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天体の音楽 (2) Music of the Spheres [ポー Edgar Allan Poe]

(1) を「つづく」という結辞とともに書いてからだいぶ時間が経った。つづきが何だったのか、ぼんやりとしか思い出せないままに、注釈を書きとめておこうと思い、あれこれ調べた。

まずは(1) のポーの『マルジナリア』239番の文章をやっぱり引いておこう。―― 

 

The phrase of which our poets, and more especially our orators, are so fond—the phrase “music of the spheres”—has arisen simply from a misconception of the Platonic word μουσικη—which, with the Athenians, included not merely the harmonies of tune and time, but proportion generally.  In recommending the study of “music” as “the best education for the soul,” Plato referred to the cultivation of the Taste, in contradistinction from that of the Pure Reason.  By the “music of the spheres” is meant the agreements —the adaptations—in a word, the proportions—developed in the astronomical laws.  He had no allusion to music in our understanding of the term.  The word   “mosaic,” which we derive from μουσικη, refers, in like manner, to the proportion, or harmony of color, observed—or which should be observed—in the department of Art so entitled.

(アメリカの詩人、そしてことに雄弁家が好んで使う「天体の音楽」というフレーズは、プラトン的な用語ムウジケの誤解からおこったものである。アテナイ人はこの言葉を、節(曲)と時(テンポ)の調和だけでなく、一般に釣り合いの意味に使っていた。だからプラトンが、「魂の最上の教育」として music を学ぶことを薦めたとき、彼は<純粋理性>の涵養に対して<趣味>の涵養を提唱したのだ。  “music of the spheres”  によって意味されるのは、天文法則によって展開される符合――適合――つまり、釣り合い――を指すのである。われわれの言う music(音楽) の意味は少しもプラトンにはなかった。μουσικη に由来する言葉「モザイク」も、同じように、モザイクと呼ばれる美術において見られる (observed)――というか見まもられる(observed) べき――色の釣り合い、あるいは調和を意味しているのである。)

 

  よく覚えていなかったけれど、最後の "observed" は、たぶん意味を掛けている(観ると守ると)のだろうなと考えて原語を入れたのだと思う(ついでながら「天文台」は observatory だけど、「観測する=observe」+「場所」(-ory, -orium) ですな)。

 さて、ポーの生誕200年の2009年6月に亡くなったポー学者のバートン・ポーリン (Burton R. Pollin, 1916-2009) が、その博識を駆使して遺した地道な仕事に『ポー選集 Collected Writings of Edgar Allan Poe』の編纂・注釈の作業があって、トマス・オリーヴ・マボットが詩と短篇小説の計3巻だけで亡くなった全集編集を継いで、長篇のみならず評論・書評にまで及んだ。Collected Writings の第2巻に『マルジナリア』は入っており、問題の239番の注釈にはつぎのような情報がある(Collected Writings of Edgar Allan Poe, Volume 2 [New York: Gordian Press, 1985] )。

第一に、記事の内容は H. B. Wallace が匿名で発表した長篇小説 Stanley の第1巻108-109ページに拠っていること。―― "The old philosopher . . . [by] the music of the spheres . . . meant the harmony of form and motion, and had no allusion whatever to sound" (古の哲学者は・・・・・・天体の音楽によって・・・・・・形と動きの調和を意味したのであって、音に対する意味合いはまったくなかった); "The Greeks gave to colored stones arranged in varied order the name of 'mousaic,' which modern speech has corrupted into 'mosaic.'" (ギリシャ人たちは、多様に並べられた色のついた石に「mousaic」の名を与えた。近代の言語ではそれがくずれて「mosaic」になった)。

第二に、「書き直し rewriting」においてポーは、いくらか混乱と誤りを入れてしまったこと。「mousike」が「ミューズが支配する芸(art)のいずれをも指すが、とりわけ音楽を、あるいはむしろ音楽にあわせて歌われる抒情詩を」意味した事実(リデルとスコットの『ギリシャ語事典』)を見落とし、また、プラトンに先んじてこの言葉はヘロドトスやピンダロス、さら「天体の音楽the music of the spheres」について書いたピタゴラス自身によっても(アリストテレスの『De Caelo』2.9を参照)、用いられたのであり、ピタゴラス派の天文学上の発見だけでなく the musical に根ざした概念だったこと(ブリタニカ百科事典 21.700; 25.648 参照)。ポー自ら詩「The Conqueror Worm」でこの観念を用いている (Poems, I.8, p. 325)。

