・高声」として記されている文言――

けだし國(くに)と權能(けんのう)と光榮(こうえい)は爾(なんじ)父(ちち)と子(こ)と聖神゜(せいしん)に歸(き)す、

今(いま)も何時(いつ)も世々(よよ)に。

  (3) そうすっと、この「父」は、子のイエスが「我らが父」として神をさしているのだけれど、「子なる神」であるがゆえに「父」と呼ぶのではなくて、我らが(私(イエス)と人間の)父として「父なる神」をイエスは言挙げしている。だけど共通の「父」として神を呼ぶには、やっぱ人間はためらわざるを得ない、ということですか。

  それでも「天上の父」(神)と「地上の父」(人間)は類比的に捉えられて、人々を悩ますことになったのでした。たぶん。

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〔2010年8月11日記〕

記事「天の父と地の父(母と娘の会話)――『若草物語』のばあい Your Heavenly Father and Your Earthly Father in _Little Women_: A Conversation Between a Mother and a Daughter」、そしてそれに並ぶ「天の父と地の父――『緋文字』のばあい(1) (母と娘の会話) Your Heavenly Father and Your Earthly Father in _The Scarlet Letter_: A Conversation Between a Mother and a Daughter」につづいていきます。


最新記事一覧(このごろの記事一覧)などの文字数を長くする (So-net ブログ) [φ(..)メモメモ]

昨日(2010年8月11日)から、このブログとその前のブログ『カリフォルニア時間』の「最新記事一覧」の表示文字数を増やしてみた。デフォルトだと一行におさまるように設定されていて、個人的には短すぎるのでした(記事の差がつかないこともあったりして(爆)。

  管理ページ⇒デザインレイアウト⇒最新記事一覧⇒(右上の)コンテンツHTML編集⇒〔上級者向けと表示が出る〕7行目にあるのが <li><a href="<% article.page_url %>"><% article.subject | shorten(17) | html %></a></li>

   この17というのは17文字なんすかねー。これをとりあえず100に増やしました。

  結果(例)――

(前)
WS000579.JPG

(後)
WS000580.JPG

WS000581.JPG


  カリフォルニア時間のほうも、長いタイトルの全貌がアラワになりました(w)。――

WS000578.JPG

  ま、タイトルは短いほうがよいという考えもあるかもしれませんが、自分的にはとっても満足なのでした♪

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ねんのためブログの「使い方マニュアル」ページ―― <http://blog-help.blog.so-net.ne.jp/>

そのページで「最新記事一覧」を検索する―― <http://blog-help.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E6%9C%80%E6%96%B0%E8%A8%98%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7>  なぜか、「CSSセレクタ(タグ)一覧」が出てきます(勉強せねばわからず)。ところで、ここで気づいたのですけど、レイアウトのページのカスタムペインは「最新記事一覧」という題だけれど、ブログ上では「このごろの記事一覧」となっていてズレがあるのですね。ちなみに最新にしてもこのごろにしても『カリフォルニア時間』のほう、1年以上ほっぽっています。どうしよう。写真も、ソネットのPhoto なんたら自体がなくなったんで、そこからのブログ・サービスも消えちゃったし・・・・・・。カリフォルニアの空の写真はだいたい残っているけれど、サンフランシスコ動物園や大古本市の記事は悲惨。

PS.  すぐあとで見直してわかったのですけれど、このブログのほうは「最新記事一覧」となっていました。「このごろの記事一覧」は前のブログのほうでした。この1、2年でカスタムペインの名称が変わったからか、時間がたつとタイトルが変わるのか――たぶん前者でしょうね。後者はこわいゎ。


オープン・ライブラリー Open Library [φ(..)メモメモ]

『緋文字』の英語原文テクストを――本を見ながら打ち込むのがめんどくさかったので――探しているときに、つぎのようなページに出くわしました。――

The scarlet letter (Open Library) <http://openlibrary.org/works/OL455305W/The_scarlet_letter>

  はじめに "About the Book" として数行の要旨があり、その下に "SUBJECTS" として該当キーワード(リンク)が列挙されます。それから "PEOPLE"(人物) と "PLACES"(舞台) と "TIMES"(時代)。全部複数形なのは共通項目名称だからなのでしょう。

WS000582.JPG
<http://openlibrary.org/works/OL455305W/The_scarlet_letter>

  個々のテクストの見出しとしては、出版年、出版社、そしてタイトルのあとに "in English" とか "in Spanish" とか "- [1st ed.]" とか "- Vignette ed. with ... ill. / by Frederick C. Gordon. " など、記されていたりいなかったりします。

WS000583.JPG
<http://openlibrary.org/books/OL7253386M/scarlet_letter>

  フォーマットとしては、つぎのように並んでいます。――

 

  ちょうどカリフォルニアに行った2008年ぐらいから、Internet Archive を愛用するようになったモーリちゃんの父でしたが、実際に開けてみないと、何年の版なのかわからないことがしばしばでしたので、この記述、とくに出版年と出版社の記述、が正しいのならば、たいへん便利です。

  ちなみに Internet Archive で 『緋文字』をテクスト検索すると、60しかヒットしませんし、オーディオなど他のメディアを入れても89しかヒットしません――

"Internet Archive Search: The Scarlet Letter" <http://www.archive.org/search.php?query=The%20Scarlet%20Letter>

  Frederick C. Gordon の挿絵の入った上の本のフォーマットは、以下のようです。――

Read Online (~372 pg)
PDF (31.1 M)
EPUB (~372 pg)
Kindle (~372 pg)
Daisy (~372 pg)
Full Text (499.0 K)
DjVu (14.8 M)

  ちょっと調べてみたら、そもそもこの Open Library の企画は Internet Archive から派生したもののようで。2006年に始動し、2010年5月にページがデザインし直されたみたい。HPトップ――

"Welcome to Open Library! (Open Library)" <http://openlibrary.org/>

  看板には "Ever wanted to play librarian? / It's OK.  We all do." (図書館司書をしてみたいと思ったことはないですか? だいじょうぶ。わたしたち皆が司書です。) そして "If you love books why not help build a library?" (愛書家ならば図書館をつくるのを助けてください) と。

  "About Us" の最後には "Open Library is a project of the non-profit Internet Archive, and has been funded in part by a grant from the California State Library and the Kahle/Austin Foundation." と書かれています。

  もうちょっと探索してから書くべき記事だったかもしれませんが・・・・・・メモメモ。

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Open Library <http://openlibrary.org/>

"Open Library - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Open_Library>

"Internet Archive Search: Open Library" at Internet Archive <http://www.archive.org/search.php?query=Open+Library>

 


Nature Fakers (by John Burroughs and Theodore Roosevelt) [φ(..)メモメモ]

                      [The] line between fact and fiction is repeatedly crossed and [. . .] a deliberate attempt is
                      made to induce the reader to cross too [. . .] Mr. Thompson Seton says in capital letters that his stories are true and it is this emphatic assertion that makes the judicious grieve.
—John Burroughs on Ernest Thompson Seton's Wild Animals I Have Known, in "Real and Sham Natural History," Atlantic Monthly, vol. 91, no. 545 (March 1903), p. 299

                     True it is that all the animals whose lives are portrayed… are simply human beings
                   disguised as animals; they think, feel, plan, suffer as we do… But in other respects they follow closely the facts of natural history and the reader is not deceived.
—John Burroughs on Charles D. Roberts' Kindred of the Wild, in "Real and Sham Natural History," Atlantic Monthly, vol. 91, no. 545 (March 1903), p. 299
 

今日は学会に行ってきました☆ 

えーと、モーリちゃんの仮面ないしモーリちゃんの父の仮面(わけわかめ)を脱ぐ気はないのだけれど、カリフォルニアにおらないで日本にいると、いろんな人間関係のしがらみが日常的時間を構成するわけで、カリフォルニア時間を気取るに気取れない環境なわけです。

で、ジョン・バローズの名前が聞こえてきたわけではないのだけれど、自然主義作家(だけどえらく長生きした)セオドア・ドライサー (Theodore Dreiser, 1871-1945) が同じ自然主義作家のジャック・ロンドン (Jack London, 1876-1916)を "pseudo-realistic heroes" (擬似リアリズムの英雄) のひとりとして "equal parts of realism and romance, mixed to suit the current popular taste" (当世の大衆趣味に迎合すべく等分にリアリズムとロマンスを混合)と注記した(これは1930年の American Specutacular においてだそうですが)コメントを聞いて、今日のいわゆるネイチャー・ライティングと称されるジャンルに19世紀末から「リアル」な装いで新たな動物物語として入り込んできたアーネスト・シートン (Ernest Seton, 1860-1946) やウィリアム・ロング (William Joseph Long (1857–1952) の「ロマンス romance」化、「擬人主義 anthropomorphism」化を批判したジョン・バローズの 1903 年のエッセイ "Real and Sham Natural History" を思い起こしていました。"natural history" というのは日本語は長らく「博物誌」と訳されてきたことばです。 "nature fakers" というフレーズはこのエッセイには出てこないのですけれど、"Nature Fakers Controversy" として少なくとも1900年代を通じて論じられる起点となったのがバローズのエッセイでした。

このエッセイが掲載された雑誌 Atlantic Monthly の91号はにゃんと Internet Archive で読めます(pp. 298-309)。いや、実は仕事場に、ちゃんと原本もあるのですけれど。――

