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魂魄分離 (森於菟) (一) [魂と霊 Soul and Spirit]

森於菟 (1890-1967) は森鷗外の長男で、父と同じく医者となったけれど、解剖学の道に進んだ。東京帝国大学で解剖学を講じた後の1936年から台北帝国大学教授。第二次大戦後の1947年に帰国、東邦医科大学教授となる。「魂魄分離」というエッセイは1948年1月に発表されたもので、著作権は切れているのかな、と勝手ながら判断する。新字新仮名遣いにあらためた。

    魂魄分離

  明代末葉のころらしい。
  江西省南昌府の城門外数里の地に北蘭寺という古刹があった。数名の若者がその寺内にいくつかの房を借り、進士となるのを目的として科挙に応ずる準備の読書をしていた。
  その中で魏生と張生とは気の合うところがあったので、互いに何事も打ち明け、年長の魏生は張生を弟のごとくいたわり、張生はまた魏生を兄のごとく敬って、その交情は僚友もうらやむほどであった。
  秋の初めごろ魏生はそこからあまり遠くない郷里にいる母が病にかかったという知らせを受け取って看護のためにこれに赴いた。
  今は心を語るべき友なくひとりその房に淋しく書をひもときつつ朝夕魏生の上を思うていた張生はある夜灯もようやく暗く睡気を催したので床(とこ)に上って眠った。ふとした物音に張生が眼を開くと、魏生が扉を排(お)して入ってくるのであった。やがて彼は音もなく床に近づくと顔を寄せ張生の背をなでて言った。
  「私は君に別れて国に帰ったが老病の母をみとるうち、はしなく時疫に感染して数日で死んだ。今の私は幽鬼で、朋友の情割き難く君に訣別を告げに来たのだ。」
  年少の張生はふるえ上って言葉を出すことができないのを、鬼は慰めて、
  「怖がらなくとも好い。私に君を害しようとする心があれば何でありのままを君に告げよう。落ち付いて私の頼みをきいてくれたまえ。」
とねんごろに言ったので張生も少し安心した。魏生の幽鬼は重ねて言った。
  「私には七十余りの老母とまだ若い妻がある。数斗の米があれば生を養うに足りるが私が死んではこれを見てやるものがない。君が私との交わりを忘れず私に代ってこれを恵んでくれるならば私はその恩を忘れまい。また私はかねて書き著わした書物の草稿を一かさね書棚に入れておいた。あれを梓(し)に上して私の名を不朽にしてくれればこんな有難いことはない。なおもう一つは生前売筆商(ぶんぼうぐや)に銭数千の借りがあるのであれもかえしてもらいたい。」
   張生はそのすべてを快く引き受けた。魏生は世にもうれしそうな顔をして立ち上り、
  「君にみな承知してもらってこれに過ぎた満足はない。」
と言って既に立ち去ろうとするのを、今は少しも怖れる心がなく、ただ懐かしさで胸いっぱいの張生は泣いてこれを引きとめて言った。
  「もう君とは長い別れになるのだからもう少しいてくれたまえ。」
  魏生の幽鬼も涙を流して床に帰り物語をつづけるうち、卒然として幽鬼は立ち上って言った。
  「ああ、もう帰らなければならぬ。」
  突立ったまま凝然として動かない。見れば両眼を恐ろしくみはり、その上に相貌全体が刻一刻醜くゆがんで来る。張生は大いに怖れ、
  「君は話がすんだのだから早く帰るが好い。もうやがて天明も近いだろう。」
と促したが魏生は無言で直立したまま動かない。張生は床を叩いて叫んだが依然として屹立したままである。
  今は魂身に添わず、張生は床から起き上って房の入口の方に逃げると、幽鬼は後に従って走る。寺の門を出た少年がいよいよ急に走れば鬼もますます追いせまる。行くこと数里で張生はある人の菜園を横切りそこから路傍に出る境の垣根を越した途端に地に倒れてしまった。鬼はつづいてこれを越えようとしたが硬直した屍(しかばね)にはそれができない。垣根の上から首だけ外に垂らして口から流れ出るよだれが少年の顔に滴り落ちた。
  夜が明けてから行人がこれを発見し気を失った張生を助け薑汁(しょうがゆ)を飲まして帰らせた。
  昨夜から屍の紛失で騒いでいた魏の家では伝え聞いて隣人知友を迎えによこし、屍をにない帰りようやく柩(ひつぎ)に納めることができた。

  以上の話は清朝中期の文人袁子才の編んだ中国民話集『士不語』にある「南昌士人」の大意である。編者はこれに解釈を付け加えて曰く、「人には三魂七魄あり、魂はそれ性善でかつ聡明であるが、魄は性悪かつ暗愚である。魏生の屍が初め来た時には魂未だ亡びず魄を支配していたが、その心事を果した後は魂去って天に帰し、悪の魄だけ残って害をなしたのだ。世に時々ある屍の移動なども魄の所業で、ただ有道の人のみがこれを制することができる」と。
  一人に二霊を認めるのは西欧古代の哲学にもあるが、かくのごとく魂魄を区別するのは支那の思想である。魂は天よりうけた気で天人をかたどり、魄は地より生じて悪鬼の像を示す。魂魄は天地の霊で永久に存在し、これが合すれば人を成し、離れれば人は死ぬ。
  祭祀は祖先の魂魄を各その所に安んぜしめ、魂をして子孫の幸運を助けさせ、魄がこれに害を及ばさぬようにするために行われるのであるという。
  こういう意味で魂魄を明白に分けた伝説民話が日本にもあるかも知れぬが寡聞の私はまだ知らない。有名な上田秋成の『雨月物語』中の一章「菊花の契」は自刃した武士の善き魂が陰風に乗じて遠きに赴き、重陽の佳節に友と再会の約を果したのであり、「仏法僧」は関白秀次の魄が高野の山中に旅僧をおびやかす物語である。
  近ごろはあまりないが以前私はよく夢に、亭々として漆黒にそそり立つ杉木立の間の経を果てしなく歩むことがあった。
  先は永遠の幽冥世界であることを意識しつつ怖れ気もなく漠々と進むのである。
  その時後の方遠くかすかに人の呼ぶのをきく。声がようやく高く身がそちらにスーッと引かれると感ずる瞬間に眼がさめる。私はこの時肉体から離れる魂が引き戻されたので、生命の灯の消える時はおそらくおぼろの意識の中にあの夢を見つづけて行くのであろうと想像する。
  夢の中で魂と魄と分離して行動する話は台湾にいた時黄氏鳳姿の台湾民話で読んだがほかの土地にもあるであろう。また魂魄が同一人で時を異にして活動する物語は誰も知っているスティーヴンソンの『ジーキル博士とハイド氏』のようなもので、東西古今にわたって少なくないことと思う。
  さて私がどうしてこんな話を書いたかというと、おのれの職業がらそれぞれの解剖台に横たわる多くの死体を実習場で見渡すとき、死後の顔に魂の平和が微笑んでいるものと、魄がのさばり返って醜くゆがんだ形相とがあるような、まことに非科学的な錯覚にとらわれることがあるからである。ことに夕暮れ近く死体の頭部に近く椅子に腰かけ、どろりと灰色に濁った眼球の沈む眼窩や、蒼白い歯ぐきのむき出した口のまわりを、歌舞伎の隈取りのように取り巻く代赭色の筋肉一すじまた二すじ、メスとピンセットでかきわけて顔面神経の細い枝をさぐるとき、文字通り tête-à-tête に顔と顔とをつき合せ、皮を剥いだあとの筋肉にも残る表情を見つめるのに疲れて、うつつなき妄想にふけるひと時もある。

   ふたつに分けようと思いましたがまとめて書き写しました。勝手なコメントだけその(二)へつづく~♪

 


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鬼と死霊 Oni and the Spirits of the Dead――いちおう「魂魄分離」 (森於菟)のつづきみたいな [魂と霊 Soul and Spirit]

昨日は節分だったので、鬼について書こうと思っていたのに、結局会議のあと市ヶ谷で飲んでしまい、鬼は外の豆まきに間に合わないどころか、ブログも書けず、さらに一夜明けた立春の今日も二日酔いの脱力状態でした。

  鬼について書こうと思ったのは、第一に、先の記事「魂魄分離 (森於菟) (一)」に引いた文章につぎの一節があったからです。――「今は魂身に添わず、張生は床から起き上って房の入口の方に逃げると、幽鬼は後に従って走る。寺の門を出た少年がいよいよ急に走れば鬼もますます追いせまる。

  復習的に、図式化して書くと、魂魄はとりあえずシナ・中国の考え方で、

魂――天上的――善性
魄――地上的――悪性

  両者とも霊的なもので、不滅の原理。両者が合わさると人間が生じる。死ぬと魂は天に帰る。

  で、「鬼」ですけど、和語の「おに」ではなくて漢語の「鬼」(キ)が死者ないし死者の「霊」を言うというのは有名かと思われますけど(「鬼籍に入る」みたいな慣用句に残っている)、日本人の森於菟の翻案的な文章の言葉としては「魂」が「身」に添わない状態の存在が「幽鬼」と呼ばれています。でも「身」はあるのだから、体に魂魄の魄のみがついている状態が幽鬼なんでしょうか。

  ちなみに日本語のウィキペディアの記事「鬼」は、「中国における鬼(き)は死人の魂を言う。「鬼は帰なり」と説明され、死者の魂の帰ってきた姿である。死霊を意味する中国の鬼が6世紀後半に日本に入り、日本固有のオニと重なり鬼になったのだと馬場は述べている。」と述べています。魂魄が死後分離するとして、魂鬼も魄鬼も鬼なんすかね。

  またちなみに『広辞苑』の「魂魄」は、あっさりと(コンパクトに)、「(死者の)たましい。精霊。霊魂。」と記述しています。魂魄と霊魂が同じだったらワヤクチャということになると思われ。だって、if 霊魂=魂魄、then 霊魂-魂魄=霊-魄=零だし霊=魄だぜ(わけわかめ)。

  第二に、節分です。豆まいて邪気を払う、の「邪気」は「邪鬼」であり鬼である、ということになっているのですけど、霊的なものだから「体」や「身」という物質からは離れた「気」なのかしら。でも鬼となって現われるのはゾンビみたいに体を借りているのかしら。それとも地縛霊みたいに、地から離れられない存在なのかしら。鬼と福って名詞的カテゴリーが違うように思われるけれど(福は抽象名詞じゃなかろうか、英語だと happiness か fortune か――ちなみに鬼は demon なのかなあ)。

  みたいなことを節分の夜、豆まきの終わった時間に家へ向かう電車に揺られながら考えていたのですが、マメじゃないので紙にメモる余裕もなく、心の片隅にでも、メモしておいたようなおかなかったような。

tubaki.jpg
image via 「椿鬼奴10周年記念リサイタル」[2008 06 09 [Mon] 吉本興業presents] <http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_080515187908_1.htm>

2011年9月6日夜追記――関係のある記事「日本的霊性につきて (1) 「精神」の字義 (鈴木大拙) "On Japanese Spirituality" by Suzuki Daisetsu」を本日書きました。


タグ:節分 魂魄
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春を告げるもの A Herald of Spring (Walter Crane) [雑感]

昨日は立春で、なんか春ものを貼るのもいいかな、と思っていたのに、節分の鬼がかたづかなかったので、旧正月3日になりました。

  つーか、もう今日もあと30分あまり(2011年2月5日夜)。

  時間は過ぎていく。節分は四つあって、その区分とメイデー/ハロウィーンを重ね合わせるとどうなるのかな、とか考えながら頭がくるくる回っています。

  ということで、以前、メイデーとメイポール(五月柱)ならびにアナキズム・社会主義関係でいくどか言及したイギリスのラファエロ前派の画家のウォルター・クレイン Walter Crane, 1845-1915 の絵をば。――

WalterCrane,AHeraldofSpring-mod.jpg
Walter Crane, A Herald of Spring (1872) [water color on paper, 614×347]

  
  この絵はウォルター・クレインが初めてイタリア旅行をした折に、妻のメアリーをモデルにして描いたもの。場所はローマ。

  クレインの回顧録 An Aritist's Reminiscenes にはつぎのように記されています。――

The beauty of the Italian spring was upon us, heralded by a cloud of almond blossom upon hills and in the vineyards, and the white-blossomed trees seemed to re-echo the touch of distant snow on the Sabine mountains.  I found a subject on the Pincio, a view of Rome, with almond trees in front and two figures gathering flowers on the sloping gardens, which I sent to the Dudley.  Also "A Herald of Spring"――a figure in a pale green robe and pin scarf coming down a Roma street in the early morning with a basket of daffodils on her arm.
     This picture also went to the Dudley and was sold to a lady whom, about twenty years afterwards, we met in London, and bought back the picture, for which my wife had a peculiar affection, she too having been the model of the figure.  (Walter Crane, An Artist's Reminiscences PDF[London: Methuen, 1907]pp. 138-139)

    この本は妻に捧げられています。序文の最後のほうに "Life is a strange masquerade" (人生は不思議な仮装舞踏会だ) と書かれていたりして、やっぱ文学的な人なんだなと思うわけですが、モデルが妻であるとしてもハダシでローマの舗道を歩く人は不自然でしょうから、やっぱりこれは女神のイメジなのでしょうか。

  クレインの文章にあるように、籠のなかの黄色い花は daffodil です。ポウが好きなasphodel という、パラダイスに咲く枯れない花をいうギリシア神話から、オランダ語の de affodil (つったって deは定冠詞だから英語訳 the asphodel)を経て英語に入ったもの。どこまでギリシアの冥土のイメジを引きずっているのかわかりませんけれど、イギリスの春を代表する花のひとつです。右の扉の上の鳥はツバメでしょうか。飛んでる鳥はハトかしら。

  右手に持った、手折られた枝はなんなのかしら。梅は咲いたか、桜はまだかいな。


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あめんどう Almond――「春を告げるもの A Herald of Spring (Walter Crane)」のつづき [Marginalia 余白に]

春を告げるもの A Herald of Spring (Walter Crane)」のつづきです。 

  前に参照したコノディーの『ウォルター・クレインの芸術』(ロンドン、1902) The Art of Walter Crane という本を見たら、ウォルター・クレインのローマ滞在について、つぎのような記述がありました。――