第三に、プラトンが「最上の教育」について『国家篇』で述べたときに対比させたのは、審美眼と知性の発達というよりも、「魂 soul」と身体の発達だった。なお後者(身体)については運動gymnasticsを通じてだとされていた。この対比をプラトンはいろいろな書き方で述べていて、ポーが短篇小説「モノスとユーナの対話」で引用した2つもそれにあたる。もっともポーが引用(『国家篇』2.376; 3.401-2)に付した注は、「審美眼」の支持者としてプラトンを味方に引き入れるべく、ここと同様に、詭弁をいくらか弄しているふしがある。云々。〔第二と第三についていうと、ピタゴラスをポーが知らなかったとは思えないですけどね。muse のことも。だから、それでも、つまり音楽の状態を詩は目指すというようなテーゼの確立者と考えられる人のくせにここでは、音楽よりも調和を強調する意図が気になるわけなのだけれど。〕

四番目は「純粋理性」というフレーズにかかわるカントについてですけど、訳すのに疲れたので省略し、それも含めてポーリンの注釈を引いておきます。なんというか、訓詁学的な熱意とsource study とintertexuality の造詣が縦横に駆使されているという印象をポーリンの注釈書は与えます。pedantic な感じはやっぱりあるけど。

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Burton Pollin, ed.  The Brevities: Pinakidia, Marginalia, and Other Works.  Vol. 2 of Collected Writings of Edgar Allan Poe.  Pp. 383-84.

[Pollin's] Note: The substance of this article is taken from H. B. Wallace's anonymously printed novel Stanley (1.108-109), a section which was also posthumously printed in Literary Criticisms (1856), pp. 269-70: e.g., "The old philospher" by "the music of the spheres . . . meant the harmony of form and motion, and had no allusion whatever to sound"; and "The Greeks gave to colored stones arranged in varied order the name of 'mousaic,' which modern speech has corrupted into 'mosaic.'"  In his rewriting Poe infuses some confusion and error, overlooking the fact that "mousike" (with "techne" understood) meant "any art over which the Muses presided, especially music or rather lyric poetry sung to music" (Liddell and Scott's Greek Dictionary) and that antedating Plato, the word was used by Herodotus and Pindar and even Pythagoras, who wrote of "the music of the spheres" (see Aristotle, De Caelo, 2.9)―a concept well-rooted in the musical as well as the astronomical discoveries of the Pythagoreans (see En. Br., 21.700; 25.648).  Poe himself uses this idea in "The Conqueror Worm" (Poems, 1.8, p. 325).

     As for Plato on "the best education"―in the Republic Plato contrasted not the development of taste and of intellect, but rather of the "soul" and the body, the latter through gymnastics.  Various passages explicate this contrast, including two cited by Poe in "Monos and Una" (TOM 611), although Poe's footnote addition to his quotation (Republic 2.376; 3.401-2) shows a bit of sophistry in winning Plato over to a support of "taste" as he assumes here.  Compare Poe's views in his 6/21 BJ review (1.393) of Tayler Lewis' Plato contra Atheos (H 12.162-66): Despite the "purity and nobility" of the "Platonian soul" and "ingenuity" of the "intellect," the "philosophy" yields a value of "nothing at all" and "a strong tendency to ill intellectually."

     Poe's phrase "the cultivation of . . . the Pure Reason" suggests a ref. to Kant's 1781 Critique of the Pure Reason which Poe cited in German satirically in his "Blackwood Article" (TOM 342n20).  This intermixing of philosophic schools and concepts here would imply no real respect for Kant, whom Poe invariably ridiculed as a Pantheist or Transcendentalist, with frequent punning on Kant-Cant (see these loci in TOM―82n7, 115n3, 358n7, 625 at n13, 1307 n20, 1318 n4; Eureka, H 16.188).  These instances, Poe's lack of German, his basic philosophic tendencies, and the very shaky adduced "evidence" render thoroughly untenable "Poe's Debt to Immanuel Kant" by Glen A. Omans in SAR 1980, pp. 123-168

 


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天使の合唱――天体の音楽 Music of Spheres (3) [魂と霊 Soul and Spirit]

「天体の音楽(2)」 のつづきというよりは、2009年の記事「天使と悪魔、天(国)と地(獄) Angels and Devils, Heaven (, Earth,) and Hell [Daddy-Long-Legs] 」を読み直してロムバッハの『世界と反世界』を抜き書きした「天使とヘルメス」のつづき。

 

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Perre Serra, Madonna and Child with Angels Playing Music (1390's) テンペラ画 ――バルセロナ市 カタルーニャ美術館

 天使たちはもともと世界存在であった。その各々がそれぞれに完璧な世界であり、世界視圏であり、世界像であり、告示であり、あらゆる本質内容とその大なる合法則的な連関とを内に映した像であった。天使たちは創造の出来事をその根源的な姿において示した。天使たちは謎の解き明かされた世界史であり、白日のもとに開かれた自然の書であり、創造の出来事を、これが物質的な事物の中で現象するよりもさらに明るく照り返させる、明晰な鏡であった。だから天使たちは「讃めたたえ」にして「讃辞」であり「合唱」であった。これらの天使たちにおいて初めて、技芸をこらした建築すなわち、全体が「音楽」であるような建物が明示された。