<http://www.archive.org/stream/atlantic91bostuoft#page/298/mode/2up/search/Sham>

読み返してみても、ジャック・ロンドンの名前は挙がっておらないけれど、同じ1903年にロンドンの有名な『荒野の呼び声 The Call of the Wild』が出版されていて、それも批判の対象になっていると、Wikipedia には書かれています。まー論争は数年続いたようなので、そのなかで最初のエッセイに挙がっていない著作も議論の対象になったということかもしれません。

ジョン・バローズと親交のあったセオドア・ローズヴェルトは1907年に Everybody's Magazine 誌上に "Nature Fakers" と題するエッセイを載せて、バローズにくみする論を展開することになります。それで、いつからか知らんけど、バローズの提起した問題を "nature fakers" 議論と呼ぶらしいです。

バローズはアメリカのネイチャー・ライティングの流れでいうと、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー (Henry David Thoreau, 1817-62) を継ぐ naturalist、ということはエマソンみたいに書斎派の観念的自然論者じゃなくて、実際に自然の中に身を投じてリアルなものを観察しつかみとろうとしたタイプの人だったといえると思います。

で、とりあえずバローズのE-text をリンクしておくのがこの記事の主旨なのですけれど、ついでに思いつきをメモっておきますと・・・・・・

1) 自然主義とリアリズムはイコールでは結ばれないけれど(どちらも定義が不明すぎるのが最大の理由、つーかコトバがちがうやろ、みたいなのが単純な理由)、可視的自然を「幻」とか「仮象」とか見ず、個別のモノ res を「物自体」みたいなイデア化された超越的なものの変奏みたいには見ないで個的に重視するところは重なるような気がします(いや、わからんが)。 

2) フィクション (fiction) か事実 (fact) か、という「文学」にかかわる問題。よくわからんが、長生きしたドライサーに対する文学史的「自然主義」レッテルからの選り分け問題だけでなく、やっぱりローカルカラー&自然主義作家のハムリン・ガーランド (Hamlin Garland, 1860-1940) の、1905年の変節とか言われる、スピリチュアリズムへの転向(でも実は若いころから関心をもっていたことが明らか)後の彼の作品 The Tyranny of the Dark (1905) やらThe Shadow World (1908) やらなんたら(交霊会を扱った作品)がノンフィクションかフィクションかみたいな――これらってハートの有名な Oxford Companion to American Literature では小説扱いされていないのです。

3)  なんか書こうと思っていたのですけれど、忘れちった。思い出したら書きます。残念。あー、博物学者 naturalist は自然主義論者 naturalist とイコールではないですけれど、ダーウィン以来の科学的な naturalism の要請するものは文学においてすら "fake" を排除するということかなあと。

 

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"Nature fakers controversy - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Nature_fakers_controversy> 〔対応日本語記事なし〕

John Burroughs, "Real and Sham Natural History."  Atlantic Monthly 91 (545) ([March] 1903): 289-309.  <http://www.archive.org/details/atlantic91bostuoft>

Jack London, "The Other Animals."  <http://london.sonoma.edu/Writings/Revolution/animals.html> 〔ジャック・ロンドンの反論。1908年〕

Jack London International HP <http://www.jack-london.org/>〔ドイツのグループのサイト、英語とドイツ語〕

"Jack London's The Call of the Wild: “Nature Faker”?" EDSITEment - Lesson Plan <http://edsitement.neh.gov/view_lesson_plan.asp?id=434>

"Ernest Thompson Seton - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Ernest_Thompson_Seton> : "Seton was an early pioneer of the modern school of animal fiction writing, his most popular work being Wild Animals I Have Known (1898), which contains the story of his killing of the wolf Lobo. He later became involved in a literary debate known as the nature fakers controversy, after John Burroughs published an article in 1903 in the Atlantic Monthly attacking writers of sentimental animal stories. The controversy lasted for four years and included important American environmental and political figures of the day, including President Theodore Roosevelt.[6]"


新規蒔き直し New Deal [φ(..)メモメモ]

帰宅してQさまを見ていたら、「正しい言い回しを選べ」で

新規 XXXX を図る

のXXXXに入るのが、

巻き返し

か、

蒔き直し

か、

という問題があり。

誰も回答する前に止まってしまったのだけれど、ちなみに、という解説では、

新規蒔き直し 

(もう一度新しくやり直すこと)

 「新たに種を蒔くことからできたことばなんです」というのが天の女神さま(だかなんだか知らんが)の声でした。

 

え゛~~っ!!

新規まき直しって、セオドアじゃなくてフランクリン・ローズヴェルトの New Deal の訳語で、トランプのカード配りから来てるんじゃなかったの~。

と、広辞苑で「まきなおし」を見たら、「蒔直し」で、つぎのように書かれておった。

①改めて種子をまくこと。
②改めて始めからやり直すこと。傾城買二筋道「これは―と見へたり」。「新規―」

用例の『ケイセイカヒフタスヂミチ』というのは江戸時代の洒落本で、寛政10年(1798年)の完成だそうです。

ふーん。まー、なんでトランプの札配りを「まく」というかは、考えてみればヘンだし、ヘンだと思ったこともあったような気もするのだけれど(でも「撒く」という感じ=漢字仮名かなーと思ったときもあった)、そうなると、「新規」という形容辞が付く表現はともあれ、「まき直し」自体は「蒔き直し」という日本語として遅くとも江戸期からあって、それがニューディール政策の訳語に応用されたのです(か)ね。


柳のように細い Slender as Willow; Slender as a Willow Shoot; Slender as a Willow-Wand; Slender as a Willow Tree [φ(..)メモメモ]

柳腰問題からの枝分かれ記事です。

以前、(1年前の)記事「オフィーリアと柳 Ophelia and the Willow Tree [Marginalia 余白に]」で絵画を並べたように、柳の木自体はどうやらブットイものも、特にイギリスにはあるらしいのでした。

  それで、英語のフレーズとして "as slender as willow" でググル検索したところ、66件。あー、冠詞がないのもなんだなー、と "as slender as a willow" でググったところ、約18200件ヒットしました。そして、その結果は "as slender as a willow shoot" というつながりがとても多かったのでした(それか、トールキン J. R. Tolkien の『指輪物語』のなかの詩 "Fair Lady Goldberry" にあるような "slender as a willow-wand")。 "shoot" というのは若枝です。"wand" というのは特に魔女や魔法使いや妖精が使うような細い杖(というかしなやかな細枝)のことをいう場合が多いです。

   あー、でも "as slender as a willow tree" でググって1480件はありますね。〔でも似たページ除外で19件〕

  意地になって "as slender as a willow shoot" でググって、5290件。〔でも似たページ除外で142件〕

  "as slender as a willow wand" でもハイフンをつけた "as slender as a willow-wand" でも、5950件。〔でも似たページ除外で88件〕

   で、日本の柳が細いイメジなのか、それとも別の含みをもっているのか、わかりません。

    とりあえず二次メモ的に、自分が柳腰をイメジする鈴木春信を2枚だけ貼っておきます。

SuzukiHarunobu-Yorigiku.jpg

Suzuki_Harunobu_001.jpg

 


スズ、ブリキ、トタン、シロメ Tin, Tinplate, Galvanized Sheet Iron, Pewter [φ(..)メモメモ]

「ブリキの兵隊」と書いたのを「錫の兵隊」と書いて、あー、そーいえば、「鉛の兵隊とてちてた」というのもあったなー、と不意に金属に関心が沸いたので、私的にメモっておきたいと思います。

 スズキ、ブリ、ボタンエビ、シロミ、というと寿司のネタ(タネ)みたいですけど、ハードにちがいます。

スズは炭素族の金属元素で元素記号 Sn、原子番号50、原子量 118.7。英語は tin。錆(サビ)を生じず、常温では光沢を失なわない(強く熱すれば酸化されるけど)。との合金ははんだ。銅との合金が青銅

ブリキはスズをメッキ(鍍金)した薄い鉄の板。もとはオランダ語の blik。「錻力」などと当て字(『厚生新編』〔19世紀前半に邦訳された原書はフランス語の『家事百科辞典』の蘭訳本〕)。

トタンは亜鉛でメッキ(鍍金)した薄い鉄板。ペルシア語起源でポルトガル語から転訛(『日葡辞書』で「タウタン」)。

シロメというのは漢字だと「白鑞(ビャクロウ・ハクロウとも読む)」「白目」。「白鑞」はスズ、またはスズと鉛の合金を言う(と辞書にはあります)。「シロメ」自体は、①銅と亜鉛の合金で、鉄、アンチモン、砒素などを含む、②アンチモンを主成分とした砒素を含む鉱物名で、合金の中に混ぜて用いられる、③スズを主成分とする、鉛との合金で、鉄、亜鉛、アンチモンなどを少量含んでいる。で、英語のpewter というのは昔の文学作品とか読んでいるとときどき出てくるのですけれど、もともとは鉛とスズの合金だった(③)ものが、18世紀にイギリスで、主成分スズに加えていた鉛に変えてアンチモンとなり、その後スズ+アンチモンが主流になったようです。