His journey to Rome in 1870 could not fail to mark an important phase in the development of Walter Crane's art.  He steeped himself in the study of the masters of the Renaissance, whilst the beauty of Italian scenery and southern sunshine inspired him to a series of landscape studies, which must be counted among the finest productions of his fertile brush.  The temperament revealed by these delightful water-colours is sunny and joyful throughout.  He never strikes the note of sadness, so often to be found in pictorial representations of the Campagna and of the ruins in and around Rome.  There is hope for him in every ruin.  His sky is ever smiling, the glooms of the ruins counteracted by the cheerful signs of spring, the youthful green of the meadows, the delicate pink of the blossom-covered almond trees.  Were it not for the characteristic glimpses of Italian architecture and the distinctly southern vegetation―lemon and orange trees, cypresses, olives―one might almost think of peaceful English scenes.  A number of these water-colour drawings were shown between 1870 and 1876 at the annual exhibitions of the Dudley Gallery, the most important one being "The Herald of Spring," a graceful maiden in a clinging robe of primrose hue, carrying a spray of almond blossoms, and stepping airily along a typical Roman street.  The colouring is extremely delicate and suggestive of early spring, the drawing as exact and conscientious as that of all true pre-Raphaelites.  (p. 94)
(1870年のローマ旅行はウォルター・クレインの芸術の展開における重要な局面を刻むこととなった。ルネサンスの大画家たちの研究に没頭したようだが、同時に、イタリアの風景美と南方の陽光に触発されて描いた一連の風景画の習作は、クレインの豊穣な絵筆が生み出した最上の作品となっている。これらの水彩画があらわにする気質は、一貫して太陽のように陽気で喜びに満ちている。一般にカンパーニャ平野やローマ市内外の廃墟を画家が絵で描いた場合、しばしば悲哀の調子が見られたが、クレインの場合は異なる。空は微笑みつづけ、廃墟の陰鬱は、春の陽気な兆しや草原の若々しい緑や、花に覆われたアーモンドの木の繊細なピンクによって抑えられている。イタリア建築が特徴的に垣間見られたり、典型的な南の植生――レモンやオレンジの木、セイヨウヒノキ、オリーヴ――が見られなかったなら、平和なイギリスの風景だと思う人がいてもおかしくはないだろう。水彩画の数点は、1870年から1876年にかけてダドリー・ギャラリーの年次展に出品された。そのなかで最も重要なのが "The Herald of Spring" である。春を告げるのはプリムローズ〔淡黄緑色〕のローブをまとった優美な乙女、アーモンドの花の小枝を手に持ち、典型的なローマの街路を空気のように歩んでいる。色彩はきわめて繊細で、初春を想起させる。筆致は真のラファエロ前派がすべてそうであるように精確で入念である。)

  ということで、桜にも桃にも見えた花はアーモンドでした。Konody は神話的なレファレンスみたいなものを何も書いておらないのですけれど、ウォルター・クレインが(五月柱も含めて)春の絵をたくさん描き――The Advent of Spring とか The Coming of May (あ、この2枚同じか (1873)) とかA Day of Spring: View from Monte Pazioli towards Albano とか The Earth and Spring とか La Primavera とか Signs of Spring とかThe Triumph of Spring とか、詩画集 The First of May: A Fairy Masque とか、(そして春の女神でもあるペルセポネ=プロセルピーナを好んで描いてもおり)――それがときに神話の枠組みをもっていることを考えるならば、この、をモデルにしたという裸足の「乙女」は、ペルセポネのイメジをもっているのではないかと思われます。そこで手篭の中の花のダフォディルもかかわるかなあと。しかし、ややこしくなるので、それはまたいずれ。

ArtofWalterCrane,pp.94-95.jpg
The Art of Walter Crane, between pages 94-95

  で、アーモンドですけれど、調べてみても、とりたてて神話的象徴性をもってはいないみたいです。日本語のウィキペディアの「アーモンド」英語のWikipedia の "almond" も、旧約聖書におけるアーモンド(古い日本語訳聖書で「あめんどう」)の言及を説明して、それはそれなりに象徴みたいなところもあるのですけど。どうやら、実際にローマの春の風景に見られたアーモンドの花をクレインは入れたのかなあと思われたのでした。

 

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「アーモンドのおはなし 5  アーモンドの花」 <http://www.ezaki-glico.com/almond/flower/index.html> 〔江崎グリコのページ〕

「さだまさし 春告鳥 - Ichishuのさだ作品批評シリーズ(第1弾)」 <http://www008.upp.so-net.ne.jp/ichishu/sada/harutsuge.htm> 〔いえ、ちょくせつ関係ないですけど、メモ的に。春告鳥はウグイスです。春告魚はイワシ〕 

以下再掲

   Walter Crane Catalogues:
1) "Catalogue of Books Illustrated or Written by Crane" Walter Crane - Arts & Crafts Home <http://www.achome.co.uk/waltercrane/index.php?page=catalogue> 〔The Arts and Crafts Home: A Design Source for Home Decoration 内〕

2) A Bookman's Catalogue: The Norman Colbeck Collection of Nineteenth-Century and Edwardian Poetry and Belle Lettres, Vol. 1 A-L (University of British Columbia Press, 1987), pp. 175-7 <http://books.google.co.jp/books?id=4DUL-RazzhgC&pg=PA175&dq=A+Bookman%27s+Catalogue+Walter+Crane&as_brr=3&ei=0H7_SoHaHpOilQTelvTyDg#v=onepage&q=&f=false>

   Walter Crane Images:
1) "Walter Crane Image Gallery" <http://www.artmagick.com/pictures/artist.aspx?artist=walter-crane> 〔ArtMagick

2) "Walter Crane Online" <http://www.artcyclopedia.com/artists/crane_walter.html> 〔Artcyclopedia: The Guide to Great Art on the Internet

3) Walter Crane, A Floral Fantasy in an Old English Garden (New York and London: Harper, 1899) <http://www.archive.org/stream/floralfantasyino00cranrich#page/n7/mode/2up> 〔Internet Archive〕

4) -----, A Flower Wedding: Described by Two Wallflowers (London: Cassell, 1905) <http://www.archive.org/stream/flowerweddingdes00cran#page/n5/mode/2up> 〔Internet Archive〕

5) -----, illustration.  Nathaniel Hawthorne, A Wonder Book for Girls and Boys (Boston: Houghton Mifflin, ) <http://www.archive.org/stream/wonderbookforgir00hawt2#page/n11/mode/2up> 〔Internet Archive〕

6)  Paul George Konody (1872-1933), The Art of Walter Crane (London: G. Bell and Sons, 1902) <http://www.archive.org/details/cu31924014894558> 〔Internet Archive〕


 


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アーモンドの花とツバメの壁紙 Almond Blossom and Swallow Wallpaper (Walter Crane) [モノ things]

記事「春を告げるもの A Herald of Spring (Walter Crane)」と「あめんどう Almond――「春を告げるもの A Herald of Spring (Walter Crane)」のつづき」の派生物。

  ラファエロ前派のひとらしく、というか社会主義者としてもウィリアム・モリス William Morris, 1834-86 に共鳴したひとらしく、というか、日本でいうと柳宗悦民藝運動みたいに、あるいは本家モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動みたいに、民衆的工芸あるいは日常的芸術みたいなものを唱えたウォルター・クレインは、やっぱりさまざまな装飾芸術に手を染めました。

  で、壁紙。 A Herald of Spring の絵に出てくるアーモンドの花とツバメが組み合わさった壁紙デザインです。――

AlmondBlossomandSwallow-wallpaper,WalterCrane-55V&A_~1.jpg
Almond Blossom and Swallow wallpaper frieze designed by Walter Crane for Jeffrey & Co, 1878.  Image via hicuppings, "Beautiful Garden Florals from the V&A" () <http://hiccupings.blogspot.com/2010/06/beautiful-garden-florals-from-v.html>

WalterCrane,AHeraldofSpring-mod.jpg
Walter Crane, A Herald of Spring (1872)
アーモンドは右手に持っている枝です。手篭の花は水仙。滑空している鳥はハト(たぶん)。
WalterCrane,AHeraldofSpring-detail.jpg   ツバメじゃないの?

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ペルセポネ(プロセルピーナ)の話(上)――春を告げるもの(ウォルター・クレイン)の余白に [Marginalia 余白に]

ギリシア神話のペルセポネ(=ローマ神話のプロセルピーナ)は、冥界(地下世界)〔ギリシア神話の ハーデス Hades、ローマ神話のオルクス Orcus〕の女王という側面と、母親のデーメテール Demeter (=ローマ神話のケレス Ceres)とほとんど一緒の地母神的な側面と、あって、たぶん(に)混淆的な存在なのだけれど、母親と違って地を去っちゃってまた帰ってくるという空間的移動をもつことで、「春の女神」という時間的サイクルを司る役割をもったように思われます。 

ウォルター・クレインは、1878年に The Fate of Persephone という油絵(テンペラも使用)の大作を発表しています。

Crane,Walter-TheFateofPersephone.jpg
Walter Crane, The Fate of Persephone [122.5×267cm; oil and tempera on canvas] image via Fine Art Giclée - globalgallery.com <http://www.globalgallery.com/enlarge/64751/#>

   この絵がクリスティーズのオークションにかけられたときの "lot description" を見ると、ミルトンの『失楽園』(Paradise Lost, Book IV, ll. 268-71)と関係付けられているみたいです。――

signed, inscribed and indistinctly dated 'WALTER CRANE MDCCC/LXXVIII' (lower left) and signed and inscribed 'THE FATE OF PERSEPHONE/WALTER CRANE/13 HOLLAND ST./KENSINGTON.LONDON.W./ Proserpine in Enna gath'ring flowers./Herself a fairer flower by gloomy Dis/was gather'd Milton' (on the stretcher) and further inscribed '.../Herself a fairer Flower..gloomy Dis/Was gather'd/Walter Crane/Beaumont Lodge/Shepherds Bush/13 Holland Street' (on an old label attached to the stretcher)
oil and tempera on canvas
48¼ x 105 1/8 in. (122.5 x 267 cm.) <http://www.christies.com/LotFinder/lot_details.aspx?intObjectID=3935128>

  "stretcher" に書かれていると書かれていますけど、 "stretcher" というのはカンヴァスを張る木枠のことですよね。だから、ウォルター・クレイン自身がタイトルに続けて書いたのでしょうか。それが "Proserpine in Enna gath'ring flowers./ Herself a fairer flower by gloomy Dis/ was gather'd  Milton" の部分。ラベルには基本同じ引用が反復されているみたい。 

    ・・・・・・かのプロセルピンが
    花摘みつゝ、みづからはなほ美はしき
    花なれば、もの暗きヂスに摘まれて
    ためにケレスが世をあまねく尋ねし
    美はしきエンナの野も・・・・・・ 〔藤井武訳『楽園喪失』〕

  ヂスというのは Dis で、ローマ神話における冥界の王(ギリシア神話の Pluto)。花を摘んでいた娘のプロセルピーナは彼女自身が美しい花だったので、暗い世界の Dis に摘まれ、〔母親の〕Ceres が捜索した、というような一節ですけど、ここで、プロセルピーナの物語のおさらいです。

  ゼウス Zeus (ローマ神話のジュピター Jupiter)大地と豊穣の女神デーメテール Demeter (ケレス Ceres)のあいだに生まれた娘のペルセポネ Persephone(プロセルピーナ Proserpina; Proserpine (英語))は、他の娘(ニンフ nymph)たちとエンナ〔シチリア島のパレルモの南東あたり〕の草原で花を摘んでいました。黄色いスイセンに手を伸ばしたときに、不意に地が割けて、馬車に乗った冥王プルートー(ディス[ヂス])が出現し、ペルセポネを抱きかかえるとそのまま地下世界へと連れ去ってしまいます。母親のデーメテールは失踪した娘を半狂乱になって探しまわり、そのかん大地は収穫もなく荒れ果てます。ゼウスは psychopomp (霊魂を冥界へ導く案内者)でもあるヘルメスを使いにだして、プルートーにペルセポネを帰させようとします。プルートーはしぶしぶ承知しますが、帰ろうとするペルセポネにザクロ(石榴・柘榴――英語だと pomegranate・・・・・・語源的には「種のたくさんあるリンゴ」)をひとつ手渡します。ペルセポネは冥界にいるあいだ、なにも口にしておらなかった。で、地上にむかう馬車のなかでザクロの種を4ないし6粒食べてしまいました。このザクロによってペルセポネは冥界に縛られてしまいます。母親のデーメテールはゼウスに懇願する。その結果、4粒の種を食べたペルセポネは1年のうちの4箇月を地下世界で冥王プルートーの妻として暮らし、4箇月たったら戻ってきて地上の母親と8箇月暮らすことになりましたとさ。

  ということで、ペルセポネが冥界にいて地上を去っている時期が冬(母親は悲しくて大地の世話をやめてしまう)で、ペルセポネが地上に戻ってくるのが春の訪れです。

  1906年に出版された Flowers from Shakespeare's Garden: A Posy from the Plays Illustrated in 40 Colour Plates by Walter Crane (London: Cassell, 1906) には、シェークスピアの『冬物語』の挿絵としてプロセルピーナを描いています。残念ながら Internet Archive 等には E-book が見つかりませんが、『子どものための美しい庭 The Beautiful Garden for Children』のなかで見られます <http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/secretgarden12.htm>。胸はだけてます。

  そして、マール社から『シェイクスピアの花園』というタイトルで2006年に出版されているようです。――

412MKST4H3L__SL500_AA300_.jpg

  

  ミルトンにシェークスピア。つづきます。

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「ゼウス(4):母娘と狂女物と「花と蛇」(ペルセフォネ)」 〔Ashe さんの『絵画で見るギリシャ神話』2002.9.3〕 <http://ashe4myth.blog118.fc2.com/blog-entry-14.html>

「ウォルター・クレイン 「プロセルピナ」」 〔『子どものための美しい庭 The Beautiful Garden for Children』の中〕 <http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/secretgarden12.htm>

 

  


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ペルセポネ(プロセルピーナ)の話(下)――春を告げるもの(ウォルター・クレイン)の余白に  [Marginalia 余白に]

ウォルター・クレインは1871年秋から73年の春までイタリアに旅行し、冬はローマで過ごしました。その滞在中に描いた水彩画の1枚が A Herald of Spring (1872) でした。Dudley Gallery で展示されたときには The Herald of Spring と定冠詞になっていて、それでA と Theが混在しているみたいです。

  この絵です。

  さて、「ペルセポネ(プロセルピーナ)の話(上)――春を告げるもの(ウォルター・クレイン)の余白に」のつづきです(そして、いっきに、「あめんどう Almond――「春を告げるもの A Herald of Spring (Walter Crane)」のつづき」で提起した問題の解決編です)。

  Flowers from Shakespeare's Garden: A Posy from the Plays Illustrated in 40 Colour Plates by Walter Crane (London: Cassell, 1906) でシェークスピアの『冬物語』にちなんでウォルター・クレインが描いたペルセポネの絵には芝居の台詞が添えられています。――

Crane,Walter-PersephoneIsAbductedbyHades.jpg
image via AllPosters.com: "Persephone Is Abducted by Hades by Walter Crane" <http://www.allposters.com/-sp/Persephone-is-Abducted-by-Hades-Posters_i1863390_.htm?aid=637878808&DestType=7&Referrer=http%3A%2F%2Fwww%2Enatureartworks%2Ecom%2Fposters%2Fi1863390%2Ehtml>

   ("Persephone Is Abducted by Hades" というのがタイトルとしてクレインが付けたものかどうか定かではないですけど、独立した複製画としてこの題で流布しているみたいです。「ペルセポネがハーデスに誘拐される」。ここでハーデスは死者の国という場所ではなくて冥界の支配者プルートーのことです。)

  さて、もとのシェークスピアの芝居『冬物語』において、この箇所は、第4幕3場のパーディタ Perdita の「花くらべ」として知られる台詞の一部です。前後を薄くして引いておきます。

PERDITA: [. . .]
I would I had some flowers o' the spring that might
Become your time of day;―and yours, and yours, and yours,
That wear upon your virgin branches yet
Your maidenheads growing:
O, Proserpina,
For the flowers now, that, frighted, thou lett'st fall
From Dis's wagon!
daffodils,
That come before the swallow dares, and take
The winds of March with beauty; violets dim,
But sweeter than the lids of Juno's eyes
Or Cytherea's breath; pale primroses,
That die unmarried, ere they can behold
Bright Phoebus in its strength,―a malady
Most incident to maids; bold oxlips and
The crown-imperial; lillies of all kinds,
The flower-de-luce being one!  O, these I lack,
To make you garlands of; and my sweet friend,
To strew him o'er and o'er!