 各々の天使がいずれも世界の統一解釈であったため、天使たちは「並列」という秩序においてではなくて、「積層」的な秩序において、諸圏域という秩序の中で考えられねばならなかった。それぞれ「高次」の精神的存在はそれよりも低次の存在を包含し、さらに高次で統一的で透明な世界解釈をも含有していた。世界はさまざまの高みにおいて見られ、解釈されることができる。あらゆる高みは同等の資格をもっている。この同等の資格をもった調和的一致は、形象的に合唱のうちでありありと示された。「天使の合唱」は、世界の解釈の多様性をあらわす最古のシンボルである。それはヘルメス的形象である。どの合唱も全体的世界(叡智)としての世界に投げかけられた、光に満ちた理解の眼差しである。〔ハインリッヒ・ロムバッハ著、大橋良介・谷村義一訳 『世界と反世界――ヘルメス智の哲学』 (リブロポート、1987年), p. 108〕

 

 「圏域」とは英語にすればsphere であり、宇宙論的には、あるいは世界像としては、「天空層」ということだろう。 ここで、天体の音楽と天使の奏楽・音楽が重なり合うリクツができてくる、のではなかろうか。

 

 

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最後の審判 アルルの聖トロフィーム寺院入口上部 image via Travel by Anna <http://travelbyanna.wordpress.com/category/3b-europe-2012-by-country/france/roussillon/>

 「サン=トロフィーム教会」(ウィキペディア)

   

 

 

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天使の奏楽 アルルの聖トロフィーム寺院入口内部弧面 image via Introduction to Saint Trophime, Arles, France (Mary Ann Sullivan 2007)  <
http://www.bluffton.edu/~sullivanm/france/arles/sttrophime/introduction.html>

 ロムバッハのキャプション (p. 111)――天使の合唱 アルルの聖トロフィーム寺院入口内側孤面にある彫り物 1170年頃/天使の一人一人が世界を包む精神圏域である。ここでは内側の孤面に描かれた幾筋かの輪にそれが形象化されている。諸々の圏域は様々の基調音で調律されている。そこには諸圏域の調和にして宇宙の音楽がある。

  合唱っつうか、合奏ですかね。


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天使の奏楽――天体の音楽 Music of Spheres (4) [魂と霊 Soul and Spirit]

ひとつ前の記事で、実質的に自分のことばは二箇所、ほんの数行しかありませんでしたw。

 (1)  「圏域」とは英語にすればsphere であり、宇宙論的には、あるいは世界像としては、「天空層」ということだろう。 ここで、天体の音楽と天使の奏楽・音楽が重なり合うリクツができてくる、のではなかろうか。

 (2) 合唱っつうか、合奏ですかね。

  で、(2) のほうについて、我ながら言葉足らず舌足らずだな、と反省した――とりわけ、ブログをしばらく書いていなかったので、仮想読者に伝え(られ)る情報の幅みたいなものの感覚を忘れてました――ので、つっこまれるまえに、図版の説明として書き留めておきます。

 

 

web_arles_church_st_trophime_door_arch_1.jpg
最後の審判 アルルの聖トロフィーム寺院入口上部 image via Travel by Anna <http://travelbyanna.wordpress.com/category/3b-europe-2012-by-country/france/roussillon/>

 

   

 

[angels-tympanum-]0171.jpg 
天使の奏楽 アルルの聖トロフィーム寺院入口内部弧面 image via Introduction to Saint Trophime, Arles, France (Mary Ann Sullivan 2007)  <
http://www.bluffton.edu/~sullivanm/france/arles/sttrophime/introduction.html>

 ロムバッハのキャプション (p. 111)――天使の合唱 アルルの聖トロフィーム寺院入口内側孤面にある彫り物 1170年頃/天使の一人一人が世界を包む精神圏域である。ここでは内側の孤面に描かれた幾筋かの輪にそれが形象化されている。諸々の圏域は様々の基調音で調律されている。そこには諸圏域の調和にして宇宙の音楽がある。

 

このアルルの聖トロフィーム教会堂(寺院)の正面扉の彫刻は、最後の審判をモチーフにしているわけですけど、上の写真で下部に12人並んでいるのは12使徒(Apostles)です――ミケランジェロの最後の晩餐の並びで書くなら、バルトロマイ(Barttholomew)、アルファイの子ヤコブ〔小ヤコブ〕(James the Less)、アンデレ(Andrew)、ユダ(Judas Iscariot)、シモン・ペテロ(Peter)、ヨハネ(John)、トマス(Thomas)、ゼベダイの子ヤコブ〔大ヤコブ〕(James)、フィリポ(Philip)、マタイ(Matthew)、タダイ(Judas (or Thaddaeus))、熱心党のシモン(Simon)。ヤコブは二人いるだけでなく英語が異なるのでややこしいです。実はタダイもユダで、イスカリオテのユダと区別されるわけですけど、自殺したイスカリオテのユダのあとに加わったのがマティア(Matthias)です。