  スズでよくわからんのは、もともとは銀と鉛の合金をラテン語で Stannum [→Sn] と呼んでいたものが4世紀に元素名となったことです。まーアンチモン〔ドイツ語で Antimon、 英語だと antimony: 原子番号はスズの次の51、原子量121.75。別名の stibium [L<Gk<Egypt] → Sb〕だって錬金術師たちからは怪しい扱いをされていたのかもしれませんけれど・・・・・・。

  とりあえず、錬金術における金属の、惑星と対応する構成は、鉛 (lead)=土星 (Saturn)、錫 (tin)=木星 (Jupiter)、水銀 (mercury) [quicksilver]=水星 (Mercury)、鉄 (iron)=火星 (Mars)、銅 (copper)=金星 (Venus)、銀 (silver)=月 (Moon)、金 (gold)=太陽 (Sun) なのでした。

  あー、ふと思い出しましたけど、真鍮というのも有名ですね。真鍮は英語だと brass です。銅が主で亜鉛を入れた合金です。

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「スズ - wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BA>

「ブリキ - wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AD>

「トタン - wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%BF%E3%83%B3>

「ピューター - wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC>

「アンチモン - wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A2%E3%83%B3>

「黄銅 〔真鍮〕 - wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E9%8D%AE>


タックルベリー Tackle Berry [φ(..)メモメモ]

今日なぜか、なぜかほんとは休みの日だったのに、なぜか大学を見て回るツアーに参加して、朝の9時過ぎからなぜか桜上水近くの日大文理学部に、そして、昼になぜかマイクロバスに乗って午後は日吉の慶應義塾を訪問しました。で、訪問記を書く気はとりあえず毛ほどもないのですけれど、午後1時過ぎに綱島街道を走っているときに、右手に「つりばり」「中古タックル」・・・・・・「タックルベリー」の看板がなぜか見えて、なんじゃそりゃ、と思ったのでした。木月3丁目あたり。

  ®Tackle Berry と看板には書いてあるように見えたのでしたが、帰宅後調べたら、@Tackle Berry みたい。なんじゃそりゃw。

  タックルベリーはウィキペディアにも載っていて、神奈川県藤沢市に本社を置く、全国展開の釣具リサイクルのチェーン店なのだそうです <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC>。「中古タックル」の「タックル」は、とりあえず『広辞苑』ではまだ拾っていない、ということは日本語のカタカナ言葉としてはあんまり認知されていないだろう意味で、ここでは「釣り道具」の意味です。

  でも動詞の tackle のほうから名詞で意味が生じた、ラグビーなどの「タックル」が、少なくとも日本語では有名ですし、英語の tackle は、道具全般を意味する言葉としてあったみたい。だから、馬具のことも tackle と呼ぶし、弓矢のことも tackle と呼ぶ。あと海事関係で、とくにロープに関わるもの、ロープと滑車の組み合わせみたいなの(いわゆる「索具」)を意味するようになったみたいで、そこから、いろんな意味で「取り組む」ことを意味する動詞にもなったみたい。

  で、ウィキペディアには書いてないけれど、明らかにマーク・トウェインのハックルベリーのもじりですよね。英語は "Tackel Berry" なのに、日本語は「タックル・ベリー」というふうに中黒を入れないで「タックルベリー」とするところもわざとらしいw(かもしれない)。

  で、「ムーン・リバー Moon River」の "my Huckleberry friend" というフレーズが自然と浮かぶわけですが(あー、それはこのごろカポーティーの『ティファニーで朝食を』を読み直しているからでもあります)、タックルベリーは "Berry Girls" というお友だちを展開しているようです。ウィキペディアは2010年までカバーしていないみたいなので、とりあえず、今年のバナーとメンバーページを――

BerryGirls2010.jpg
image via 「ベリーガールズのハートベリー日記ブログ」 <http://www.tackleberry.co.jp/girls2010/index.cgi?pid=0>

  しかし・・・・・・こうして「タックル」はどこかへ飛んで、もっぱら「ベリー」が前面に出るのは、皮肉と言うべきか。ことばってやつは。

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「タックルベリー - Wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC>

「タックルベリー 中古釣具専門店」HP <http://www.tackleberry.co.jp/index.html>

「ベリーガールズのハートベリー日記ブログ」 <http://www.tackleberry.co.jp/girls2010/index.cgi?pid=0>

山岡吹雪★ふぶきちの【ふぶログ】 ――リニューアルした例のあれです。」 <http://ameblo.jp/monster77/> 〔2010ベリーガールズのひとり山岡吹雪ちのブログ(ブログジャンル:へべれけ/釣り)〕


ハウエルズの『批評と虚構』 _Criticism and Fiction_(1891) by William Dean Howells [φ(..)メモメモ]

南北戦争後のアメリカ文壇の大御所だったウィリアム・ディーン・ハウエルズの小説論。

William Dean Howells.  Criticism and Fiction.  New York: Harper, 1891.  188pp.

E-text @Gutenberg <http://ia331329.us.archive.org/3/items/criticismandfict03377gut/3377.txt>

Google read-on-line e-text (Harvard U Library) <http://www.archive.org/stream/criticismandfic01howegoog#page/n9/mode/2up>

   紙のリプリントとしては、(自分がもっているのは)自然主義作家のフランク・ノリスの The Responsibilities of the Novelist (1903) と一緒にしたペーパーバックがあります――Ciriticism and Fiction by William Dean Howells/The Responsibilities of the Novelist by Frank Norris.  New York: Hill and Wang, c1967 [American Century Series 83]. 320pp.  グーテンベルクじゃないほうの read-on-line のテクストと比べてみると、ハウエルズのほうは初版のファクシミリ版であり、かつページ番号も同じでした。ノリスのほうは続けて190ページから320ページまでにおさめられていて、ページ番号だけ変えたのでしょうか。不思議だわ~。

I confess that I do not care to judge any work of the imagination without first of all applying this test to it.  We must ask ourselves before we ask anything else, Is it true?--true to the motives, the impulses, the principles that shape the life of actual men and women?  This truth, which necessarily includes the highest morality and the highest artistry--this truth given, the book cannot be wicked and cannot be weak; and without it all graces of style and feats of invention and cunning of construction are so many superfluities of naughtiness. (ch. 18, p. 99)
(なんであれ想像力による作品を判定するのに、つぎのような試験を最初に適用することなしには行なわないということを告白しよう。われわれが何よりもまず自問しなければならないのは、それは真実か?――実際の男と女の生を形作る動機、衝動、信義に対して真実であるか?という問いである。この真実は、必然的に最高度の倫理性と最高度の芸術性を内包するものだが、この真実さえ与えられれば、その本が悪いということはありえず、弱いということはありえないし、逆にそれがなければ、どんなに文体が優美で創意の才があり構成が巧みであっても、それだけ下品を上塗りするだけということになる。〔ウィリアム・ディーン・ハウエルズ『批評と虚構[小説]』 (1891) 第18章〕)

 

 

 criticismandfic01howegoog_0215.jpg

 

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Project Gutenberg Etext of The Entire PG Edition of W. D. Howells @Gutenberg <http://ia331337.us.archive.org/3/items/completeprojectg03400gut/whewk11.txt>


ノリスの『小説家の責任』 _The Responsibilities of the Novelist_ by Frank Norris [φ(..)メモメモ]

南北戦争後のアメリカ文壇の大御所だったウィリアム・ディーン・ハウエルズは幅広くリアリズム文学を称揚し、いろんな作家を発掘・奨励・称賛して世に出したのですけれど、自然主義作家のフランク・ノリスもハウエルズに高く評価されました。そのノリスの小説論は、しかし、リアリズムを批判するものでした。

Frank Norris.  The Responsibilities of the Novelist and Other Literary Essays.  New York: Doubleday, 1903.   311pp.

Google read-on-line e-text (U of Michigan Library) <http://www.archive.org/stream/responsibilitie00unkngoog#page/n10/mode/2up>

MSN read-on-line e-text (Cornell U Library)
<http://www.archive.org/stream/cu31924027190960#page/n0/mode/2up>

 

   紙のリプリントとしては、(自分がもっているのは)リアリズムを唱導したハウエルズの Criticism and Fiction (1891) と一緒にしたペーパーバックがあります――Criticism and Fiction by William Dean Howells/The Responsibilities of the Novelist by Frank Norris.  New York: Hill and Wang, c1967 [American Century Series 83]. 320pp. 
  ノリスの、この死後出版のエッセイ集は、25のエッセイを収めています。あと、ノリスの著作の文献目録が、初版の最後には収められています(上記のペーパーバックは、ハウエルズの著作とは違って、ページを縮めて版を再構築しているし、ビブリオも省略しています(まあ、本の主旨からして、妥当ですけど)。
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  フランク・ノリス (1870-1903) はカリフォルニア大学を1894年に卒業、東部に母親とともに(というのは大学在学中に両親が離婚して、父親は再婚し、ノリスは母親といっしょに暮らしていた)引っ越してハーヴァード大学の大学院で、L・E・ゲイツの指導のもとに創作を勉強しました(ハウエルズに認められ作家としての地位を確立することになる長篇小説『マクティーグ』 (1899) はゲイツに捧げられています)。
 