  
  英語勉強をすると、 "O! for" は《古》archaic で「ああ、x x がほしい」という言い方。that は関係代名詞で先行詞は the flowers。thou = you〔古い2人称代名詞〕。lett'st = lettest = let〔古い2人称代名詞と一緒に変化した古い動詞形〕で、これの目的語が that = the flowers。frighted = frightened は主語の thou を修飾する補語の過去分詞(「びっくりして」「驚きのあまり」)。

  ――ああ、プロセルピーナ! あなたがディスの馬車から落としてしまった花がいまほしい。

  さて、つづく台詞の部分にもクレインは絵を添えています。――

img_132.jpg
Daffodils [Walter Crane, Flowers from Shakespeare's Garden: A Posy from the Plays (London: Cassell, 1906)] image via

『Wings of Angel』 (天使の翼) 「絵画の中の妖精」<http://angel.pupu.jp/f_picture/crane.htm>

                                        daffodils,
That come before the swallow dares, and take
The winds of March with beauty;
(ツバメがあらわれるまえにあらわれて、三月の風を美しさでとりこにするダフォディルが〔ほしい〕)

  (take よくわかりませんけど、captivate の意味にとっておきます)この黄色い花ならびに3人の黄色い花の精はダフォディル(水仙; とくにラッパズイセン)で、その花は、ペルセポネがプルートー(=ディス=ハーデス)に拉致されたときに摘みかけていた花にほかなりません。宙を飛ぶ若いツバメは管楽器 (winds) でラッパズイセンことダフォディルと競っているのかしら。

  そして、もう一度 A Herald of Spring の絵を見てみる。あ゛~、もう1回貼りつけてしまいます。――

Spring_Crane.jpg
image via Pre Raphaelite Art [by Hermes さん] <http://preraphaelitepaintings.blogspot.com/2011/01/walter-crane-herald-of-spring.html>; original image <http://www.bmagic.org.uk/objects/1929P528 >

  この絵で、裸足の女性が左手にもったカゴに入っている黄色い花はダフォディルです。そして、やはり、右上の家の入口にとまっているのはツバメではないかと思われ(でもまだ巣がないから、やってきたばかりかと)。街路に落ちている花は右手にもったアーモンドの花ではなくてダフォディルでしょう。

  そうなると、この、妻をモデルにしたとされる「春を告げるもの」、春の先触れ、告知者は、冥界から地上に現われたペルセポネのイメジと重なっているということになるのではないでしょうか。

  背後に見えるオベリスクがどういう象徴性をもった建造物と考えられていたのか知りませんが、少なくとも構図的には上方への垂直的運動、地(地下世界)からの力を示していると言えると思います。


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花くらべ(上田敏 訳) Ueda Bin's Translation of a Poetry [Perdita's Catalogue of Flowers] from _The Winter's Tale_ [φ(..)メモメモ]

直前の記事「ペルセポネ(プロセルピーナ)の話(下)――春を告げるもの(ウォルター・クレイン)の余白に」で引いたシェークスピアの『冬物語』の一節。――

PERDITA: [. . .]
I would I had some flowers o' the spring that might
Become your time of day;―and yours, and yours, and yours,
That wear upon your virgin branches yet
Your maidenheads growing:―O, Proserpina,
For the flowers now, that, frighted, thou lett'st fall
From Dis's wagon! daffodils,
That come before the swallow dares, and take
The winds of March with beauty; violets dim,
But sweeter than the lids of Juno's eyes
Or Cytherea's breath; pale primroses,
That die unmarried, ere they can behold
Bright Phoebus in its strength,―a malady
Most incident to maids;
bold oxlips, and
The crown-imperial; lillies of all kinds,
The flower-de-luce being one!  O, these I lack
,
To make you garlands of; and my sweet friend,
To strew him o'er and o'er!

  この第4幕第3場パーディタの台詞の、プロセルピーナへの呼びかけのあとの、ちょうどダフォディルのところからの10行弱を、上田敏は「花くらべ」として訳し、有名な『海潮音』(明治38年)にいれました。『上田敏全訳詩集』の編者たち矢野峰人と山内義雄の「解題」によれば、試訳が明治36年5月の『青年界』所載の「英詩花話」に挿入され、その後に推敲をくわえて38年の『白百合』(ニノ四)に掲げられたそうです。『海潮音』が本郷書院から出版されるのが明治38年10月のことです。上田敏は明治7年10月30日の生まれですから、満年齢だと若干30歳〔あ、弱冠は20歳ですね〕。冒頭のイタリアのダンヌンツィオの「燕の歌」とかはアーサー・シモンズの英訳からの重訳だったりしますけれど、フランス語やドイツ語もも堪能であったことはまちがいなく、英語もよくできたひとだった思います。つーか、東大の英文科(東京帝国大学英吉利文学科)を出て大学院で小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に直接習ったのでした。しかし、『海潮音』のころだと、その自序に言うように「収むる所の詩五十七章、詩家二十九人、伊太利亞に三人、英吉利に四人、獨逸に七人、プロワ゛ンスに一人、而して仏蘭西には十四人の多きに達し」と、フランス詩に集中しており、アメリカは零(ポーもだぜ)、そしてイギリスはロバート・ブラウニング(5編)、クリスティナ・ロセッティ(1)、ダンテ・ゲブリエル・ロセッティ(3)とシェークスピア(1)のみです。

    花くらべ

                       ヰリアム・シェイクスピヤ

燕も來ぬに水仙花、
大寒(おほさむ)こさむ三月の
風にもめげぬ凛々(りゝ)しさよ。
またはジュノウのまぶたより、
ヰ゛イナス神(がみ)の息(いき)よりも
なほ(らふ)たくもありながら、
菫の色のおぼつかな。
照る日の神も仰ぎえで
(とつ)ぎもせぬに散りはつる
(いろ)(あを)ざめし櫻草(さくらさう)
これも少女(をとめ)の習(ならひ)かや。
それにひきかへ九輪草(くりんさう)
編笠(あみがさ)小百合(さゆり)氣がつよい。
百合もいろいろあるなかに、
鳶尾草(いちはつぐさ)のよけれども、
あゝ、今は無し、しよんがいな。


6行目の「ろうたし」というのは「いじらしい」とか「いとおしい」とか「うつくしい」とかいう意味です(原語は sweet)。5行目のヰ゛イナス(ヴィーナス)神と訳されている原語の Cytherea はキュテレイア、すなわち、アフロディーテ崇拝で知られるエーゲ海の島の名キュテラから出たことばで、美の女神アフロディーテ=ヴィーナスの別名です。


walter-crane-violet-personified.jpg
violets dim,
But sweeter than the lids of Juno's eyes
Walter Crane, Flowers from Shakespeare's Garden: A Posy from the Plays Illustrated in 40 Colour Plates by Walter Crane (London: Cassell, 1906)

Crane,Walter-PalePrimroses.jpg
pale primroses,
That die unmarried, ere they can behold
Bright Phoebus in its strength,―a malady
Most incident to maids;

Crane,Walter-BoldOxlipsand.jpg
bold oxlips and

Crane,Walter-Crown-Imperial.jpg
The crown-imperial;

Crane,Walter-Liliesofallkinds.jpg
lillies of all kinds,

Crane,Walter-The flower-de-luce being one.jpg
The flower-de-luce being one!


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六粒の柘榴の種――母と娘のはなし(デーメテールとペルセポネ) "The Six Pomegranate Seeds" by Mary MacGregor (1910) [Marginalia 余白に]

1910年にメアリー・マグレガーという女性(たぶんスコットランド系のひと)が出版した『ギリシャの物語』という本にウォルター・クレインは19葉の扉絵と挿絵を描いていて、その第3章が "The Six Pomegranate Seeds" というタイトルで、ペルセポネの話を扱っていました (pp. 6-10)

Mary MacGregor.  The Story of Greece: Told to Boys and Girls. [with Nineteen Plates in Colour by Walter Crane]  London and Edinburgh: T. C. & E. C. Jack, 1910.  xvi+356pp.  (103 chapters)  e-book @ openlibrary <http://openlibrary.org/books/OL7086918M/The_story_of_Greece>

 MacGregor,Mary-TheStoryofGreece(1910)-cover.JPG    MacGregor,Mary-TheStoryofGreece(1910).jpg

  子供向けということで、ジョイス君に捧げられているのですけど、英語もやさしいし、なかば写経的に書き留めておこうと思いました。6ページと7ページのあいだ、そして10ページと11ページのあいだに挿絵が入っています。全103章で300ページを超す本に19しか絵がないのですから、例外的な扱い、ということになるでしょうか。と思ったら、パンの挿絵で、これは前の第2章が "The Great God Pan" なのでした。

crane-walter-sweet-piercing-sweet-was-the-music-of-pan-s-pipe-from-the-story-of-greece-by-mary-macgregor.jpg
Sweet, piercing sweet was the music of Pan's pipe

THE SIX POMEGRANATE SEEDS

DEMETER, the goddess of the earth, was often to be seen in the fields in springtime. As the Greek peasants sowed their seed they caught glimpses of her long yellow hair while she moved now here, now there, among them. It almost seemed to these simple folk as though already the bare fields were golden with the glory of harvest, so bright shone the yellow hair of the goddess. Then they smiled hopefully one to the other, knowing well that Demeter would give them a bounteous reaping-time.

     In the autumn she was in the fields again, the peasants even dreamed that they saw her stoop to bind the sheaves. Certainly she had been known to visit their barns when the harvest was safely garnered. And stranger still, it was whispered among the womenfolk that the great Earth-Mother had entered their homes, had stood close beside them as they baked bread to feed their hungry households.

     It was in the beautiful island of Sicily, which lies in the Mediterranean Sea, that the goddess had her home. Here she dwelt with her daughter Persephone, whom she loved more dearly than words can tell.

     Persephone was young and fair, so fair that she seemed as one of the spring flowers that leaped into life when her mother touched the earth with her gracious hands. Early as the dawn the maiden was in the fields with Demeter, to gather violets while the dew still lay upon them, to dance and sing with her playmates. At other times she would move gravely by the side of her mother to help her in her quiet labours.

     All this time, Pluto, King of Hades, was living in his gloomy kingdom underground, longing for some fair maiden to share his throne. But there was not one who was willing to leave the glad light of the sun, no, not though Pluto offered her the most brilliant gems in his kingdom.

     One day the dark king came up out of the shadows, riding in his chariot of gold, drawn by immortal horses. Swifter was their pace than that of any mortal steeds.

     Persephone was in a meadow with her playfellows when the king drew near. The maiden stood knee-deep amid the meadow-grass, and, stooping, plucked the fragrant sweet flowers all around her hyacinth, lilies, roses, and pale violets.

     Pluto saw the group of happy maidens, beautiful each one as a day in spring, but it was Persephone who charmed him more than any other.

     'She shall be my queen and share my throne,' muttered the gloomy king to himself. Then, for he knew that to woo the maiden would be vain, Pluto seized Persephone in his arms, and bore her weeping to his chariot.

     Swift as an arrow the immortal steeds sped from the meadow, where Persephone's playmates were left terrorstricken and dismayed.

     On and on flew the chariot. Pluto was in haste to reach Hades ere Demeter should miss her daughter.

     A river lay across his path, but of this the king recked naught, for his steeds would bear him across without so much as lessening their speed.

     But as the chariot drew near, the waters began to rise as though driven by a tempest. Soon they were lashed to such fury that Pluto saw that it was vain to hope to cross to the other side. So he seized his sceptre, and in a passion he struck three times upon the ground. At once a great chasm opened in the earth, and down into the darkness plunged the horses.

     A moment more and Pluto was in his own kingdom, Persephone by his side.

     When the king seized the maiden in the meadow, and bore her to his chariot, she had cried aloud to Zeus, her father, to save her. But Zeus had made no sign, nor had any heard save Hecate, a mysterious goddess, whose face was half hidden by a veil.

     None other heard, yet her piteous cry echoed through the hills and woods, until at length the faint echo reached the ear of Demeter.

     A great pain plucked at the heart of the mother as she heard, and throwing the blue hood from off her shoulders, and loosening her long yellow hair, Demeter set forth, swift as a bird, to seek for Persephone until she found her.

     To her own home first she hastened, for there, she thought, she might find some trace of the child she loved so well.

     But the rooms were desolate as 'an empty bird's nest or an empty fold.'

     The mother's eyes searched eagerly in every corner, but nothing met her gaze save the embroidery Persephone had been working, 'a gift against the return of her mother, with labour all to be in vain.' It lay as she had flung it down in careless mood, and over it crept a spider, spinning his delicate web across the maiden's unfinished work.

     For nine days Demeter wandered up and down the earth, carrying blazing torches in her hands. Her sorrow was so great that she would neither eat nor drink, no, not even ambrosia, or a cup of sweet nectar, which are the meat and drink of the gods. Nor would she wash her face. On the tenth day Hecate came towards her, but she had only heard the voice of the maiden, and could not tell Demeter who had carried her away.

     Onward sped the unhappy mother, sick at heart for hope unfulfilled, onward until she reached the sun. Here she learned that it was Pluto who had stolen her daughter, and carried her away to his gloomy kingdom.

     Then in her despair Demeter left all her duties undone, and a terrible famine came upon the earth. 'The dry seed remained hidden in the soil; in vain the oxen drew the ploughshare through the furrows.'

     As the days passed the misery of the people grew greater and greater, until faint and starving they came to Demeter, and besought her once again to bless the earth.

     But sorrow had made the heart of the goddess hard, and she listened unmoved to the entreaties of the hungry folk, saying only that until her daughter was found she could not care for their griefs.

     Long, weary days Demeter journeyed over land and sea to seek for Persephone, but at length she came back to Sicily.

     One day as she walked along the bank of a river, the water gurgled gladly, and a little wave carried a girdle almost to her feet.