 どまんなかに居るのはイエス・キリストです。そのまわりに4人というか、4体の翼あるものたちがいます。これは4人の福音書記者(Evangelists)、すなわちマタイ(Matthew)、マルコ(Mark)、ルカ(Luke)、ヨハネ(John)です。彫刻では左上から逆時計回りにこの4人になっています。みんな顔がヘンですけど。ヨハネなんかはeagleになっちゃっているので、他が本のかたちのcodexをもっているところ、彼だけ巻物(scroll=volume)を携えています。でもいちおうそれぞれの福音書(gospel)で、イエスが持っている本とは違うみたい。

  最後の晩餐においてイエスは弟子たちに、「汝ら・・・・・・座位(くらい)に坐してイスラエルの十二の族(やから)を審かん」"You shall sit on thrones as judges of the twelve tribes of Israel"  と言います(Luke 22:30)。12使徒がイスラエル12部族の代表という、ローカルな世界観のように見えますけど、象徴的にとらえるべきなのでしょうし、4とか7とかと並んで時間にかかわるという解釈もありうるのかもしれない。それから「ヨハネ黙示録」のなかに、・・・・・・

  と書いて時間が過ぎて、あれこれ読んでいたら、ウィキペディアのなかに「黙示録のラッパ吹き」という記事があって吹き出しそうになった(うそうそ)。英語版だと "Seven trumpets"。英語のほうの説明には、昔のトランペットは雄羊の角笛(ユダヤの古いらっぱ状の楽器ショーファール shofar)だったと書いてある。

  ということで、彫刻では3人の天使が吹いているのは黙示録の trumpet なのでしょうが、これが「奏楽の天使」や「天使の合唱」へ展開していくのはどういう歴史があったのでしょう。 たぶん中世の教会音楽が関係するんでしょうね。

  天上の音楽(≒ 天体の音楽) ⇔ 教会の礼拝音楽

  天使の合唱 ⇔ 聖歌隊

みたいな、照応関係の夢想、というか祈り。

  奏楽の天使の絵でいちばん好きなのはメムリンクでした。

hans-memling-angel-musicians.jpg
Hans Memling [Memlinc] (1430-94), Angel Musicians (c. 1485).  image via friends of art <http://www.friendsofart.net/en/art/hans-memling/angel-musicians>

 美術部だった高校時代によく眺めた小学館の世界の美術館シリーズでは、確か左から3番目の天使がアップで1ページにおさめられていたと思います。こうやって見ると、顔の向きからして彼女が中心なんですね(彼かもしらんけど)。

 もっとも、これ、5人ずつ左右のパネルに分かれていたはずで、あ、と中央があったんだ、と調べると、合唱天使でした。――

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Memling, Christ Surrounded by Musician Angels  image via Wikimedia <http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hans_Memling_-_Christ_Surrounded_by_Musician_Angels_-_WGA14935.jpg>

  Angel Musicians という日本語のページを見つけた <http://rosa.yumenogotoshi.com/angel_musician-top.html>。(「奏楽の天使」では音楽が流れておりますので、音量にご注意ください)。その中では「父なる神と奏楽の天使」というタイトルになっている。子なる神であるイエス・キリストか、父なる神か、説が分かれているのかしら。いまはベルギー、ブリュッセルの王立美術館蔵だけれど、もとはスペインのサンタ・マリア・ラ・ルへル教会のオルガンの装飾だったそうで、そうでなくともタイトルなどなかったのかも。でも、イエスでしょうね。

 メムリンクは最後の審判も描いていて、これもtriptych と呼ばれる三連祭壇画なのですけど、まんなかのイエスとラッパ吹き天使3名はアルルの教会堂の扉上部彫刻と同じです。そして、左右が(審判の結果)神の国に入る聖人saints と 地獄に堕ちる罪人damned に分かれているのも、実は教会堂の扉左右の彫刻と同じです。

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Hans Memling, Last Judgement, Triptych, Oil on wood, 1466-1473. National Museum, Gdańsk image via Wikipedia

  イエスの下を見るとそこにいるのは大天使ミカエルでしょうけど、ミカエルのまわりの地上の裸の人たちから右は地獄堕ち、左は天国行きへと目は動きます。地獄のうえのほうにもラッパ吹きの天使がいます。

 

 


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