  この『小説家の責任』のなかの最も有名なエッセイは "A Plea for Romantic Fiction" だと思います。ノリスは、リアリズムと対立するものとして自らの小説を規定しようとして、自分の自然主義は「新しいロマンスの形式」だと言います。瑣末な日常の細部にこだわる ("Realism is minute.") リアリズムを否定したノリスが求めたのは、なんか、超越的とはいわずとも、原理的なものだったのでしょうか。しょうね。
  
  ということで、なんとなくつづくかも。

花くらべ(上田敏 訳) Ueda Bin's Translation of a Poetry [Perdita's Catalogue of Flowers] from _The Winter's Tale_ [φ(..)メモメモ]

直前の記事「ペルセポネ(プロセルピーナ)の話(下)――春を告げるもの(ウォルター・クレイン)の余白に」で引いたシェークスピアの『冬物語』の一節。――

PERDITA: [. . .]
I would I had some flowers o' the spring that might
Become your time of day;―and yours, and yours, and yours,
That wear upon your virgin branches yet
Your maidenheads growing:―O, Proserpina,
For the flowers now, that, frighted, thou lett'st fall
From Dis's wagon! daffodils,
That come before the swallow dares, and take
The winds of March with beauty; violets dim,
But sweeter than the lids of Juno's eyes
Or Cytherea's breath; pale primroses,
That die unmarried, ere they can behold
Bright Phoebus in its strength,―a malady
Most incident to maids;
bold oxlips, and
The crown-imperial; lillies of all kinds,
The flower-de-luce being one!  O, these I lack
,
To make you garlands of; and my sweet friend,
To strew him o'er and o'er!

  この第4幕第3場パーディタの台詞の、プロセルピーナへの呼びかけのあとの、ちょうどダフォディルのところからの10行弱を、上田敏は「花くらべ」として訳し、有名な『海潮音』(明治38年)にいれました。『上田敏全訳詩集』の編者たち矢野峰人と山内義雄の「解題」によれば、試訳が明治36年5月の『青年界』所載の「英詩花話」に挿入され、その後に推敲をくわえて38年の『白百合』(ニノ四)に掲げられたそうです。『海潮音』が本郷書院から出版されるのが明治38年10月のことです。上田敏は明治7年10月30日の生まれですから、満年齢だと若干30歳〔あ、弱冠は20歳ですね〕。冒頭のイタリアのダンヌンツィオの「燕の歌」とかはアーサー・シモンズの英訳からの重訳だったりしますけれど、フランス語やドイツ語もも堪能であったことはまちがいなく、英語もよくできたひとだった思います。つーか、東大の英文科(東京帝国大学英吉利文学科)を出て大学院で小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に直接習ったのでした。しかし、『海潮音』のころだと、その自序に言うように「収むる所の詩五十七章、詩家二十九人、伊太利亞に三人、英吉利に四人、獨逸に七人、プロワ゛ンスに一人、而して仏蘭西には十四人の多きに達し」と、フランス詩に集中しており、アメリカは零(ポーもだぜ)、そしてイギリスはロバート・ブラウニング(5編)、クリスティナ・ロセッティ(1)、ダンテ・ゲブリエル・ロセッティ(3)とシェークスピア(1)のみです。

    花くらべ

                       ヰリアム・シェイクスピヤ

燕も來ぬに水仙花、
大寒(おほさむ)こさむ三月の
風にもめげぬ凛々(りゝ)しさよ。
またはジュノウのまぶたより、
ヰ゛イナス神(がみ)の息(いき)よりも
なほ(らふ)たくもありながら、
菫の色のおぼつかな。
照る日の神も仰ぎえで
(とつ)ぎもせぬに散りはつる
(いろ)(あを)ざめし櫻草(さくらさう)
これも少女(をとめ)の習(ならひ)かや。
それにひきかへ九輪草(くりんさう)
編笠(あみがさ)小百合(さゆり)氣がつよい。
百合もいろいろあるなかに、
鳶尾草(いちはつぐさ)のよけれども、
あゝ、今は無し、しよんがいな。


6行目の「ろうたし」というのは「いじらしい」とか「いとおしい」とか「うつくしい」とかいう意味です(原語は sweet)。5行目のヰ゛イナス(ヴィーナス)神と訳されている原語の Cytherea はキュテレイア、すなわち、アフロディーテ崇拝で知られるエーゲ海の島の名キュテラから出たことばで、美の女神アフロディーテ=ヴィーナスの別名です。


walter-crane-violet-personified.jpg
violets dim,
But sweeter than the lids of Juno's eyes
Walter Crane, Flowers from Shakespeare's Garden: A Posy from the Plays Illustrated in 40 Colour Plates by Walter Crane (London: Cassell, 1906)

Crane,Walter-PalePrimroses.jpg
pale primroses,
That die unmarried, ere they can behold
Bright Phoebus in its strength,―a malady
Most incident to maids;

Crane,Walter-BoldOxlipsand.jpg
bold oxlips and

Crane,Walter-Crown-Imperial.jpg
The crown-imperial;

Crane,Walter-Liliesofallkinds.jpg
lillies of all kinds,

Crane,Walter-The flower-de-luce being one.jpg
The flower-de-luce being one!


恋人ふたりのあいだで裂かれるの図 Torn Between Two Lovers [φ(..)メモメモ]

六粒の柘榴の種――母と娘のはなし(デーメテールとペルセポネ) "The Six Pomegranate Seeds" by Mary MacGregor (1910)」で紹介した、ウォルター・クレイン挿画のギリシア神話の本 The Story of Greece の著者の名前がメアリー・マグレガーだったことから、70年代のヒット曲「過ぎし日の想い出」について「恋人ふたりの間で股割き Torn Between Two Lovers」という一見品性下劣なタイトルの記事を書いた、ころ、"torn between two lovers" を検索していて、出会ったのがつぎの絵でした。――

imgp4568ci6.jpg
Torn Between Two Lovers, image via 爱,消失的那一瞬间: Glasgow Trip Part  by S (2008.3.8)

  スコットランド、グラスゴーのKelvingrove Art Gallery and Museum という美術館/博物館の訪問写真記なのですけど、こうS さんによるキャプションがあります。――

I like this drawing. It's name TORN BETWEEN TWO LOVERS.

  19世紀ごろの絵だと思われるのですが。誰の絵じゃろ。 ま、裂かれるというよりは二股掛図という趣ですが。

  ということで、メモがわりに貼っておきます。

///////////////////////

Kelvingrove Art Gallery and Museum <http://www.glasgowlife.org.uk/museums/our-museums/kelvingrove/Pages/home.aspx>


ウィリアム・シャープとロセッティ William Sharp and Dante Gabriel Rossetti [φ(..)メモメモ]

2009年の3月末(日本時間4月1日)、カリフォルニアをあとにする日が近づいたころに「March 31 ウィリアム・シャープとフィオナ・マクラウド(1) William Sharp and Fiona Macleod (1)」という記事を書いて、そのつづきを書いておらなかったのですが、シャープとマクラウドの書誌は作成して貼ったものだとばかり思っていました。が、その書誌のファイルが見つからず。

  それで、それは見つかったら貼ることにして、さて、女性名フィオナ・マクラウド Fiona MacLeod こと男性名ウィリアム・シャープ William Sharp, 1855-1905 は、男性として晩年のロセッティ Dante Gabriel Rossetti, 1828-82 と交流があり、ロセッティの没後に評伝を出版しています。

William SharpDante Gabriel Rossetti: A Record and Study.  London: Macmillan, 1882.  432pp. + Appendix 17pp. <http://www.archive.org/stream/dantegabrielros03shargoog#page/n12/mode/2up> ←これページが切れててダメE-text です。こっちがイラストも保存していて断然よい⇒ <http://www.archive.org/stream/dantegabrielross00sharrich#page/n7/mode/2up>

Sharp,William-DanteGabrielRossetti(1882).JPG

Ch. 1  Life. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . page 1
Ch. 2  The Preraphaelite Idea―"The Germ" . . . . . . . . . . .page 39 
Ch. 3  Book-Illustrations―Designs―Pictures . . . . . . . . . .
page 102
Ch. 3 (Cont'd)  Designs and Paintings . . . . . . . . . . . . . . page 189
                     Addenda to Chapter III . . . . . . . . . . . . . .page 270
Ch. 4  Prose Writings―"Hand and Soul"―Translations . . . . page272 
Ch. 5  Lyrical Poems . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
page 314
Ch. 6  Ballads . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .  page 353
Ch. 7  The Sonnet―Sonnets for Pictures―Miscellaneous
               Sonnets . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
page 385
Ch. 8  "The House of Life" . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .  page 406
Appendix 
         Catalogue of Pictorial Compositions, Supplementary
               to Art-Record . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
page 433

  ウィリアム・シャープのなかにフィオナ・マクラウドという女性人格が現われたのはいつだったのでしょう。フィオナ名義の最初の本が出るのは1893年だけれど。

    W・B・イェイツとも微妙な交流をしながら(つーのはイェイツはフィオナを評価するけれど、ウィリアムをあんまり評価しなかったりする)、ゴールデン・ドーン (The Hermetic Order of the Golden Dawn, 1888-) にも加わるシャープですけど、ロセッティのラファエロ前派兄弟団も秘密結社的なものであったとして、そのとりわけて秘密結社的思想的内実があったとしたら、それはどんなものだったのかしら。