     Demeter stooped to pick it up, and lo! it was the girdle that Persephone had worn on the day that she had been carried away. The maiden had flung it into the river as the chariot had plunged into the abyss, hoping that it might reach her mother. The girdle could not help Demeter to recover her daughter, yet how glad she was to have it, how safe she treasured it!

     At length, broken-hearted indeed, Demeter went to Zeus to beg him to give her back her daughter. 'If she returns the people shall again have food and plenteous harvests,' she cried. And the god, touched with the grief of the mother and the sore distress of the people, promised that Persephone should come back to earth, if she had eaten no food while she had lived in the gloomy kingdom of Hades.

     No words can tell the joy with which Demeter hastened to Hades. Here she found her daughter with no smile upon her sweet face, but only tears of desire for her mother and the dear light of the sun. But alas! that very day Persephone had eaten six pomegranate seeds. For every seed that she had eaten she was doomed to spend a month each year with Pluto. But for the other six months, year after year, mother and daughter would dwell together, and as they clung to one another they were joyous and content.

     So for six glad months each year Demeter rejoiced, for her daughter was by her side, and ever it was spring and summer while Persephone dwelt on earth. But when the time came for her to return to Hades, Demeter grew ever cold and sad, and the earth too became weary and grey. It was autumn and winter in the world until Persephone returned once more.

Crane,Walter-DemeterRejoicedforHerDaughterWasbyHerSide(MaryMacGregor,TheStoryofGreece).jpg
Demeter rejoiced for her daughter was by her side

[The Story of Greece Told to Boys and Girls by Mary MacGregor with nineteen plates in colour by Walter Crane. Published in 1910 by T.C. & E.C. Jack, Ltd. in London and Edinburgh]

  ううむ。性的なアテコスリはまったく排除されていますねー。ヘルメスも出てきーへんし。ペルセポネはけっこうあとまで maiden と呼ばれてるし。

  


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ロセッティのプロセルピーナ (1) Dante Gabriel Rossetti's Proserpine [Marginalia 余白に]

日本語で「ラファエロ前派」と呼ばれているグループがどこまでカバーする言葉かは諸説あるかもしれませんけれど、ウォルター・クレイン Walter Crane (1845-1915) はもちろん Pre-Raphaelite Brotherhood: PRB という兄弟団の一員であったわけではなく、活動は重なっているけれど、世代的にもちょっとあとのひとです。

John Everett Millais (1829-96)
William Holman Hunt (1827-1910)
Dante Gabriel Rossetti (1828-82)
以上が出発の3人 (1848)
William Michael Rossetti (1829-1919)
Thomas Woolner (1825-92)
James Collinson (1825-81)
Frederic George Stephens (1828-1907)
以上で最初の7人兄弟 (1848)

  初期にも共鳴して兄弟団にかかわる画家たちはいろいろいるのだけれど、後期の、といってもどこまでかも諸説あるので、とりあえず兄のロセッティ後期の、中世趣味から唯美主義的なところへむかうところで密接にかかわってくるのがつぎのふたりです。――
Edward Burne-Jones (1833-98)
William Morris (1834-96)

486px-Frederick_Hollyer_Burne-Jones_and_Morris_1890.jpg
Edward Burne-Jones and William Morris (1890) image via "William Morris," Wikipedia

  そして、さらに唯美主義に社会主義を加えて進んでいくウィリアム・モリスと共鳴してアーツ・アンド・クラフツ運動を一緒にやっていくのがウォルター・クレインでした。たぶん。――
Walter Crane (1845-1915)

  そして、ついでながら、そっちの方向性はラファエロ前派の運動のはじめから先達で後援者であったジョン・ラスキンによって示されていたのかもしれません。――
John Ruskin (1819-1900)

  ラスキンの奥さんだったEffie Gray (1828-97) と、ラスキンが一番親しかったジョン・エヴァレット・ミレーのふたりは、エフィーがラスキンと離婚した翌年の1855年に結婚しました。ラスキンとエフィーの結婚は不幸なものだったということになっていますが、彼女はミレーのモデルをつとめたりもして、惹かれていたのでした。ミレーの有名なオフィーリアの絵 (1852) のモデルになったElizabeth Siddal  (1829-62) と結婚したのがロセッティでしたが、彼らの結婚も不幸なものでした。エリザベス・シッダルはロセッティのモデルとして1853年ごろから数多くの絵に描かれ、長い婚約期間を経て1860年に結婚します。しかし婚約中の1857年に知り合ってロセッティが強く惹かれていくのが Jane Burden (1839-1914) で、でも彼は婚約中だし、ウィリアム・モリスと1859年に結婚してしまいます(ジェーン・モリスになる)。エリザベスはもともと帽子屋の店員で労働者階級のひと。自らも絵筆を執って画家活動を行ない、詩も書き、ラスキンに支持もされますが、ロセッティの家の側からの蔑視や夫の浮気な性格や流産の不幸もあって、薬のアヘンチンキを多用して結婚2年後の1862年に亡くなってしまいます。

468px-Dante_Gabriel_Rossetti_-_Beata_Beatrix,_1864-1870.jpg
Dante Gabriel Rossetti, Beata Beatrix ([1864-]1872) [Elizabeth Siddal がモデル。ロセッティが1873年にモリスに送った手紙によれば、ダンテのベアトリーチェの死の表象というよりも「トランスないし不意の霊的変容によって象徴化して理想化した」もの "an ideal of the subject, symbolized by a trance or sudden spiritual transfiguration" これはテート・ギャラリー所蔵ヴァージョン。バーミンガム美術館のは花が赤い]

Morris,William-LaBelleIseult-Queen_Guinevere.jpg
William Morris, La belle Iseult [Queen Guenevere] (1858)――モリス唯一の油絵は知り合ったころのジェーンをモデルにしたもの

  ラスキンとは違って、ウィリアム・モリスとジェーンのあいだにはちゃんと子どもも生まれているのですけど――1861年と翌年に年子の姉妹が生まれていて、妹の May Morris (1861-1935) は社会主義者・工芸家になって活動します――、しだいに夫婦の仲は冷えていったらしい。

  ロセッティは、1858年にやっぱり知り合っていたモデルの Fanny Cornforth (1835?-c1906) を家政婦として家に迎えて関係をもちながら、モリス夫妻と交流を続けて、ジェーンをモデルにした絵も描きつづけます。

Rossetti,TheBlueBower(1865).jpg
Rossetti, The Blue Bower (1865) [Fanny Cornforth] image via Passiflora <http://www.passionflow.co.uk/art312141115.htm>

Jane-morris-blue-silk.jpg
Rossetti, Jane Morris [The Blue Dress] (1868) image via Wikipedia

  でペルセポネ、プロセルピーナといえば、あまりに有名なのが、最晩年まで反復される、ジェーン・モリスをモデルとした Proserpine の連作なのでした。1871年のパステル画にはじまり亡くなる1年前の1881年の油絵まで、執拗に。

Rossetti,Proserpine.JPG

  で、不幸な結婚生活を送るジェーンをプロセルピーナに、冥王をウィリアム・モリスになぞらえる解釈みたいなのが自ずと行なわれてきたのですけど、絵が貼れなくなったので、別の記事につづきます。

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"Chronology" The Arts and Crafts Home: A Design Source for Home Decoration 〔Mark Golding さん作成(あるいは from: Arts and Crafts by Anscombe and Gere)の年表 1819 [ラスキンの生年]-1919[バウハウスの創設]〕 <http://www.achome.co.uk/chronology/chronology.htm>

"The William Morris Internet Archive: Chronology" 〔Nick Salmon さん作成の年譜。marxists.org 内〕 <http://www.marxists.org/archive/morris/works/chrono.htm>


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恋人ふたりの間で股割き Torn Between Two Lovers [歌・詩 ]

ふたつ前の記事で、ウォルター・クレインが挿絵を書いたギリシア神話の物語の著者の名前がメアリー・マグレガーといいました。アレッ? メアリー・マグレガーって・・・・・・と思ったひとは自分を入れて1・2名でしょうけれど、はい、1976年暮れのデビュー曲 "Torn Between Two Lovers" が翌1977年にビルボード誌で1位に輝くヒットとなった、アメリカの女性シンガーです。

  つぎの記事に恋多き(複雑な相愛関係の)ラファエロ前派のひとびとを書いたのもあって、なんとなく書き留めておきたくなりました。

  Mary MacGregor はミネソタ州セントポールに1948年に生まれています(St. Paul, Minnesota というと作家のフィッツジェラルドの生まれた都市です)。十代でバンドを組み、ミネソタ大学卒業後にPP&M (Peter, Paul and Mary) のメンバーだった Peter Yarrow に認められ、バックコーラスに参加、そしてピーター・ヤーローの作詞・プロデュースで歌われたのがこの曲でした(邦題はなぜか「過ぎし日の想い出」)。

  もともとは『ドクトル・ジバゴ』にヤーローが触発されて、ふたりの女性への恋心に引き裂かれる野郎の(男の)歌として作詞したのだそうだけれど、メアリーさんに歌わせるということで女歌にしたのだそうです。

There are times when a woman has to say what's on her mind, even though she knows how much it's gonna hurt.  Before I say another word, let me tell you, "I love you."  Let me hold you close, and say these words as gently as I can: "There's been another man that I've needed and I've loved, but that doesn't mean I love you less.  And he knows he can't possess me, and he knows he never will.  There's just this empty place inside of me that only he can fill."
(どれだけ傷つけることになるかわかっていても、心の中にあることを言わなければいけないときが女にもあるわ。その前に、あなたに「アイ・ラブ・ユー」と言わせて。ぎゅっと抱きしめさせて、そしてできるだけおだやかに話させて。――「わたしに必要な、わたしが愛してきた別の男のひとがいます。でもだからそのぶんあなたのことを愛していないということにはならない。彼はわたしが彼のものになれないことを知っているし、将来も決してそうはならないことを知っている。ただ、彼だけが埋められる空っぽの場所がわたしのなかにはあるの。」
[refrain]
Torn between two lovers, feeling like a fool ふたりの恋人に引き裂かれて道化者みたいな気分
Loving both of you is breaking all the rules あなたたち両方を愛するのは完全ルール違反
Torn between two lovers, feeling like a fool
Loving you both is breaking all the rules

You mustn't think you failed me just because there's someone else.  You were the first real love I ever had.  And all the things I ever said, I swear, they still are true.  For no one else can have the part of me I gave to you.(誰か別のひとがいるからわたしとうまくいかなかったって考えるのはまちがい。あなたはわたしの初めてほんとうに愛したひとだった。わたしがこれまで言ったことはみな、誓って、いまでも真実よ。わたしがあなたに捧げたわたしの一部を他の誰も得ることはできないのだから。)
[refrain]

 
I couldn't really blame you if you turned and walked away.  But with everything I feel inside, I'm asking you to stay.(わなたが背を向けて去っていってもあなたを責めることなどできないでしょう。それでも、わたしの中の思いのすべてで、願っているの、どうか行かないでと。)
  ま、原詞をよく読んでもよくわからん歌です。クリスタル・ゲイルの「瞳のささやき Don't It Make My Brown Eyes Blue」に通じるものがあるかもw。
  ところで、不意に思い出したのですけど、この曲は、木之内みどりの昔のLPアルバムに、日本語の詞で入っていました。(さっき探そうとしたけれど、本箱の高いところにあるので見えなかった。) ♪誰にもきっと一度や二度の~あやまちがきっとあるはず~♪ とかなんとかが出だしで、「今はぁ、この愛、すべてなの~♪」みたいなサビ。なつかしぃ~。
/////////////////////////////////
"Mary MacGregor" http://www.artinbase.com/artist/19080/Mary_Macgregor/ArtInBase.com 内。リンク切れ〕のキャッシュ。バスルームというのはオフィーリアのモデルとしてバスタブにつかって肺炎になりかけたエリザベス・シッダルとは違って、トイレのことですかね。それにしても歌を否定的にコメントしていておもしろい。――
Mary was born in St. Paul, Minnesota, where she studied classical piano from the age of six. Within eight years, she was singing professionally with a local big band. After attending the University of Minnesota, where she continued singing with Minneapolis and St. Paul groups, Mary began touring the rest of the country with various folk, R&B, and rock bands.

It was during one of these national tours that she caught the attention of Peter Yarrow of Peter, Paul and Mary. Impressed with her double-octave range, Yarrow invited her to join him on a national tour as a backup vocalist. His next step was putting her voice on vinyl: Mary was heard singing backup on Yarrow's Love Songs album. Her blossoming vocal talent led to her first solo endeavor, produced by Yarrow, the fateful "Torn Between Two Lovers."

"I never liked the song too much, and I still don't," said Mary. "There are just some songs I like, and some I don't, and this is one of them. Peter and I had a very long relationship. We're both very emotional people, and whenever we got together it was a very volatile experience. Sometimes it was positive, sometimes negative, and on this particular song we had a lot of fights. Was it really good? Was it going to make it? We had a lot of discussions about this song.

"For me to sing anything, I have to get emotionally involved. That's what really makes it for me. I didn't like 'Torn' mostly because it was boring to sing. It's a real 'sleeper' kind of ballad. Peter thought it was a real statement, and he wanted it to happen. He wanted a woman to sing it, and he wanted that woman to be me.

"I recorded the song in Muscle Shoals, Alabama, while standing in a bathroom. It was a room that was actually part of the studio, just sort of built-in there. They had a boom stand with a microphone on the end of it. The boom was in the studio, and the mike kind of stuck in through the door, hanging over the mirror. It was a tiny little room, but I finally worked things around so I didn't have to stare at myself singing. It's a great place. You get a lot of natural echo in bathrooms."

Mary was trembling when she recorded her big song, and not from the studio air conditioning. At the time, she'd been happily married for five years, and just the thought of being unfaithful to her husband, Don, was traumatic. But then came stardom, and the hopes, pressures, fears, and disappointments that come with it. On May 25, 1978, Mary filed for divorce, citing "irreconcilable differences." Her next release -- a flop -- was called "Memories."

"A lot of people are torn between two lovers," said Mary, "or have been, or will be. The single itself must have touched a lot of them, because it sold more than two million copies worldwide."

"Torn Between Two Lovers" began its rise in November 1976, finally peaking at number one in February 1977. It put Mary in the spotlight -- for the moment -- but ruined her career singing advertising jingles.

Living on her central California ranch where she raises horses and writes songs, Mary looked back at her moment in the spotlight. She says the song ultimately proved to be a strain -- "not because I was sleeping with someone else, but because I was living with my career instead of with him. But those things happen."

"Now I'm in a dilemma because I'm too well known to return to being an anonymous singer for a bank, but I'm not well known enough to get bookings. I never thought about being a success until 'Torn.' I was trying to make a career out of doing commercials. Now I can't.

"Success is so fickle," she warned. "You're only as good as you're next hit."

Mary would never repeat the commercial success of "Torn," however she did crack the Top 40 one more time before the end of the decade with "Good Friend," which was featured on the soundtrack of the Bill Murray comedy Meatballs. 
torn-between-two-lovers-threesome-malt-watch-share-demotivational-poster-1259674594.jpg
image via demotivational poster <http://www.motifake.com/80010>


 

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偶然みたいなこと Torn Between Two Lovers (2) [ひまつぶし]

"Torn Between Two Lovers" であらためて検索をかけていたら、オーストラリア新聞記事 "Torn Between Two Lovers" が出たのですけど、そのサイトにウォルター・クレインの絵を入れた art.com の広告が嵌っているのでした。

  これは偶然なのかしら、それとも morichan の父の跡を追いかけてくるWEB の罠なのかしら。

TornBetweenTwoLovers2.JPG
"Torn between two lovers - Film - Entertainment - smh.com.au <http://www.smh.com.au/news/film/torn-between-two-lovers/2008/08/08/1218139042053.html> [The Sydney Morning Herald, August 9, 2008]

  2008年の映画 The Edge of Love の記事なのでした。いまのところ下手に映画について語る気力がないので股合う暇で。でもキーラ・ナイトリーは好きです、実は。


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ロセッティのプロセルピーナ (2) Dante Gabriel Rossetti's Proserpina [歌・詩 ]

ロセッティの一連の『プロセルピーナ』の絵の右上に書き込まれているロセッティ自作のイタリア語の詩。14行詩(ソネット)です。

Lungi è la luce che in sù questo muro
Rifrange appena, un breve istante scorta
Del rio palazzo alla soprana porta.
Lungi quei fiori d'Enna, O lido oscuro,
Dal frutto tuo fatal che ormai m'è duro.
Lungi quel ciel dal tartareo manto
Che quì mi cuopre: e lungi ahi lungi ahi quanto
Le notti che saràn dai dì che furo.

Lungi da me mi sento; e ognor sognando,
Cerco e ricerco, e resto ascoltatrice;
E qualche cuore a qualche anima dice,
(Di cui mi giunge il suono da quando in quando,
Continuamente insieme sospirando,)―
"Oimè per te, Proserpina infelice!"


Gothica - Proserpina (6:08)

Rossetti,Proserpina.jpg
Dante Gabriel Rossetti, Proserpina image via <http://lyricsdog.in/s/proserpine%20rossetti>

  1881年に刊行された詩集に "Per an Quadro" ("For a Picture") とタイトル "Proserpina" の下に添え書きして、伊・英の詩を見開きで載せています(264, 265)。 <http://www.archive.org/stream/balladssonnets00rossgoog#page/n314/mode/2up/search/Proserpina>  アメリカ版 Boston: Robert Brothers, 1882. pp. 280-281.


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毎日がバレンタイン・デー My Funny Valentine [歌・詩 ]

SaintValentine'sDay_1861.jpg 

カリフォルニアにいたころに、"My Funny Valentine" について書いたいたような記憶があったので、調べてみたけれど、なんも見つかりませんでしたw。歌詞について考えた記憶は確かにあるので、たぶんどこかで悩んで、あるいは忙しくて書かなかったのかしら。


PianistaItaliano [Alfonso Gugliucci], "My Funny Valentine"

                   My Funny Valentine

                                  ―Lorenz Hart (1895-1943)

     VERSE
Behold the way our fine-feathered friend
His virtue doth parade.
Thou knowest not, my dim-witted friend,
The picture thou hast made.
Thy vacant brow and thy tousled hair
Conceal thy good intent.
Thou noble, upright, truthful, sincere,
And slightly dopey gent― you're

     REFRAIN
My funny valentine,
Sweet comic valentine,
You make me smile with my heart.
Your looks are laughable,
Unphotographable,
Yet you're my fav'rite work of art.
Is your figure less than Greek?
Is your mouth a little weak?
When you open it to speak
Are you smart?
But don't change a hair for me,
Not if you care for me,
Stay, little valentine, stay!
Each day is Valentine's Day.

  歌詞は Reading Lyrics (Pantheon, 2000) を参照しました。どうして最後の Valentine's Day 以外は小文字の valentine なのでしょう。
  あー、たぶん歌詞の意味がよくわからなかったのですね。で、いまもわからないことがわかりましたw。 とりあえずもともとは "gent" と呼ばれているのが thou = you なのだから、女の歌なのね。チェット・ベイカーの唄はユニセックス、というよりバイセクシュアルな魅力なのか。

  来年こそは訳して書くぞ~。

///////////////////////////

20:46pm 付記

(1) 英語のウィキペディアの "My Funny Valentine" には1937年のミュージカルのときのシチュエーションが説明されていました。――

History

Babes in Arms opened at the Shubert Theatre on Broadway, in New York City on April 14, 1937 and ran for 289 performances.[1] In the original play, a character named Billie Smith (played by Mitzi Green) sings the song to Valentine "Val" LaMar (played by Ray Heatherton).[2] In the song, Billie pokes fun at some of Valentine's characteristics, but ultimately affirms that he makes her smile and that she doesn't want him to change. [. . .]

(2) ヴァースまでいれた日本語訳ふたつ――

a)  xxokkun, 「My Funny Valentine 私のへんてこなヴァレンタイン」 『xxokkunのダメダメ日記』 2005.9.3 <http://plaza.rakuten.co.jp/xxjazz/diary/200509030000/>

b)  pjol,  「My Funny Valentine」 『Lyrics - 訳詩の世界』 10.24 <http://udzu.blog123.fc2.com/blog-entry-3.html>

  Reading Lyrics を信じるならば、男も歌うようになって、Valentine がvalentine になったのではなくて、最初から "sweetheart" の意味で小文字の valentine だったと考えられます。しかしキャラクターの名前がヴァレンタインだったというのはわざとらしすぎだけど。つーか、やっぱりそのことをカリフォルニアで考えていたような記憶がw。ま、来年。


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ホワイト・バレンタイン・デー White Valentine [ひまつぶし]

2月14日夜10時前に、近所のスーパーに雪の中、歩いて買い物に行った。ひさしぶりに雪を踏んで歩いた。

WhiteValentine'sDay2011.2.14.jpg

  一度家に戻ってから、また外に出て撮ったのですw。 月極駐車場。

  そういえば、カリフォルニアのバークレーも雪が降っているとこないだラジオでなんたらいうバークレー在の映画評論家が言っていたなあ。たしかいまごろは雨季だったような。

WhiteValentine'sDayDSC_0188.jpg

WhiteValentine'sDay-DSC_0190.jpg

 

220px-White_Valentine_Poster.jpg
White Valentine
(1999) (화이트 발렌타인, Hwaiteu ballenta-in)

  ホワイト・デー兼つーこと?

    いま(25時57分)外に出てみたら、小雨になっていました。(武蔵野地区山田うどん地帯)


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ロセッティのプロセルピーナ (3) Dante Gabriel Rossetti's Proserpina [歌・詩 ]

ロセッティが(『プロセルピーナ』という)「絵のために」イタリア語で書いた詩「プロセルピーナ」のロセッティ自身の英訳(Ballads and Sonnets [London: Ellis and White, 1881])と適当な和訳を並べてみます。

    Proserpina

      
(Per un Quadro)

Lungi è la luce che in sù questo muro
  Rifrange appena, un breve istante scorta
  Del rio palazzo alla soprana porta.
Lungi quei fiori d'Enna, O lido oscuro,
Dal frutto tuo fatal che ormai m'è duro.
  Lungi quel ciel dal tartareo manto
  Che quì mi cuopre: e lungi ahi lungi ahi quanto
Le notti che saràn dai dì che furo.

Lungi da me mi sento; e ognor sognando,
  Cerco e ricerco, e resto ascoltatrice;
  E qualche cuore a qualche anima dice,
(Di cui mi giunge il suono da quando in quando,
Continuamente insieme sospirando,)―
  "Oimè per te, Proserpina infelice!"

 

Proserpina

(For a Picture)

Afar away the light that brings cold cheer
  Unto this wall, ―one instant and no more
  Admitted at my distant palace-door.
Afar the flowers of Enna from this drear
Dire fruit, which, tasted once, must thrall me here.
  Afar those skies from this Tartarean grey
  That chills me: and afar, how far away,
The nights that shall be from the days that were.

Afar from mine own self I seem, and wing
  Strange ways in thought, and listen for a sign;
  And still some heart unto some soul doth pine,
(Whose sounds mine inner sense is fain to bring,
Continually together murmuring,)―
  "Woe's me for thee, unhappy Proserpine!"

 

プロセルピーナ

(絵に寄せて)

はるか遠くにこの壁に冷たい喝采を
  もたらす光――ただ一瞬だけでそれ以上ではない
  遠くの宮殿の扉に入るのだから
一度食べればここにわたしを隷属させるこのわびしく陰鬱な
  果実から遠くはなれてエンナの花々がある
  わたしを凍えさせるこのタルタロス[地界]の灰色から
  遠くはなれた上空、そしてどれだけかけ離れているのか、
昔の日々とこれからの夜々は。

わたし自身からわたしは離れて思え、そして思い
  は不思議な道筋をたどり、しるしを求めて耳傾ける――
  そしていまなおひとつの心がひとつの魂を思い嘆いている
(その音声をわたしの内なる感覚はもたらし、
絶えず一緒にささやく)――
  「ああわたしは君を悲しむ、不幸せなプロセルピーナよ!」

l. 4  drear=dreary
l. 5  Enna ペルセポネ(プロセルピーナ)が花を摘んでいるときに冥界の王にさらわれた場所
l. 5  fruit  ザクロのこと。食べると冥界に縛られる(あるいは婚姻のしるし)

  よくわかりませんけれど、使いのヘルメスと一緒に地上へ戻る途中でザクロを食べた、という話ではなくて、冥界にいるあいだに食べてしまっていたので、戻れまてん、というお話のようです。

  が、ここで、絵もそうですけれど、(詩だと一人称の話者の)プロセルピーナ自身が自発的にザクロの実を食べる決断をしている。そしてその自分の不幸を嘆いている人がいるということです。で、この第三者は誰か、ということで、それが画家のロセッティであると。

Rossetti,Proserpine(1877).jpg
Dante Gabriel Rosetti, Proserpina (1877) image via Wikipedia

  


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恋人ふたりのあいだで裂かれるの図 Torn Between Two Lovers [φ(..)メモメモ]

六粒の柘榴の種――母と娘のはなし(デーメテールとペルセポネ) "The Six Pomegranate Seeds" by Mary MacGregor (1910)」で紹介した、ウォルター・クレイン挿画のギリシア神話の本 The Story of Greece の著者の名前がメアリー・マグレガーだったことから、70年代のヒット曲「過ぎし日の想い出」について「恋人ふたりの間で股割き Torn Between Two Lovers」という一見品性下劣なタイトルの記事を書いた、ころ、"torn between two lovers" を検索していて、出会ったのがつぎの絵でした。――

imgp4568ci6.jpg
Torn Between Two Lovers, image via 爱,消失的那一瞬间: Glasgow Trip Part  by S (2008.3.8)

  スコットランド、グラスゴーのKelvingrove Art Gallery and Museum という美術館/博物館の訪問写真記なのですけど、こうS さんによるキャプションがあります。――

I like this drawing. It's name TORN BETWEEN TWO LOVERS.

  19世紀ごろの絵だと思われるのですが。誰の絵じゃろ。 ま、裂かれるというよりは二股掛図という趣ですが。

  ということで、メモがわりに貼っておきます。

///////////////////////

Kelvingrove Art Gallery and Museum <http://www.glasgowlife.org.uk/museums/our-museums/kelvingrove/Pages/home.aspx>


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ウィリアム・シャープとロセッティ William Sharp and Dante Gabriel Rossetti [φ(..)メモメモ]

2009年の3月末(日本時間4月1日)、カリフォルニアをあとにする日が近づいたころに「March 31 ウィリアム・シャープとフィオナ・マクラウド(1) William Sharp and Fiona Macleod (1)」という記事を書いて、そのつづきを書いておらなかったのですが、シャープとマクラウドの書誌は作成して貼ったものだとばかり思っていました。が、その書誌のファイルが見つからず。

  それで、それは見つかったら貼ることにして、さて、女性名フィオナ・マクラウド Fiona MacLeod こと男性名ウィリアム・シャープ William Sharp, 1855-1905 は、男性として晩年のロセッティ Dante Gabriel Rossetti, 1828-82 と交流があり、ロセッティの没後に評伝を出版しています。

William SharpDante Gabriel Rossetti: A Record and Study.  London: Macmillan, 1882.  432pp. + Appendix 17pp. <http://www.archive.org/stream/dantegabrielros03shargoog#page/n12/mode/2up> ←これページが切れててダメE-text です。こっちがイラストも保存していて断然よい⇒ <http://www.archive.org/stream/dantegabrielross00sharrich#page/n7/mode/2up>

Sharp,William-DanteGabrielRossetti(1882).JPG

Ch. 1  Life. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . page 1
Ch. 2  The Preraphaelite Idea―"The Germ" . . . . . . . . . . .page 39 
Ch. 3  Book-Illustrations―Designs―Pictures . . . . . . . . . .
page 102
Ch. 3 (Cont'd)  Designs and Paintings . . . . . . . . . . . . . . page 189
                     Addenda to Chapter III . . . . . . . . . . . . . .page 270
Ch. 4  Prose Writings―"Hand and Soul"―Translations . . . . page272 
Ch. 5  Lyrical Poems . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
page 314
Ch. 6  Ballads . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .  page 353
Ch. 7  The Sonnet―Sonnets for Pictures―Miscellaneous
               Sonnets . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
page 385
Ch. 8  "The House of Life" . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .  page 406
Appendix 
         Catalogue of Pictorial Compositions, Supplementary
               to Art-Record . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
page 433

  ウィリアム・シャープのなかにフィオナ・マクラウドという女性人格が現われたのはいつだったのでしょう。フィオナ名義の最初の本が出るのは1893年だけれど。

    W・B・イェイツとも微妙な交流をしながら(つーのはイェイツはフィオナを評価するけれど、ウィリアムをあんまり評価しなかったりする)、ゴールデン・ドーン (The Hermetic Order of the Golden Dawn, 1888-) にも加わるシャープですけど、ロセッティのラファエロ前派兄弟団も秘密結社的なものであったとして、そのとりわけて秘密結社的思想的内実があったとしたら、それはどんなものだったのかしら。


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グラスゴーと共時性 Glasgow and Synchronicity [φ(..)メモメモ]

一昨日からアメリカの女性作家のエレン・グラスゴー Ellen Glasgow, 1874-1945 の自伝をたまたま地下室から掘り出して読んでいたのだけれど、たまたま16日の夜に「恋人ふたりのあいだで裂かれるの図 Torn Between Two Lovers」で書いた絵のあるらしい Kelvingrove Art Gallery and Museum はグラスゴーにあったのでした。――