グラスゴーと共時性 Glasgow and Synchronicity [φ(..)メモメモ]

一昨日からアメリカの女性作家のエレン・グラスゴー Ellen Glasgow, 1874-1945 の自伝をたまたま地下室から掘り出して読んでいたのだけれど、たまたま16日の夜に「恋人ふたりのあいだで裂かれるの図 Torn Between Two Lovers」で書いた絵のあるらしい Kelvingrove Art Gallery and Museum はグラスゴーにあったのでした。――

Kelvingrove Art Gallery and Museum
Argyle Street, Glasgow G3 8AG

  そして、その次の記事「ウィリアム・シャープとロセッティ William Sharp and Dante Gabriel Rossetti」で書いたウィリアム・シャープはグラスゴーの西のPaisley で生まれて、グラスゴーの高校と大学を出て、グラスゴーの法律事務所で働いていたのでした。

  そして、アメーバピグでペイズリーというハンドルネームのひとをたまたたま見かけて、つづりが間違っているので指摘して、ということがあったのでした(ペイズリー柄はスコットランドの Paisley に由来します)。

  エレン・グラスゴーとスコットランドのグラスゴーは関係ない。はい、そうです。しかし、関係ないものが同時に出くわすのが、ユングが興味を抱いた共時性 synchronicity という偶然の非因果的(つーと東洋思想的カルマみたいなものも否定してしまうかもしれず、いっぽうユングがどれくらい東洋思想にシンクロしていたのか定かじゃないのだけれど、科学的数量的原子論的原因結果関係の連鎖とは別物という意味合いです)つながりの意味であり。

  日本語のウィキペディアのこんがらがった項目「シンクロニシティー」の「一般的概念」という節の前段――

ユングは、全てではないにせよ、いくつかの「偶然の一致」(coincidences)は単なる文字通りの「偶然」ではなく、非因果的な複数の事象の「同時発生(co-inciding)」か、あるいは普遍的な事象を作り出す力の連続性によるものであると信じたのである。これらの力により、直観的な意識と行動が調和する過程を、ユングは「個性化」と名付けた。集合的無意識(collective unconscious)による、個性化された人間の意識のコミュニケーションを通じて、現実の出来事が形成されるというのが、ユングの主張であった。[要出典]

ユングの説明によれば、シンクロニシティとは「非因果的連関の原理」、言い換えれば因果関係の外部、あるいは因果関係に付随して働く連絡の形式である。[要出典]

  「個性化」というのはユングのいう個体化のことだと思いますけど、そうかなー。そのつぎの節の「批評」は擬似科学がらみ、というか非科学的、というあたりまえのレッテル貼りの記述です(というか、擬似科学を批判することばが擬似科学的文体になっているみたいな)。――

批評

シンクロニシティの理論科学的方法による検証が不可能であり、概ね科学よりも疑似科学であると見做されている。[要出典]確率論は、何の普遍的な連続性の力の介入なしに、普通の世界でプラム・プディングのような出来事の説明を試みることができる。しかしながら、その蓋然性を実際に計算するのに必要となる正確な変数を発見することはできない。これは、特定の個人的体験を記述するのにシンクロニシティが良いモデルでないという事ではない――が、シンクロニシティが「厳然たる事実」、すなわち我々の世界に現存する原理であると考えることを、拒否される理由ではある。

シンクロニシティは呪術的思考に陥っていると、主張する者もいる。

科学的手法が適用できるのは、(1)再現可能であり、(2)観測者から独立しており、(3)定量化できる現象のみに限られるが、シンクロニシティが科学的に「証明可能」でないとする議論の大部分は、レッド・ヘリング(訳注:「注意をそらせるおとり」の意味)である。

当然ながら、観測者独自の経歴がシンクロニシティによる出来事に意味を与える以上、シンクロニシティによる出来事は、観測者から独立していない。シンクロニシティによる出来事に関する独特な前歴がなければ、その出来事は誰にとっても、他の無意味で「ランダム」な出来事のようにしか見えない。シンクロニシティの原理は、自然界の出来事の連続性が持つ意味への疑問そのものを呼び起こす。

古典的な感覚では科学的に立証不可能ではあるが、ユングの表現する「非因果的連関の原理」の、より科学的な用語である「相関性」においては、シンクロニシティ現象の科学的な根拠は、発見されるかもしれない。

「相関性は因果関係を意味しない」は、よく知られた科学の原則である。しかし、相関性は古典的な因果関係によらず、現象間に共有される物理的性質かもしれない。遠く離れた出来事が、直接に物理的な因果関係で結ばれることなく相関性を持ち得るのは、量子力学の相関関係において明確に表されている(「非局所性」を参照)。

ユング自身、この説を提唱する際、占星術の誕生宮と結婚のパートナー選択の対応を検分し、共時性原理を見出そうとしたが、調査対象が占星術を真剣に信奉している者たちであり、任意の標本ではなかった。ゆえに統計学的な基礎条件を備えていなかった。

そうかなー。 

  なんか井村宏次だったかが、なんか書いてたような記憶があるけど、なんかズレがあるような感じがします。 あー、高橋巌もユングの「共時性」について書いていたと記憶しています。

  ということで、今後の検討のためのメモ&偶然の記録メモ。


歌謡曲歌詞検索 Search Engines for Japanese Pop Music [φ(..)メモメモ]

木之内みどりの歌詞を探しているなかでついでに―― 

いべすたかしとる (イベントスタジアム) 歌詞検索 イベスタ歌詞とる <http://www.evesta.jp/lyric/> 「ふっと」(3)

うたてん (MAKE SOFTWARE, Inc.) HMV-UtaTen HMVうたてん <http://utaten.com/> 「ふっと」(251or17?)〔無料の会員制〕

うたねっと (PAGE ONE) Uta-Net 歌詞検索サービス 歌ネット <http://www.uta-net.com/> 「ふっと」(17)

うたまっぷ (Interrise Inc.) うたまっぷ <http://www.utamap.com/> 「ふっと」(0)

おとなのうたねっと (PAGE ONE) Uta-Net大人の歌ネット:演歌歌謡曲 最新曲をまとめて試聴! - 歌ネット <http://www.uta-net.com/user/otona/> 「ふっと」(313/ 2)

かしいずむ (シンクパワー) 歌詞無料検索サイト 歌詞ISM <http://search.kashi-ism.jp/> 「ふっと」(1)

かしたいむ (歌詞タイム) 歌詞タイム <http://www.kasi-time.com/> 「ふっと」(6)

かしげっと (セカンドビジョン/ユニコーン) 歌詞検索サービス♪歌詞GET
 <http://www2.kget.jp/> 「ふっと」(33[英語の歌多し])

かしぐら (歌詞蔵) 歌詞蔵 <http://www.kashizo.com/> 「ふっと」(1)

かしでむねきゅん (ボルテージ) 歌詞で胸キュン <http://kashi.kyun.jp/> 「ふっと」(2)

かしなび (歌詞ナビ サンディネットシステム) 歌詞ナビ無料歌詞検索サービス <http://kashinavi.com/> 「ふっと」(3)

ぐーおんがく (NTT Resonant) 歌詞情報 - goo 音楽 <http://music.goo.ne.jp/lyric/index.html> 「ふっと」(?)

じぇーとーたるみゅーじっく (Jトータルミュージック) 無料歌詞検索 (コード譜とダイヤグラムを表示!) -J-Total Music <http://music.j-total.net/> 「ふっと」(1)

じぇーりりっく (J-Lyric.net) 歌詞検索J-Lyric.net <http://j-lyric.net/> 「ふっと」(4) 

やふーみゅーじっく (Yahoo Japan) Yahoo!ミュージック―総合音楽サイト-
 <http://music.yahoo.co.jp/> 「ふっと」(107~1679)

りっすんじゃぱん (Listen Japan) 音楽ダウンロード・音楽配信サイト ListenJapan 【リッスンジャパン】 <http://listen.jp/store/> 「ふっと」(1)

  やぱり goo と yahoo が大きいのかしら。


タグ:歌詞検索

カナダの『タングルウッド物語』注釈版  Canadian Annotated Edition of _Tanglewood Tales_ (1907) [φ(..)メモメモ]

あれこれ Internet Archive 内を探索していて見つけた本。

Hawthorne,TanglewoodTales(Morang,1907).cover.jpg
(cover)

Morang's Literature Sereis No. 19
Hawthorne's Tanglewood Tales (Complete)
Edited with Notes by John C. Saul, M.A.
Toronto
Morang Educational Company Limited 1907
Price 15 cents

Hawthorne,TanglewoodTales(Morang,1907)title.jpg
(title)

Tanglewood Tales (Complete)
By Nathaniel Hawthorne
Edited with Notes by John C. Saul, M. A.
Toronto: Morang Educational Co, Ltd, 1907

   1907年、カナダのトロントの出版です。"Complete" (「全文」という感じかしら)とか付いているのと会社の名前が "Educational" とあることから推察されるように、教科書版という感じです。

Hawthorne,TanglewoodTales(Morang,1907).JPG

  行番号が振られるいます。そして脚注が付いています。脚注は固有名詞が多いけれど、それ以外の、文学的・語句的な内容のものもあるようです。

Hawthorne,TanglewoodTales(Morang,1907)166-7.JPG

   研究者向けのものとは思われず、勉強用の注釈本ということなのでしょう。

  Morang Educational をアマゾンで検索すると2010年刊行のペーパーバックとか出てくるので、いまでも経営されているのかと思いましたが、ISBNdb.com の検索で出てくるのは1910年前後のものばかりでした。<http://isbndb.com/d/publisher/morang_educational_co.html>   古代史、カナダ史、算数、ロマン派詩、シェークスピアなど。

  同じISBNdb.com で Morang で検索をかけると、あれこれ出てきて、どうやら George N. Morang というトロントの出版者がいたらしい。――<http://isbndb.com/d/publisher/george_n_morang_company_limite.html>

  "Do you have any information on Morang Educational Publishing?" という問いを Answers.com で発しているひともいた――<http://wiki.answers.com/Q/Do_you_have_any_information_on_Morang_Educational_Publishing>(自分ではない)。Yahoo 知恵なんとかみたいなやつだけれど、答えはない。

   で、出版社事情は不明なのだけれど、Open Library (Internet Archive から派生したWeb 図書館)で検索すると、22冊並んでいた。 <http://openlibrary.org/search?publisher_facet=Morang%20Educational%20Co.>  このなかで、E-text ではなくてただの書誌情報なのだけれど、1995年のもの(ブラウニング/テニソン詩集 Selections from Browning and Tennyson, ed. with notes by John C. Saul [同じ編注釈者やね])があったので、見てみたら、オリジナルを写したものだった。なるほどね。そうするとアマゾンに出てる2010年刊行の本とかも100年近く前の本のリプリント版ですね、99パーセント

  "Morang" で(Open Libraryで)検索したら、珍しい名前の著者もいるもので600を超えて出てきたので、 "George Morang" で検索したら130、この出版社が版を出している本が並んだ。<http://openlibrary.org/search?q=George+Morang>


改行解除(ワード) How to Remove Line Breaks (Microsoft Office Word) [φ(..)メモメモ]

WEB上のE-textはぶつぎれに改行されているものがけっこうあって、むかしマッキントッシュを使っていたころは適当にやったら置換して行をつなげられたのだけれど、ウィンドウズでワードを使うようになってからうまくできなくなっていた(個人的に)。

  調べたらできることがわかったけれど、知恵袋的なサイトにはあれこれいくつも書いてあって混乱するので、忘れないようにメモっておく。

改行の解除1.JPG

(0)  ctl+F などで「検索と置換」ウィンドウを開ける。 

(1)  「検索する文字列」に、^pサーカムフレックス circumflex accent のカネテツ型)と小文字 p]
          もしくは  ^13サーカムフレックス と数字の13]

(2)  「置換後の文字列」はそのままだとスペースなし。そして、半角(英字)で空白スペースを打ったぶん、改行が解除された1行目の終わりと2行目の頭の文字間にスペースができる。ということで英文だといちおう基本1スペース。日本語だと基本なし(完全な空白のまま)。

(3)  「あいまい検索」(英)」もしくは「あいまい検索(日)」にチェックが入っていたらはずす。

改行の解除2s.jpg

  ^p^13 との違いがどこかにあるのかどうか不明。どうやら、ない。


RLB: Remove Line Breaks [φ(..)メモメモ]

前の記事「改行解除(ワード) How to Remove Line Breaks (Microsoft Office Word)」を書くときに英語をしらべていたら、Remove Line Breaks - Delete Carriage Returns & Remove Double Spaces というサイトがあった <http://www.removelinebreaks.com/>。

白枠の中に改行を解除したい文書をコピペしてクリック一発ということです。
あと、ダブルスペースも全部除去したければ "Remove double spaces" のボックスにチェックを入れろ、と(シングルスペースになるということです)。――個人的には文末のピリオドのあとはダブルスペースという習慣を捨てがたいのですが。

タングルウッド・テールズ一冊まるごとぶちこんでみたら、ちゃんと変換してくれました。日本語も試してみましたけどOKでした。

あと同じサイトにおまけで "Remove Line Breaks in Microsoft Word" というページがあって、説明が書かれています <http://removelinebreaks.com/information/about/remove_in_word>。

1)  double line breaks を single line break にするには「検索&置換 Find - Replace」ダイアログで、
   Find: ^p^p 
   Replace: ^p

〔このdouble line breaks (^p^pがあらわすもの) というのは、テクストだと行の終わりに改行マークがあって、そして1行まるごとスペースがあって次の行(段落)があるようなやつです。下の"IRS." と"The Foundation" の間が double line breaks――

($1 to $5,000) are particularly important to maintaining tax exempt
status with the IRS.

The Foundation is committed to complying with the laws regulating
charities and charitable donations in all 50 states of the United
   〕 ・・・・・・でももしかするとブログに貼り付けようとするとEnter マークみたいなのが ↓ に変わってしまうかも。この行区切り記号「↓」を検索でヒットさせるには、^l (サーカムフレックス・アクセントに小文字のエル)です。

 

2) line breaks をシングルスペースにすべて置き換えるには、文書に使われていない文字・記号(たとえば#とか)でスペースをはさんで(# #)、^p をすべて置換し、しかるのちに、すべての # を削除。なるほどね。頭の体操みたいなもんですね。でもわたしのワードだと、スペースバーを押して「置換後の文字列」にスペースを指示できます。

パラグラフを残してその他の改行を解除するにはどうしたらいいのかしら。頭の体操をしてみよう。


津波 Tsunami Surge [φ(..)メモメモ]

昨日の夜から、カリフォルニアで知り合った人たちから安否を問うメールがいくつも来ていて、ふと、むかしよく見ていたサンフランシスコ・ベイエリアのテレビ局KRON4 のWEB ページを開いてみた。

Kron4: The Bay Area's New Station <http://www.kron.com/>

KRONE4-6.JPG

ビデオでも記事でも、(日本)史上最大のマグニチュード8.9 と言っている。

これは、KRON4 のメニューの Earthquakes のリンクにも入っている USGS Tsunamis and Earthquakes の発表が8.9 であったのを踏襲しているらしい。USGS というのは United States Geological Survey (アメリカ合衆国地質調査所)。

USGS.JPG
<http://www.usgs.gov/>

USGS CoreCast: Magnitude 8.9 Near the East Coast of Japan <http://www.usgs.gov/corecast/details.asp?ep=147> : "A magnitude 8.9 earthquake struck the coast of Japan on March 11, 2011. USGS geophysicists and Bill Ellsworth and Eric Geist talk to CoreCast host Kara Capelli about the quake and subsequent tsunami."

いまカリフォルニアは金曜日の夜6時過ぎで、ニュースの時間で、ライブで流しているのだけれど、スポーツニュースの間も字幕で地震と津波のことが字幕で出ている。

津波が太平洋岸カリフォルニアに到着するのが地震の起こった10時間後だかで bounce back を繰り返して次第に大きくなるのだという説明のビデオとか、サンタクルスの波止場で被害があった様子とか、その前にハワイに達した津波とか、アメリカに直接かかわるニュースでも、当然ながらあったのだ。

州知事はシュワちゃんから Jerry Brown というひとにかわっているが、声明を出している。――

"Govenor Brown Issues Statement on Earthquake in Japan" <http://gov.ca.gov/news.php?id=16931>  "Our thoughts are with the people of Japan as they endure this tragedy. . . ."  〔オバマ大統領の「思いをいたし」というのと同じなのかしら・・・・・あ、――

Today’s events remind us of just how fragile life can be.  Our hearts go out to our friends in Japan and across the region and we’re going to stand with them as they recover and rebuild from this tragedy.

(The White House Blog) <http://www.whitehouse.gov/blog/2011/03/11/presidents-press-conference-causes-government-response-and-long-term-solutions-risin>〕

"Governor Brown Declares State of Emergency in Del Norte, Humboldt, San Mateo and Santa Cruz Counties" <http://gov.ca.gov/news.php?id=16933>

ベテランの女性キャスターの Darya Folsam は健在のようだけれど、自分の好きだったEvelyn Taft はまたどこかへ移ってしまったみたい。twitter を見ると、KCAL9 Los Angeles の8時から10時の天気ニュースをやっているみたい。――

CBS Los Angeles <http://losangeles.cbslocal.com/

それと、知らないうちに、Kron4 にはインターネット専任のレポーターとして Kimberlee Sakamoto というひとが加わっていた―― "Kimberlee Sakamoto's What's on the Web on KRON 4" <http://www.kron4.com/Reporters/wotw.aspx>。最新のリンクは "Google Responds to the Japan Earthquake With an Online Crisis Center" 〔Google Crisis Response としての「東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)」(Person Finder やPicasaの避難所名簿写真ページなど)をとりあげる記事〕。

KRON 4は地震についても専用のブログがあったりする。天気についてもトゥウィッターで細かい数値の情報を交換している(こういうのカリフォルニアの人たち好きそう)――Bay Area Weather Tweets in Weather。ますますWEBサイトが拡大しているみたい。

KCAL9 のCBS News のほうの記事をいくつか――

"Toll could exceed 1,000 in Japan quake, tsunami" (March 11, 2011 10:01 AM) <http://www.cbsnews.com/8301-503543_162-20042091-503543.html>