Kelvingrove Art Gallery and Museum
Argyle Street, Glasgow G3 8AG

  そして、その次の記事「ウィリアム・シャープとロセッティ William Sharp and Dante Gabriel Rossetti」で書いたウィリアム・シャープはグラスゴーの西のPaisley で生まれて、グラスゴーの高校と大学を出て、グラスゴーの法律事務所で働いていたのでした。

  そして、アメーバピグでペイズリーというハンドルネームのひとをたまたたま見かけて、つづりが間違っているので指摘して、ということがあったのでした(ペイズリー柄はスコットランドの Paisley に由来します)。

  エレン・グラスゴーとスコットランドのグラスゴーは関係ない。はい、そうです。しかし、関係ないものが同時に出くわすのが、ユングが興味を抱いた共時性 synchronicity という偶然の非因果的(つーと東洋思想的カルマみたいなものも否定してしまうかもしれず、いっぽうユングがどれくらい東洋思想にシンクロしていたのか定かじゃないのだけれど、科学的数量的原子論的原因結果関係の連鎖とは別物という意味合いです)つながりの意味であり。

  日本語のウィキペディアのこんがらがった項目「シンクロニシティー」の「一般的概念」という節の前段――

ユングは、全てではないにせよ、いくつかの「偶然の一致」(coincidences)は単なる文字通りの「偶然」ではなく、非因果的な複数の事象の「同時発生(co-inciding)」か、あるいは普遍的な事象を作り出す力の連続性によるものであると信じたのである。これらの力により、直観的な意識と行動が調和する過程を、ユングは「個性化」と名付けた。集合的無意識(collective unconscious)による、個性化された人間の意識のコミュニケーションを通じて、現実の出来事が形成されるというのが、ユングの主張であった。[要出典]

ユングの説明によれば、シンクロニシティとは「非因果的連関の原理」、言い換えれば因果関係の外部、あるいは因果関係に付随して働く連絡の形式である。[要出典]

  「個性化」というのはユングのいう個体化のことだと思いますけど、そうかなー。そのつぎの節の「批評」は擬似科学がらみ、というか非科学的、というあたりまえのレッテル貼りの記述です(というか、擬似科学を批判することばが擬似科学的文体になっているみたいな)。――

批評

シンクロニシティの理論科学的方法による検証が不可能であり、概ね科学よりも疑似科学であると見做されている。[要出典]確率論は、何の普遍的な連続性の力の介入なしに、普通の世界でプラム・プディングのような出来事の説明を試みることができる。しかしながら、その蓋然性を実際に計算するのに必要となる正確な変数を発見することはできない。これは、特定の個人的体験を記述するのにシンクロニシティが良いモデルでないという事ではない――が、シンクロニシティが「厳然たる事実」、すなわち我々の世界に現存する原理であると考えることを、拒否される理由ではある。

シンクロニシティは呪術的思考に陥っていると、主張する者もいる。

科学的手法が適用できるのは、(1)再現可能であり、(2)観測者から独立しており、(3)定量化できる現象のみに限られるが、シンクロニシティが科学的に「証明可能」でないとする議論の大部分は、レッド・ヘリング(訳注:「注意をそらせるおとり」の意味)である。

当然ながら、観測者独自の経歴がシンクロニシティによる出来事に意味を与える以上、シンクロニシティによる出来事は、観測者から独立していない。シンクロニシティによる出来事に関する独特な前歴がなければ、その出来事は誰にとっても、他の無意味で「ランダム」な出来事のようにしか見えない。シンクロニシティの原理は、自然界の出来事の連続性が持つ意味への疑問そのものを呼び起こす。

古典的な感覚では科学的に立証不可能ではあるが、ユングの表現する「非因果的連関の原理」の、より科学的な用語である「相関性」においては、シンクロニシティ現象の科学的な根拠は、発見されるかもしれない。

「相関性は因果関係を意味しない」は、よく知られた科学の原則である。しかし、相関性は古典的な因果関係によらず、現象間に共有される物理的性質かもしれない。遠く離れた出来事が、直接に物理的な因果関係で結ばれることなく相関性を持ち得るのは、量子力学の相関関係において明確に表されている(「非局所性」を参照)。

ユング自身、この説を提唱する際、占星術の誕生宮と結婚のパートナー選択の対応を検分し、共時性原理を見出そうとしたが、調査対象が占星術を真剣に信奉している者たちであり、任意の標本ではなかった。ゆえに統計学的な基礎条件を備えていなかった。

そうかなー。 

  なんか井村宏次だったかが、なんか書いてたような記憶があるけど、なんかズレがあるような感じがします。 あー、高橋巌もユングの「共時性」について書いていたと記憶しています。

  ということで、今後の検討のためのメモ&偶然の記録メモ。


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ロセッティのプロセルピーナ (4) Dante Gabriel Rossetti's Proserpina [作家の肖像]

[ここまでの流れ――「春を告げるもの A Herald of Spring (Walter Crane)」(2/6)、「あめんどう Almond――「春を告げるもの A Herald of Spring (Walter Crane)」のつづき」(2/6)、「アーモンドの花とツバメの壁紙 Almond Blossom and Swallow Wallpaper (Walter Crane)」(2/6)、「ペルセポネ(プロセルピーナ)の話(上)――春を告げるもの(ウォルター・クレイン)の余白に」(2/11)、「ペルセポネ(プロセルピーナ)の話(下)――春を告げるもの(ウォルター・クレイン)の余白に」(2/11)、(「花くらべ(上田敏 訳) Ueda Bin's Translation of a Poetry [Perdita's Catalogue of Flowers] from _The Winter's Tale_」(2/11)、「六粒の柘榴の種――母と娘のはなし(デーメテールとペルセポネ) "The Six Pomegranate Seeds" by Mary MacGregor (1910)」(2/12))、「ロセッティのプロセルピーナ (1) Dante Gabriel Rossetti's Proserpine」(2/12)、「ロセッティのプロセルピーナ (2) Dante Gabriel Rossetti's Proserpina [歌・詩 ]」(2/13)、「ロセッティのプロセルピーナ (3) Dante Gabriel Rossetti's Proserpina [歌・詩 ] 」(2/15)、「ウィリアム・シャープとロセッティ William Sharp and Dante Gabriel Rossetti」(2/17)――ウォルター・クレインが妻をモデルにして描いた絵『春を告げるもの』にプロセルピーナを幻視したついでに有名なラファエロ前派のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの『プロセルピーナ』を眺めています]

Rossetti_selbst.jpg
Dante Gabriel Rossetti, Self-Portrait (1847)

Hunt,WilliamHolman-Rossetti(1853).jpg
William Holman Hunt, Dante Gabriel Rossetti (1853) ハントによる肖像のどでかい画像はArt Renewal Center <http://www.artrenewal.org/pages/artwork.php?artworkid=11206&size=huge>

Rossetti,photobyLewisCarroll(1863).JPG
Rossetti (1863), from a photograph by Lewis Carroll [アリスのルイス・キャロルはラスキンやロセッティらと親交がありました。弟のWilliam Michael Rossetti の著わした Dante Gabriel Rossetti as Designer and Writer (London; New York: Cassell, 1889) の扉絵]

  ロセッティ (1828-82) とジェーン・モリス(ウィリアム・モリスの妻)については既に「ロセッティのプロセルピーナ (1) Dante Gabriel Rossetti's Proserpine」(2/12) で書きました。

Rossetti,JaneMorris.jpg
Rossetti, Jane Morris 1860ごろ?

JaneMorris (1865).jpg
Jane Morris (1865) photograph by Rossetti

Rossetti,JaneMorris,Reading(1870).jpg
Rossetti, Jane Morris, Reading (1871)

 

  ウィリアム・シャープは、ロセッティ自身が絵について解説した手紙(何枚目かの絵を購入した W. A. Turner 宛て)を引用しています。――

Although somewhat repetitive of what has already been said, the following extract from a letter by the artist relative to the replica belonging to Mr. Turner will be read with interest:―"The figure represents Proserpine as Empress of Hades.  After she was conveyed by Pluto to his realm, and became his bride, her mother Ceres importuned Jupiter for her return to earth, and he was prevailed on to consent to this, provided only she had not partaken any of the fruits of Hades.  It was found, however, that she had eaten one grain of a pomegranate, and this enchained her to her new empire and destiny.  She is represented in a gloomy corridor of her palace, with the fatal fruit in her hand.  As she passes, a gleam strikes on the wall behind her from some inlet suddenly opened, and admitting for a moment the light of the upper world; and she glances furtively toward it, immersed in thought.  The incense-burner stands behind her as the attribute of a goddess. The ivy-branch in the background (a decorative appendage to the sonnet inscribed on the label) may be taken as a symbol of clinging memory.”  The label referred to is a white scroll attached to the wall in the upper left [sic. right じゃないかと] corner, bearing upon it the already quoted sonnet in its Italian version with its woful ending, "Oimè per te, Proserpina infelice!"  On the base of the frame is written the quoted sonnet, and there is also the inscription (at any rate on Mr. Leyland's, and one or two others) Dante Gabriele Rossetti Ritrasse nel Capodanno del 1874.  (William Sharp, Dante Gabriel Rossetti, pp. 236-237).

  シャープは234ページで、"The original oil is in the possession of Mr. Leyland, and the replicas as follows: Mr. Turner's, 1877; Mr. Graham's, 1880; Mr. Hutton's (water-colour), 1880; oil belonging to Mr. Valpy, 1881; and another, I think in tinted crayons, belonging to Mrs. Morris." と書いていて、ターナーは1877年としているのでよくわからんのですけど(ちゃんと手紙も調べればわかるのでしょうが)、1874年の『プロセルピーナ』(The Complete Writings and Pictures of Dante Gabriel Rossetti: A Hypermedia Archhive によれば seventh version のoil replica)はこれです。――

Rossetti,Proserpina(1874,oil replica,7thvers.).jpg
Rossetti, Proserpina (1874)
これのズーム可能ページ <
http://www.rossettiarchive.org/zoom/s233.r-2.img.html> これはウィキペディアにもあるのだけれど、青みが少し強いです。ファイル:Dante Gabriel Rossetti - Proserpine.JPG

  「描かれた姿は冥界の女王としてのプロセルピーナです。プルートーの王国に連れてこられた彼女は彼の花嫁になりましたが、母親のセレスはジュピターに娘を地上に戻してくれと懇願します。説き伏せられたジュピターは、ハーデスの果実をひとつたりとも食していないことを条件に、同意する。しかし、彼女はザクロの実をひとつぶ食べてしまっていたことがわかり、そのために冥界という新たな帝国と運命に彼女は縛られることになります。王宮の暗い通廊で、宿命の果実を手にした彼女の姿を絵は表わしています。廊下を歩くと、不意にどこかの隙間から一条の光が彼女の背後の壁にさしこんできて、しばしのあいだ地上界の光をもたらすのです。彼女はその光を盗み見て、物思いに耽ります。傍らの香炉は女神であることの属性を示します。背景のツタの枝(ラベルに書かれたソネットの装飾的付属)は絡まる記憶の象徴ととられてもよい。」

 

〔14時前に追記〕
絵を購入したターナーさん宛ての手紙は1878年になってからでした。そして絵は1877年完成の sixth version でした(着手したのが1873年の秋なので、上の1874年の絵より「古い」)。それは前に貼った、Wikimedia にある、これです。――

Rossetti,Proserpine(1877).jpg
Rossetti, Proserpina (1877) 

////////////////////////////////

The Complete Writings and Pictures of Dante Gabriel Rossetti: A Hypermedia Archhive <http://www.rossettiarchive.org/index.html> 〔The Complete Writings and Pictures of Dante Gabriel Rossetti, edited by Jerome J. McGann

Watts,GeorgeFrederic_DanteGabrielRossetti(c1871).jpg
George Frederick Watts, Dante Gabriel Rossetti (c. 1871)

 

Rossetti(1862),fromphotobyDowney.jpg
Rossetti (1862), from a photograph by Downey [弟ウィリアムの編集した著作集の増補改訂版 Works of Dante Gabriel Rossetti (London: Ellis, 1911) の扉絵]

 


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マグリットの『不許複製』の中のポーの『ピム』の複製 Reproduction of Poe's _Pym_ in Magritte's _La Reproduction interdite [Not to Be Reproduced]_(1937) [ポー Edgar Allan Poe]

ポーについてチョコチョコ書いていこうかな、と思いました。

チョコといえばベルギー生まれのフランスのシュルレアリスムの画家ルネ・マグリット René Magritte, 1898-1967――長い名前はルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット René François Ghislain Magritte――はポーに私淑していて、ポーの同名の短篇と響きあう『アルンハイムの領地』の連作が有名ですけれど・・・・・・あるいはもうちょっと一般化するなら、ポーがもっているシュルレアル(超現実的)な特質を絵画化したんだ、と言ったらマグリット自身はうなずいたかもしれないのですけれど・・・・・・、いちおう明瞭にレファレンスのある作品をひとつ。

magritte_reproduction-interdite.jpg
La Reproduction interdite [Not to Be Reproduced] 『不許複製』 (1937)
oil on canvas, 81.3cm × 65.0cm (32in × 26in)  オランダ、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館 (Museum Boijmans Van Beuningen) 蔵  大きい絵at picasa

   ウィキペディアのファイルにはなぜか File:Portrait of Edward James <http://en.wikipedia.org/wiki/File:Portrait_of_Edward_James.jpg>として入っていて、誰かさんが、"This is not Portrait of Edward James, it is La Reproduction Interdite (English: Not to be Reproduced)." と書き込んでいますけれど、顔を見せない絵の中の人物は、シュルレアリスムのパトロンとして有名なエドワード・ジェイムズ Edward James, 1907-84 だと言われています。エドワード・ジェイムズは、アメリカの鉄道王のひとりだったウィリアム・ジェイムズ(ヘンリー・ジェイムズの兄さんの心理学者とはもちろん別人)の息子で、父親はイギリスに移ってきて結婚して女の子を4人もうけたののちにエドワードが生まれ、でも幼いころに亡くなってしまいます。そしてエドワードは莫大な遺産相続人となったのでした。オクスフォード大学では作家のイーヴリン・ウォーと同窓で、彼自身も詩人となりました。

  鏡像とかダブルとか、影のあるようでない男とか、顔の見えない男とか、ポー的ゴシック小説と響きあうのかのもかもしれませんけれど、もっと即物的に、絵の右側、こちらは鏡像をちゃんと映している、本。

Magritte_LaReproductIonnterdite(1937),detail.jpg

  詩人シャルル・ボードレールが19世紀中葉に訳したポーのまあ唯一の長篇小説『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』Edgar Poe, Aventures d'Arthur Gordon Pym, trans. Charles Baudelaire です。 

/////////////////////////////////////////////

"Surrealism"  EyeconArt <http://www.robinurton.com/history/surrealism.htm> 〔このページが絵のタイトルを "Portrait of Edward James" にしているのでWikipedia で混乱が起こっています〕