"Special section: Earthquake in Japan" ["Disaster in Japan"] <http://www.cbsnews.com/2718-202_162-1082.html>

"Quake afters[c]hocks reach Yoko Ono, 'Hawaii Five-O' and 'Twilight' cast" (March 11, 2011 6:43 PM) <http://www.cbsnews.com/8301-31749_162-20042298-10391698.html?tag=cbsnewsMainColumnArea>

 


忙しさのしるし Business Signs [φ(..)メモメモ]

忙しいとブログが書けない(いちおう・・・・・・でも現実逃避的にブログだけは書いてしまうこともある)のでわかるのだけれど、数年前から感じているのは、

(1) 手指が紙で切れる (これは忙しいと同時に疲れているしるしか)

(2) 爪が伸びたままになる (ひどくなると割れる)

(3) 家の座席の周辺が散らかる (まあ、もともと散らかっているのだが) 特にビール(ほんとは発泡酒)の缶などで

(4) 空きかけのタバコの箱がいくつも散らばる

(5) 洗わない皿がたまる (誰か洗ってくれ~)

 


居酒屋という名の寿司屋 [φ(..)メモメモ]

昨日8月24日夜、小沢一郎は居酒屋という名の寿司屋で夕食をとったそうです。
タグ:という名の

安全性に対する危険性 Safety Hazard [φ(..)メモメモ]

こないだ「~に対する危険性が高くなっています A [The] Danger [Risk] of [for, against] . . . Is Increasing」を書いているときにあれこれ検索したなかで、ウィキペディアの項目「セシウム」に「6 健康と安全性に対する危険性」という見出しがあった。英語を見たら基本的に同じ構成であり、英文Wikipedia の記事 "Caesium" を訳したものみたい。英語は―― "5 Health and safety hazards"。health hazard と safety hazard ということだろうけど、あー、なるほどハザードねー。日本人が「危険」って考えてすぐに出てくる単語じゃないかもしらん。大英和のdangerの見出しのなかの類語説明を見ると、"danger" は「危険」をあらわすもっとも一般的な語で、"risk" は通例個人の自由意志で冒す危険」と書かれていて、"hazard" は「通例偶発的な健康・安全・計画・名声などに対する危険」としている。「安全に対する危険」・・・・・・なるほど。

  safety hazard って、商品とかで「安全性に危険あり」と注意を促すフレーズでありますねー。あるいはモノでいうと「安全性に欠けるもの」みたいな。あるいはモノというより食品の安全性で "food safety hazard" とか。

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image: The food safety hazard guidebook - Google books <http://books.google.com/books/about/The_food_safety_hazard_guidebook.html?id=KiK9fcE4xvAC>

  ついでながら "health hazard" のほうは、Weblio 辞書内の『JST科学技術用語日英対訳辞書』の訳語を挙げるなら――「健康有害; 健康有害性; 健康被害; 健康危害; 健康障害; 健康災害 」  カタイ!w なかでは「健康被害」が既に耳に聞きなれたフレーズでしょうか、なんか捉えているところがズレテいるような気もするけれど。こちらも、くだいていうなら、「健康に害を及ぼす危険性」、あるいは、モノを指す場合は、「健康を損ねるおそれのあるもの」という感じかしら。

  文脈と訳語の問題なのでしょうけど、「安全性に対する危険性」は気持ち悪い。

    寒さ、冷たさの度合いを言うのにも「温度」というのだし、安全度と危険度はベクトルが違うだけで相対的なものだともいえるのかもしれないけれど――だから、少なくとも文脈によっては安全性というのは危険性と同じなのだろうけれど――「性」というコトバがくっついていることであらかじめ安全と危険の領域が不明瞭になっているのが気持ち悪い。

  ハザードはどうやらニュアンスがむつかしいので、「モラル・ハザード」同様に既に「食品安全ハザード」みたいなわけわかめの「日本語」が動き始めているようす。これはこれで気持ち悪い。「計画的避難区域」が気持ち悪い日本語だと思っていたら「計画的デフォルト」とか解説者が言っていて、なんじゃそりゃ、と思ったら、ようやく使い慣れてきたパソコン世界のデフォルトとは異なる、「債務不履行」の意味でのカタカナコトバなのでした。なんでもかんでもカタカナにするなよ。

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image: Safety World Preparation Kit | SpotDeals <http://deals.spotshoppingguide.com/2009/05/03/safety-world-food-preparation-kit/>

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「リスクについて」『Safety World Tour』 <http://www.yokogawa.co.jp/iss/member/newstopic/safetyworldtour1.htm> 〔横河電機株式会社の槙島さんによる連載記事の一〕

 


タグ:safety hazard

ストーリーとプロットの区分 Story vs. Plot [φ(..)メモメモ]

ひとつ前の記事「ポーが書評した本 (6) クーパーの『ワイアンドッテ』 (1843)」で「story とplot の区分 (Cf.  E. M. Forster, Aspects of the Novel [1927]) 」云々と書いたので、参照用のメモ記事を書いておきます。

  死後『モーリス』で学界的には衝撃を与え、日本では(その映画化を契機として)ジュネ系女子に認知・(小説が)愛読されることになったイギリスの小説家E・M・フォースター E. M. Forster,1879-1970 の、かつてダヴィッド社から翻訳も出ていた『小説の諸相 Aspects of the Novel』は、ケンブリッジ大学における連続講義をもとにした小説論で、たしか1980年前後に増補版が出たと思うのですけど、Webで読めるE-textは・・・・・・ないですね。 フォースターより後に生まれたD・H・ロレンスやT・E・ロレンス(アラビアのロレンス)が40歳代で若死にしたのに比べて、フォースターは90まで生きて文字通り文壇の長老となったのでした(それだから、なおさら同性愛のショックは大きかった)。

  と、話が明後日の方向へ方向へと向かいかねないので、メモ( ..)φメモメモっと。

ストーリーの定義〕[N]ow the story can be defined.  It is a narrative of events arranged in their time sequencedinner coming after breakfast, Tuesday after Monday, decay after death, and so on.  Qua story, it can only have one merit: that of making the audience want to know what happens next.  And conversely it can only have one fault: that of making the audience not want to know what happens next. [. . .](時間順序に配列された出来事の物語narrative。次は何?という好奇心をドライヴとする、古くからある物語の相)

 

〔プロットの定義〕Let us define a plot.  We have defined a story as a narrative of events arranged in their time-sequence.  A plot is also a narrative of events, the emphasis falling on causality.  ‘The king died and then the queen died,’ is a story.  ‘The king died, and then the queen died of grief’, is a plot.(出来事の物語だけれど、因果関係に強調が置かれる)

(E. M. Forster, Aspects of the Novel [1927], 82-83)

 

   フォースターは、センテンスのレヴェルでストーリーとプロットの原型を例示しています。――

 

The king died and the queen died.  story

         The king died, and then the queen died of grief.  plot

The queen died, no one knew why, until it was discovered that it was through grief at the death of the king.  “plot with a mystery in it”

 

   三番目のものは、ミステリーを含んだプロットで、高度の発展の可能性があるとかなんとかフォースターは書いていたはずです。―― "The king died and the queen died," is a story. "The king died and the the queen died of grief," is a plot. The time-sequence is preserved, but the sense of causality overshadows it. Or again: "The queen died, no one knew why, until it was discovered that it was through grief at the death of the king." This is a plot with a mystery in it, a form capable of high development. It suspends the time-sequence, it moves as far away from the story as its limitations will allow." 時間順序を宙づりにし、ストーリーの制約から可能な限りストーリーから離れている、と。

  たまたま検索していて見つけたのは、山梨大学の仏文の先生の森田秀二さんというひとの物語論のページで、探偵小説との関係でフォースターを引いているのでした。――

「探偵物語とは何か?:推理の物語から捜査の物語へ」 『物語の世界 Page de Chou』 <http://www.ccn.yamanashi.ac.jp/~morita/Culture/detective/index.html>

  上の三つの基本文を説明したあと、さらに四つ目の、探偵小説の原型的文を考案します。――

探偵物語(Whodunit)もミステリー風味の plot の一種と考えられますが、心理的因果性(Why?)ばかりでなく物理的因果性(How?)に注目し、特に「犯人は誰か」(Who?)という謎を原動力とする装置と考えることができます。フォスターを敷衍するならば次のような文を考えればよいでしょう。

The queen died, it was believed that it was through grief at the death of the king, until it was discovered that she had been poisoned by X.
「女王の死ははじめは王の逝去による心労のためとされたが、(探偵により)死因が毒殺であることが特定され、その犯人Xもやがて判明した。」

 

  英文法的には最初のカンマは comma fault となるので、つぎのように書くべきではないかとw

   ④The queen died, and it was believed that it was through grief at the death of the king, until it was discovered that she had been poisoned by X [e.g. the minister」. (王妃が死んで、それは王の死に対する悲しみのあまりと信じられたが、その後、大臣によって毒殺されたのだということがわかった。)

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Glossary of  Basis Literary Terms qv. plot, story <http://members.fortunecity.es/fabianvillegas/drama/glossary.htm>  〔plot はあるけど、story はいまのところ? ないのでした。音楽ウルサイ〕

 


体格とフィジカル Personal and Physical [φ(..)メモメモ]

TBSの深夜のニュースを見ていたら、「なでしこジャパンが体格とフィジカルで劣っているマルマルモリモリ」みたいな話が出てきた。「フィジカル」って体格も入ってるんじゃないの、って思いながらビール(実は発泡酒)を飲んでいたら、別のスポーツで「フィジカル」云々(日本人はフィジカルが弱いとか)って言っていた。

ふーん。「フィジカル」というコトバがどうやらスポーツ用語として定着しているか、定着しつつあるか、なのね。体格とかいう「静的」な特性ではなくて「運動能力」なる用語と同じだっつうんならそう言えばいいのに。違うのかしら。日本語と並べるとわけがわからなくなる、ということを意識しないのかしら、使っている人たちは。

まあ、思い起こせば、1981年、オリヴィア・ニュートン・ジョン Olivia Newton-John が "Let's get physical" と呼びかけてから、同級生(正確には美術部の同年生)の木村くんと木炭デッサン(むろんモデルではなくて石膏像のデッサン)の手を休めてはグラウンドでサッカーに興じていたころから、「フィジカル」なるコトバは日本ならびに日本語のなかに新たな意味合いを築き始めていたのかもしれない。

久しぶりに聞きながら思ったこと――

(1) 1980年代の精神/身体問題は、カウンター・カルチャー後の心身論との関係で再考してみよう。

(2) 「フィジカル」の対語は「メンタル」ということになっているけれど、18、19世紀の英米文学作品を読むと、身体、肉体、そして、身体的、肉体的の意味で "person" 、"personal(ly)" というコトバがやたら使われている(つまり、mental(ly) と対語として使われている)。これを心身論的にもう一度考えてみよう。

(3) 日本語はカタカナコトバを作れる便利な言語だけれど、どうやらアホなカタカナコトバが近年ジャーナリズム以前に「学問」で乱造されているかもしれず、ひまがあったら検証してみよう。

(4) そういえば、画家になった木村くんは、オリビアに惚れていたけれど、自分は違った。それはなんでだったのだろう(もっとも彼が惹かれたのは、70年代の「そよ風の誘惑」 "Have You Never Been Mellow" であった) 。

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◎「フィジカルトレーニング」 Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0

体  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』  (肉体から転送) <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89%E4%BD%93>  〔奇妙なことに、これに対応する「他の言語」の英語記事がない〕


メモメモ――ポーが書評した本 (30) ウィリアム・ハウイットの『名所探訪記』の各種版 Several Editions of _Visits to Remarkable Places_ by William Howitt [φ(..)メモメモ]

前の記事で、解決後に別の記事で、と書いたけれど、まとめておかないと、開いたウィンドウがたくさんありすぎて、どうしようもないことがわかった。そして、紙であれ、ワードファイルにであれ、メモ帳にであれ、URL をたくさん並べてコピーしておくよりは、画像と一緒にウェブ空間に(ってまあ、公開はしなくともよいのだすけどw)あげておいたほうが後のために便利だと思ったのでした。

そして、時間をかけてメモっているうちにかなり解決に近づいた(近づいてしまった)のだけれど、ひとつには、当時のアメリカは国際的な著作権が確立しておらず、そのことでアメリカ作家は不利益をこうむったわけだけれど、いっぽうで逆にアメリカの読者は他国の作品のアメリカ版海賊版を享受できるという利点もあった、ということがあります(メモ)。

◎1841年のアメリカ2巻本の第2巻――

VisittoRemarkablePlaces,WHowitt,1841US.jpg
Google E-Book <http://archive.org/stream/visitstoremarka05howigoog#page/n6/mode/2up>

Visits to Remarkable Places: Old Halls, Battle Fields, and Scens Illustrative of Striking Passages in English History and Poetry.  By William Howitt, Author of  "The Rural Life of England," etc.  In Two Volumes.  Vol. II.  Philadelphia: Carey and Hart.  1841.  [xi + 335pp.]

[Contents of Vol. II: "Visit to Hampton Court (132)"; "Visit to Compton-Winyates, Warwickshire" (64); "A Day-Dream at Tintagel" (93); "Visit to Staffa and Iona" (120); "Visit to the Great Jesuits' College at Stonyhurst, in Lancashire" (158); "Visit to the Ancient City of Winchester" (196); "Visit to Wotton Halls, Staffordshire" (286); "Sacrament Sunday at Kilmorac" (321) ]


◎1840年のイギリス第2版 Second Edition。――

VisittoRemarkablePlaces,WHowitt,1840Esecondedition.jpg
E-text <http://archive.org/stream/visitstoremarka01howi#page/n5/mode/2up>

Visits to Remarkable Places: Old Halls, Battle Fields, and Scens Illustrative of Striking Passages in English History and Poetry.  By William Howitt, Author of  "The Rural Life of England," "Boy's Country Book," etc.  The Illustrations Designed and Executed by Samuel Williams.  Second Edition.  London: Longman, Orme, Brown, Green, & Longmans.  M.DCCC.XL.  [viii + 528pp.]

 

◎1842年、イギリスの第2集 Second Series――

VisittoRemarkablePlaces,WHowitt,1842Esecondseries.jpg
<http://www02.us.archive.org/stream/ssvisitstoremark02howi#page/n3/mode/2up>

Visits to Remarkable Places: Old Halls, Battle Fields, and Scenes Illustrative of Striking Passages in English History and Poetry, Chiefly in the Counties of Durham and Northumberland.  By William Howitt, Author of  "The Rural Life of England," "Boy's Country Book," etc.  SECOND SERIES   /With Upwards of Forty Highly Finished Wood-Cuts from Drawings Made on the Spot for This Work, by Messrs. Carmichael, Richardsons, and Taylor.  London: Longman, Brown, Green, and Longmans.  1842.  [xi + 610pp.]

[Contents: "Visit to the City of Durham" (1); "Visit to Houghton-Le-Spring" (78)," etc.]

 

◎1842年、アメリカの第2集 Second Series〔ページ番号は異なるが、イギリスの第2集と同じ内容〕――

VisittoRemarkablePlaces,WHowitt,1842USsecondseries.jpg
<http://archive.org/stream/visitstoremarkab02howi#page/n5/mode/2up>

Visits to Remarkable Places: Old Halls, Battle Fields, and Scenes Illustrative of Striking Passages in English History and Poetry, Chiefly in the Counties of Durham and Northumberland.  By William Howitt, Author of  "The Rural Life of England," "Book of the Seasons," "Student Life of Germany," etc.   Second Series.  Philadelphia: Carey and Hart.  1842.  [xi + 467pp.]

[Contents: "Visit to the City of Durham" (13); "Visit to Houghton-Le-Spring" (69)," etc.]

 

◎1842年、アメリカの第1集 First Series ["Second American Edition"] 〔イギリスの第1集の、おそらくSecond Edition と同じ??〕――

VisittoRemarkablePlaces,WHowitt,1842SUSsecondedition,firstseries.jpg
<http://archive.org/stream/visitstoremarka04howigoog#page/n8/mode/2up>
<http://archive.org/stream/visitstoremarkab00howi#page/n5/mode/2up>

Visits toRemarkable Places; Old Halls, Battle Fields, and Scenes Illustrative of Striking Passages in English History and Poetry.  By William Howitt, Author of "The Rural Life of England," "Student Life of ," etc.  First Series.   SECOND AMERICAN EDITION.  Philadelphia: Carey and Hart, 1842.  [viii + 436pp.]

[Contents: "Visit to Penshurst in Kent; the Ancient Seat of the Sidneys" (13); "Visit to the Field of Culloden" (51); "Vist to Stratford-on-Avon, and the Haunts of Shakspeare" (75); ............"A Day-Dream at Tintagel" (277), etc.]

 

 

   以下、再掲――

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Visits to Remarkable Places; Old Halls, Battle-Fields, and Scenes Illustrative of Striking Passages in History and Poetry; Chiefly in the Counties of Durham and Northumberland.  By William Howitt, Author of the “Rural Life of England,” “Book of the Seasons,” “Student Life of German,” &c.  Second Series.  Philadelphia: Carey & Hart.

The first series of this beautiful work will be remembered by all.  The present is, perhaps, even more delightful.  Few writers are more truly popular, and at the same time, more truly deserving popularity than Howitt.  His sketches are replete with the interest of observation and profound sensibility to beauty both in Nature and Art.  The external appearance of this volume nearly resembles that of “The Student Life of Germany,” and does honor to the liberality of Messieurs Carey & Hart.
  [Fourth of the five short notices inside the rear of the external paper wrappers]

 アレコレ眺めていると、いろいろと謎があります。

第一に、『グレアムズ・マガジン』に記されているタイトル。"English" が落ちているのはご愛嬌として、著者を修飾している、"By William Howitt, Author of the “Rural Life of England,” “Book of the Seasons,” “Student Life of German,” &c."  のところに挙がっている著作は、アメリカ版の表紙には付いていませんし、イギリス版とも違います。

第二に、研究者に見落とされてきた、とポー協会は注釈しているけれど、100年前のハリソン版10巻の文章はなんなのでしょう。

第三に、第二巻と第二集はどういう関係にあるのか。実はイギリスでは第二集が 1842年には出ており、それは Second Edition とは異なる内容です。

  ・・・・・・ということで、迷宮のような問題に入り込んでしまい、解決後に別の記事で扱います。  


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