Trans. Charles Baudelaire.  Aventures d'Arthur Gordon Pym par Edgar Poe. [1858] Nouvelle édition.  Paris: Michel Lévy, 1868. <http://www.archive.org/stream/aventuresdarthu00poegoog#page/n6/mode/2up>    

Trans. Charles Baudelaire.  Edgar Poe, Adventures d'Arthur Gordon Pym / Eureka.  Vol. VII of OEuvres Complètes de Charles Baudelaire.  Paris: Calmann-Lévy, n.d.  280pp.  <http://www.archive.org/stream/aventuresdarthur00poee#page/n5/mode/2up>

Trans. Charles Baudelaire.  Edgar Poe, Adventures d'Arthur Gordon Pym de NantucketOEuvres Complètes de Charles Baudelaire.  Notice, notes et éclaircissements de Jacques Crépet.  Paris: Louis Conard, 1934.  ix+324pp.  <http://www.archive.org/stream/aventuresdarthu00poee#page/n5/mode/2up

"Les Adventures d'Arthur Gordon Pym" Wikipedia (French) <http://fr.wikipedia.org/wiki/Les_Aventures_d%27Arthur_Gordon_Pym> 〔マリ・ボナパルトの精神分析的解釈から現象学的批評のガストン・バシュラール、そしてヌーヴォー・ロマンの理論家だったジャン・リカルドゥーと、なるほどフランスと親近性のあるポーの著作らしく、英語のウィキペディアの記事"The Narrative of Arthur Gordon Pym of Nantucket" <http://en.wikipedia.org/wiki/The_Narrative_of_Arthur_Gordon_Pym_of_Nantucket>とはちょっとちがったかたちで充実した内容なのでした〕

 

 


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マグリットの『不許複製』の(複製の)中のポーの『ピム』の複製の複製 A Reproduction of the Reproduction of Poe's _Pym_ in a Reproduction of Magritte's _La Reproduction interdite [Not to Be Reproduced]_(1937) [ひまつぶし]

前の記事の余白に。マグリットの絵を探していたら、オークションのページにぶつかって、そこの絵は拡大もできたので眺めてみたら、なんか違う。――

18756_0003rm_1_lg.jpg
image via icollector.com <http://www.icollector.com/Magritte-La-Reproduction-Interdite_i9980958>

  違うぞ! 写真撮影でしょうから、油絵の具の盛られたところに光が当たって汚く見えるのはわかりますけど、粗い筆遣いがいやはやなんとも。

Magritte - La Reproduction Interdite 

SOLD
Winning Bid Undisclosed+ premiums, taxes, fees & shipping

2010年10月に売れています。"Start Price:25.00 USD Estimated At:2,300.00 - 2,700.00 USD" 開始価格が25ドルは安いけど、推定買い取り価格が2500ドル前後というと・・・・・・高くないかw

Item description として――

Signed by an authorized in house artist, this handpainted oil on 20 x 24" canvas Was Originally created in 1937 La Reproduction Interdite translated in english "Not to be Reproduced," is a remarkable oil painting with exceptional use of color, and detail. Comes with COA.

  英語がわかりにくいですが、in-house と読むのでしょうね。in-house というのは組織内の、とか社内の(つまり外注じゃなくて)とかいう意味だと思いますけど、よくわかりません。そのインハウスの画家の署名があるということですけど、絵の内部にはないみたい。ともあれ20インチx24インチ(というと原作よりでかい)の手描きの油絵です。(COA は Certificate of Authenticity かな、英和辞典にないけど)。なんにしても、これは模写みたいな複製です。いや、複製じゃなくて模写ですかね。いや、模写の複製ですか。いや、模写ならもっとちゃんとしろよ、ということだけど。さらにその複製がWebに。さらにその複製がここに。

Reproduction interdite(replica)-detail.JPG
detail

    ポーの名もピムの名も読めません(たぶん)。

Magritte_LaReproductIonnterdite(1937),detail.jpg
これはオリジナル『不許複製』の複製の複製の細部

  模写した画家は、GORDON PYM といちおう筆で書こうとしてでもあきらめて黒く塗ったのかしら。それとも読めなかったのかしら。

  


タグ:COA 不許複製
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マネのポー Manet's Studies of Poe [ポー Edgar Allan Poe]

フランスの印象派の走り的だけど自然主義的リアリズムの画家のエドゥアール・マネ Édouard Manet, 1832-83 は、ステファヌ・マラルメによるポーの「大ガラス The Raven [Le Corbeau]」の訳詩集に挿画を描いた関係もあって、推定1870年代に3枚ポーの肖像デッサンを残しているようです。

Manet,Poe-ae_11_3_edouard_manet_edgar_allen_poe_lot_63_624102.jpg
Edouard Manet, Edgar Poe. Etching printed in dark brownish-black on cream laid paper, 1860. 7 5/8 inches by 6 1/8 inches, full margins. Estimate $1,000-$1,500. image via AntiqueTrader

   2枚目――

 

poe-grafik-manet.png
image: Hexengeschichten plattenbauromantik <http://hegewald.wordpress.com/category/hexengeschichten/>

  この角度で載せているページが他にもありますが、もちっとそっくりかえっていたようです。――

d3807379r.jpg
Edouard Manet, Portrait d'Edgar Allan Poe
pen and brown ink on paper
Image size: 4¾ x 3 5/8 in. (12.1 x 9.3 cm.)
image via Christie's <
http://www.christies.com/LotFinder/lot_details.aspx?intObjectID=3807379>

    下のは、この絵を使った本の校正刷りにマネが署名したものだそうです。――

Manet,0901_Poe_drawing.jpg
"Artist Edouard Manet signed this proof of an illustration he drew to accompany a 19th-century translation of Poe’s work into French. " image "Shedding Light on a Shadowy Figure | The University of Virginia Magazine" [Spring 2009]<http://uvamagazine.org/features/article/shedding_light_on_a_shadow_figure/>

  ふんぞりかえらない角度だと、つぎのダゲレオタイプ(William Pratt というひとが撮影した "Thompson daguerreotype" と呼ばれるポー最晩年の肖像)がもともとかな、と思われるのですが(だって、「モデル」のポーは1849年に死んじゃっていますから)。――

ThomsponDaguerreotype-034.jpg
image: "Edgar Allan Poe, Richmond, Sept. 1849 - Daguerreotype by William Abbot Pratt." [2010.11.18] The Shockoe Examiner: Blogging the History of Richmond-in-Virginia <http://theshockoeexaminer.blogspot.com/2010/11/edgar-allen-poe-richmond-sept-1849.html>

   暮れだったか新年だったかにボルティモアのポー協会のホームページ内に Michael J. Deas, The Portraits and Daguerreotypes of Edgar Allan Poe (1989)がおさめられました。そのなかの "The “Thompson” Daguerreotype" <http://www.eapoe.org/papers/misc1921/deas111a.htm>、それとウィリアム・プラットのダゲレオタイプを親として派生したポートレトたち "EARLY DERIVATIVES OF THE DAGUERREOTYPES BY WILLIAM PRATT" <http://www.eapoe.org/papers/misc1921/deas202a.htm>

  ダゲレオタイプ(銀板写真)は左右反転する(鏡像になる)ので、もう一回左右を逆にすることは自然だったわけです。たぶん。

 

  もう1葉は捜索中。

 

///////////////////////////////////////

ステファヌ・マラルメ訳、エドゥアール・マネ画 エドガー・ポー『大ガラス』 

Le Corbeau (traduit par Stephane Mallarme) - Wikisource <http://fr.wikisource.org/wiki/Le_Corbeau_(traduit_par_St%C3%A9phane_Mallarm%C3%A9)> 〔仏訳のみ〕

The Project Gutenberg eBook of Le Corbeau / the Raven, by Edgar Poe, 1875 <http://ia700407.us.archive.org/35/items/lecorbeau14082gut/14082-h/14082-h.htm> 〔英仏対照〕

 


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歌謡曲歌詞検索 Search Engines for Japanese Pop Music [φ(..)メモメモ]

木之内みどりの歌詞を探しているなかでついでに―― 

いべすたかしとる (イベントスタジアム) 歌詞検索 イベスタ歌詞とる <http://www.evesta.jp/lyric/> 「ふっと」(3)

うたてん (MAKE SOFTWARE, Inc.) HMV-UtaTen HMVうたてん <http://utaten.com/> 「ふっと」(251or17?)〔無料の会員制〕

うたねっと (PAGE ONE) Uta-Net 歌詞検索サービス 歌ネット <http://www.uta-net.com/> 「ふっと」(17)

うたまっぷ (Interrise Inc.) うたまっぷ <http://www.utamap.com/> 「ふっと」(0)

おとなのうたねっと (PAGE ONE) Uta-Net大人の歌ネット:演歌歌謡曲 最新曲をまとめて試聴! - 歌ネット <http://www.uta-net.com/user/otona/> 「ふっと」(313/ 2)

かしいずむ (シンクパワー) 歌詞無料検索サイト 歌詞ISM <http://search.kashi-ism.jp/> 「ふっと」(1)

かしたいむ (歌詞タイム) 歌詞タイム <http://www.kasi-time.com/> 「ふっと」(6)

かしげっと (セカンドビジョン/ユニコーン) 歌詞検索サービス♪歌詞GET
 <http://www2.kget.jp/> 「ふっと」(33[英語の歌多し])

かしぐら (歌詞蔵) 歌詞蔵 <http://www.kashizo.com/> 「ふっと」(1)

かしでむねきゅん (ボルテージ) 歌詞で胸キュン <http://kashi.kyun.jp/> 「ふっと」(2)

かしなび (歌詞ナビ サンディネットシステム) 歌詞ナビ無料歌詞検索サービス <http://kashinavi.com/> 「ふっと」(3)

ぐーおんがく (NTT Resonant) 歌詞情報 - goo 音楽 <http://music.goo.ne.jp/lyric/index.html> 「ふっと」(?)

じぇーとーたるみゅーじっく (Jトータルミュージック) 無料歌詞検索 (コード譜とダイヤグラムを表示!) -J-Total Music <http://music.j-total.net/> 「ふっと」(1)

じぇーりりっく (J-Lyric.net) 歌詞検索J-Lyric.net <http://j-lyric.net/> 「ふっと」(4) 

やふーみゅーじっく (Yahoo Japan) Yahoo!ミュージック―総合音楽サイト-
 <http://music.yahoo.co.jp/> 「ふっと」(107~1679)

りっすんじゃぱん (Listen Japan) 音楽ダウンロード・音楽配信サイト ListenJapan 【リッスンジャパン】 <http://listen.jp/store/> 「ふっと」(1)

  やぱり goo と yahoo が大きいのかしら。


タグ:歌詞検索
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我が魂、プシュケーとともに With Psyche, My Soul [魂と霊 Soul and Spirit]

マラルメのエッセイ "Crayonné au Théatre" (Pages [1891] 所収版) の第5節 "Lassitude" の第7パラグラフ――

Autre chose paraît inexact et en effet que dire? Il en est de la mentale situation comme des méandres d'un drame et son inextricabilité veut qu'en l'absence là de ce dont il n'y a pas lieu de parler, ou la Vision même, quiconque s'aventure dans un théâtre contemporain et réel soit puni du châtiment de toutes les compromissions; si c'est un homme de goût, par son incapacité à n'applaudir. Je crois, du reste, pour peu qu'intéressé de rechercher des motifs à la placidité d'un tel personnage, ou Vous, Moi, que le tort initial a consisté à se rendre au spectacle avec son Ame—with Psyché, my soul: qu'est-ce! si tout s'augmente, selon le banal malentendu d'employer comme par nécessité sa pure faculté de jugement à l'évaluation de choses entrées déjà censément dans l'art ou de seconde main, bref à des oeuvres.

第2パラグラフ――

—Que souhaitaient-ils donc accomplir, ô mon âme? réplique-je une fois et toujours interloqué ou éludant la responsabilité d'avoir conduit ici une si exquise dame anormale: car ce n'est pas elle, sûr! s'il y faut voir une âme ou bien notre idée (à savoir la divinité présente à l'esprit de l'homme) qui despotiquement me proposa: «Viens».

研究書――

Crayonné au théatre begins with the author in despair―"Despair uppermost in my mind [désespoir en dernier lieu de mon i[I]dée]"―finding himself at the theater with "lost looks [regards perdue]" and "features already tired out by nothingness [traits à l'avance fatigués du néant]" (293).  He has brought along a friend, a woman who thinks the performance is fine: "But it's good, it's perfect―what more do you hope for, my friend?] [Mais c'est très bien, c'est parfait—à quoi semblez-vous prétendre encore, mon ami?]" (293).  What has brought him to the theater, and what makes him displeased with what he finds there?  His response: "my habitual unconsidered lack of foresight [un habituel manque inconsidéré chez moi de prévoyance]" (293).
     He has come to the theater hoping to find in the performance the elusive "idée," which he defines as a collective coming together, the production or presence of divinity in the "lieu divin" of the theater: "if we must see a soul there, or else our idea (that is divinity present to man's mind) [s'il y faut voir une âme ou bien notre idée (à savoir la divinité présente à l'esprit de l'homme)]" (293).  He wants to see something that is not visible: a divine presence manifested in the audience but not represented onstage.  While the horizon glows each evening, he notes, society goes to the theater, as if hungry, to be fed by the "social organization [l'arragement social]" (294) of stage and spectators.  This "idea" Mallarmé is looking for is theater itself; the two are equated in his notes for the project of Le Livre: "from whence Theater = idea [d'où  Théâtre = idée]" (429).  Theater brings the "idea" to light, not by presenting it onstage but by causing it to be present in this "social organization"; the stages creates "pleasures enjoyed in common [plaisirs pris en commun]" (314) and is "the majestic opening out onto the mystery that we are in the world to contemplate [la majestueuse ouverture sur le mystere dont on est au monde pour envisager]" (314).  The theater is not a place for watching a representation but fo renvisioning a mystery.
     This making-present-without-representing is what the ideal theater could do but what the contemporary theater almost invariably fails to do for Mallarmé.  There is nothing in it to feed the soul. "the initial mistake remained going to the show with one's Soul [le tort initial demeura se rendre au spectacle avec son Ame with Psyche my soul]" (294).  This theater "only displays a representation, for those not having to see the things themselves at all [montre seulement une représentation à l'usage de ceux n'ayant point à voir les choses à même!]" (294).  Representation is a shadow or screen obscuring "les choses à même," preventing the viewer from "seeing" things themselves.  If Mallarmé goes to the theater it is because it offers "the charm perhaps unknown, in literature, of severely extinguishing, one  by one, every view that would burst forth with purity [le charme peut-être inconnu en littérature d'éteindre strictement une à une toute vue qui éclaterait avec pureté]" (298).  That is, the theater can both bring images to light and snuff them out, make them visible and then invisible.  (Felicia M. McCarren, Dance Pathologies: Performance, Poetics, Medicine [Stanford: Stanford UP, 1998 (Writing Science Series)], 114-116) 

  "Crayonné au Théatre" はマラルメが1880年代と90年代に書いた劇評で、テクストの異同はよくわかりませんけど、 "avec son Ame with Psyche my soul" とマッカレンさんが引いている箇所は、引用が含まれていて、それはポーの詩 "Ulalume" です。第2連に出てくるフレーズです。――

ULALUME (1847)

                                               Edgar Allan Poe

The skies they were ashen and sober;
The leaves they were crisped and sere―
The leaves they were withering and sere;
It was night in the lonesome October
Of my most immemorial year;
It was hard by the dim lake of Auber,
In the misty mid region of Weir―
It was down by the dank tarn of Auber,
In the ghoul-haunted woodland of Weir.

Here once, through an alley Titanic,
Of cypress, I roamed with my Soul―
Of cypress, with Psyche, my Soul.
These were days when my heart was volcanic
As the scoriac rivers that roll―
As the lavas that restlessly roll
Their sulphurous currents down Yaanek
In the ultimate climes of the pole―
That groan as they roll down Mount Yaanek
In the realms of the boreal pole.

〔3~9スタンザ省略〕

  Ame (âme) はSoul = Psycheです。マッカレンさんが "mind" と訳している "esprit" というフランス語は英語の spirit なわけですけど、ポーにしてもマラルメにしてもどういうふうに考えておったのか。

Burn-Jones,Edward_CupidandPsyche(1865).jpg
Edward Burne-Jones, Cupid and Psyche (1865)

 


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男と女 A Man and a Woman /Un homme et une femme [魂と霊 Soul and Spirit]

さっき「我が魂、プシュケーとともに With Psyche, My Soul [魂と霊 Soul and Spirit]」を書いていてふと思い出したので、自己剽窃的に、2年前の2月にカリフォルニア時間の「February 17 イヴの創造とアダムの肋骨と横隔膜(序) [思いつき]」に書いた文章と引いた絵を引用します。

    BGM はこれかな。

220px-Un_Homme_et_une_Femme.jpg

 

 --------------------ここから---------------------------

  14世紀イタリアの Bartolo di Fredi が描いた、教会堂の壁画の一部を成しているフレスコ画は次のような不思議な絵です。――

CreationofEve_BartolodiFredi(Italy2C14c).jpg
The Creation of Eve, fresco by Bartolo di Fredi, Italy, 14th c.

  これは字義どおりに聖書を解釈しているとかなんたらいうコメントを全然別の場所で読んだことがありますが、聖書の創世記第2章が述べているのは以下のような、天地創造後に一休みしたあとで、土の塵から人間(アダム)をつくって生命の息を吹き込んで生きる魂にし(7節)、彼をエデンの庭師にして、でも生命の木と対になる善悪の木の実だけは食っちゃだめだぞ、食ったら死んじゃうから、と言ったあとふいに、ひとりじゃさみしかろうて、とあれやこれやの生き物をつくり、それにアダムは名前をつけ、それでも助けが足りないとアダムがいうので、神はアダムを眠らせている(これが麻酔の最初だという説があります。催眠の最初かもw)あいだにアダムの肋骨を一個とって、そのあとの肉を埋め、とりだした肋骨を女とする(下の欽定訳聖書の英語の語順をかえると、 he made the rib a woman というSVOC のかたち)、いわゆる「アダムの肋骨」からの女性創造の話です。

  だから、字義どおりというのではないと思う。だって脇腹からモロに生まれているから。

  そして、あれこれ調べてみると、同種の絵はかなりの数あるのでした。

  つぎの英文は1611年のAuthorized Version の聖書の創世記冒頭に近い第2章。

1: Thus the heavens and the earth were finished, and all the host of them.
2: And on the seventh day God ended his work which he had made; and he rested on the seventh day from all his work which he had made.
3: And God blessed the seventh day, and sanctified it: because that in it he had rested from all his work which God created and made.
4: These are the generations of the heavens and of the earth when they were created, in the day that the LORD God made the earth and the heavens,
5: And every 
plant of the field before it was in the earth, and every herb of the field before it grew: for the LORD God had not caused it to rain upon the earth, and there was not a man to till the ground.
6: But there went up a mist from the earth, and watered the whole face of the ground.
7: And the LORD God formed man of the dust of the ground, and breathed into his nostrils the breath of life; and man became a living soul.
8: And the LORD God planted a garden eastward in Eden
; and there he put the man whom he had formed.
9: And out of the ground made the LORD God to grow every tree that is pleasant to the sight, and good for food; the tree of life also in the midst of the garden, and the tree of knowledge of good and evil.
10: And a river went out of Eden to water the garden; and from thence it was parted, and became into four heads.
11: The name of the first is Pison: that is it which compasseth the whole land of Havilah, where there is gold;
12: And the gold of that land is good: there is bdellium and the onyx stone.
13: And the name of the second 
river is Gihon: the same is it that compasseth the whole land of Ethiopia.
14: And the name of the third river is Hiddekel: that is it which goeth toward the east of Assyria. And the fourth river is Euphrates.
15: And the LORD God took the man, and put him into the garden of Eden to dress it and to keep
it.
16: And the LORD God commanded the man, saying, Of every tree of the garden thou mayest freely eat:
17: But of the tree of the knowledge of good and evil, thou shalt not eat of it: for in the day that thou eatest thereof thou shalt surely die.
18: And the LORD God said, It is not good that the man should be alone; I will make him an help meet for him.
19: And out of the ground the LORD God formed every beast of the field, and every fowl of the air; and brought them unto Adam to see what he would call them: and whatsoever Adam called every living creature, that was the name thereof.
20: And Adam gave names to all cattle, and to the fowl of the air, and to every beast of the field; but for Adam there was not found an help meet for him.
21: And the LORD God caused a deep sleep to fall upon Adam and he slept: and he took one of his ribs, and closed up the flesh instead thereof;
22: And the rib, which the LORD God had taken from man, made he a woman, and brought her unto the man.
23: And Adam said, This is now bone of my bones, and flesh of my flesh: she shall be called Woman, because she was taken out of Man.
24: Therefore shall a man leave his father and his mother, and shall cleave unto his wife: and they shall be one flesh.
25: And they were both naked, the man and his wife, and were not ashamed.

  ここで、思いつきです。肋骨ってフレノロジー (= science of mind) のフレノ=横隔膜と関係しているということはないのだろうか。

  「横隔膜が動かなくなると、内臓も動かなくなる。 横隔膜は、肋骨の下側を全て覆う形に付いている筋肉で、深呼吸するための筋肉である。 横隔膜の上には、心臓と肺が、下側には、肝臓、胃、膵臓、脾臓、大腸などが隣接している。」(『キュアハウスな一日』「胸の苦しみ」2009.1.5 <http://blog.livedoor.jp/curehouse/tag/%B8%C6%B5%DB>)

  とりわけ息 breath, breath of life と関係しているということはないのだろうか。

  ということでこれからヒマを見つけてワキの甘い空論を唱えてみたいという気がしています。

  ちなみに、The Androgyne: Reconciliation of Male and Female (New York: Crososroad, 1981) という両性具有のイメージを探究した本の著者のエレミール・ゾラは、もちろんこれをまずは両性具有の喪失のドラマと読むわけですが、男女のジェンダーにどのように「性差」が分与されるかについて、こんなふうに書いています。(参考のために長めにメモっておきます)――

Adam was plunged into a swoon (compare the myth of Narcissus, the Swooner, on p. 20), and the first fall took place with the loss of androgyny.  In Christian symbolism the extraction of Eve from Adam's side is usually shown as the work of God the Son, of the Word which is the discerner of hearts, the principle of division itself, 'sharper than any two-edged sword, piercing even to the dividing asunder of soul and spirit, and of the joints and marrow' (Hebrews 4: 12).  Eve was interpreted as the soul, the life of the senses, and a now diminished Adam as will and reason, the spirit.  The only remanining link between them after the fall was imagination.  They would imagine each other as their respective needs, so in order to tempt them to their second fall, Satan became a serpent, which St. Augustine interpreted as imagination incarnate.  To redress all this, the Son or Word was said to have entered into the womb of a daughter of Eve (whom he had originally extracted from Adam's side), in order to be born of her as a New Adam, a 'First-Engendered', yet born of woman.  The womanliness in man could now participate in the mystery of God's incarnation through identification with the model for womanhood, who was daughter of her son, mother of her father and virgin wife of both.  All family ties, the strongest, or at least stable, emotional forces in man, were evoked and trebled, made bewildering by paradox and associated with these basic theological conceptions.  This kind of 'divine' family romance was concocted by ecclesiastical institutions to secure strong emotional appeal.  However, imagining onself living through it led to the inner restoration of the emotional and rational completeness of, and total participation in, lost androgyny.  (Pp. 40-41)

   アカの前のところでは、キリスト教のシンボリズムでは、子なる神、つまりイエスの業として、イヴのアダムのワキからの摘出が描かれてきたと書かれています。エホヴァじゃなくてイエスが創世記にあらわれてしまうのですか(Lord God=Lordで一体ということですか)。

   赤字部には異論があったのですが(逆じゃないの、みたいなw)、しかしその後のヘビの知恵の問題とか考えるとなかなかむつかしいような、そして、どうころんでも性差別が生じるような。ということで、これは男女の霊性問題の序でした。(なんか思いつきの横隔膜のほうへは進展しないような気がします。)

--------------------ここまで---------------------------

  みたいなことを書いたのです。

  いっぽうでユング的なアニマ/アニムスみたいなことを思いつつ、イヴが Soul / Psyche ということで考えてみると、主体的自我はどこにあるんだ、という疑問が生じつつも(アダムが spirit だとしたら、それは何?)、マラルメやポーにつながるものがあるかもしらんとも思い、 

( ..)φメモメモ的に

//////////////////////

以下はむかしの( ..)φメモメモ

「ミケランジェロが『アダムの創造』に描いたものとは」 X51.ORG <http://x51.org/x/04/01/1327.php> 〔脳解剖学的図像学 2004.1.13。当然ミケはイヴの創造も描いています〕

アダムとイヴ - Wikipedia

横隔膜 - Wikipedia

Genesis, from The holy Bible, King Jamesversion <http://etext.lib.virginia.edu/etcbin/toccer-new2?id=KjvGene.sgm&images=images/modeng&data=/texts/english/modeng/parsed&tag=public&part=2&division=div1> 〔Virginia 大学の英訳聖書 e-text〕



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ディドロの「私の古い部屋着への惜別」(1) Regrets sur Ma Vielle Robe de Chambre (1) [私の古い部屋着への惜別]

『百科全書』で有名なフランスの哲学者ディドロ Denis Diderot, 1713-84 は、同じく啓蒙思想家で理神論者だったアメリカのベンジャミン・フラクンリンなんかよりももしかするとずっと文学的なひとで、小説も書いた(ベンちゃんはアメリカ短篇小説の最初とも言われるポリーなんとかの弁明と『自伝』だけだ)。

  あ゛・・・・・・じつはフランス語の勉強に燃えたのでした(マラルメはポーを読めるようになるべく英語を勉強したというが)。フランス語のウィキペディアは <http://fr.wikipedia.org/wiki/Denis_Diderot> です。

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Diderot par Louis-Michel van Loo (1767)

  "Regrets sur [de] ma Vielle Robe de Chambre ou Avis à Ceux Qui Ont Plus de Goût Que de Fortune" (「私の古い部屋着への惜別、または財産より趣味を多く持つ人へ与える意見」)は1772年に発表されたエッセイで、原文は Project Gutenberg で読めます―― <http://www.gutenberg.org/ebooks/13863>。日本語のウィキペディアによると「邦訳の『著作集』は法政大学出版局で3巻刊行された。(1976-89年)」のだそうだけれど、それに入っているかどうかいまは確認できません(勢いで書いているw)。

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私の古い部屋着への惜別、または財産より趣味を多く持つ人へ与える意見

                                                             ドニ・ディドロ

     Pourquoi ne l'avoir pas gardée?  Elle était faite à moi; j'étais fait à elle.  Elle moulait tous les plis de mon corps sans le gêner; j'étais pittoresque et beau.  L'autre, raide, empesée, me mannequine.  Il n'y avait aucun besoin auquel sa complaisance ne se prêtât; car l'indigence est presque toujours officieuse. Un livre était-il couvert de poussière, un de ses pans s'offrait à l'essuyer.  L'encre épaissie refusait-elle de couler de ma plume, elle présentait le flanc.  On y voyait tracés en longues raies noires les fréquents services qu'elle m'avait rendus.  Ces longues raies annonçaient le littérateur, l'écrivain, l'homme qui travaille.  A présent, j'ai l'air d'un riche fainéant; on ne sait qui je suis.

  どうしてあれをとっておかなかったのだろう? あれはわたしにフィットしていたし、わたしもあれにフィットしていた。あれはわたしの体に窮屈でなく、体のあらゆるラインにはまっていた。わたしはピトレスク〔pittoresque〕で美しかった。もうひとつのは、こわばっていて、ごわごわしていて、わたしをマネキンみたいにぎこちなくさせる。いかなる用事にもあの服はこころよくはからってくれた。というのも貧窮というのはつねに親切なものだから。本がほこりだらけになっていると、部屋着の襞がそれを拭いてくれた。ペンのインクが濃くなってきて出るのを拒んだときには部屋着がその裾を提供してくれたので、頑固なペンから出てきた長い黒いラインが跡になっているのが見えるだろう。長いすじは、その持ち主が著述家、作家、刻苦する人間だということを吹聴していた。いまのわたしは裕福なのらくら者で、誰もわたしが何者かわからない。

(つづく・・・・はやっw) 

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フランス語のピトレスク pittoresque はイタリア語のピトレスコ pittoresco がもとで、フランス語を経由してピクチャレスク picturesque として英語に入るのが18世紀中葉のことです。"pittore" は picture (絵)じゃなくて painter (絵描き・画家)であって、ピクチャレスクは「絵のような」という意味ではなくて、もともとは「画家の painter's」 というような意味なのでした。「画家の目で見て絵になる」というような意味合い。

  ディドロは美学関係の著作がけっこうあるのだけれど、ピクチャレスク趣味のひとだったのかしら。エッセイの最後からふたつめの段落にも出てきます。――

Si vous voyiez le bel ensemble de ce morceau; comme tout y est harmonieux; comme les effets s'y enchaînent; comme tout se fait valoir sans effort et sans apprêt; comme ces montagnes de la droite sont vaporeuses; comme ces rochers et les édifices surimposés sont beaux; comme cet arbre est pittoresque; comme cette terrasse est éclairée; comme la lumière s'y dégrade; comme ces figures sont disposées, vraies, agissantes, naturelles, vivantes; comme elles intéressent; la force dont elles sont peintes; la pureté dont elles sont dessinées; comme elles se détachent du fond; l'énorme étendue de cet espace; la vérité de ces eaux; ces nuées, ce ciel, cet horizon! Ici le fond est privé de lumière et le devant clair, au contraire du technique commun.  Venez voir mon Vernet; mais ne me l'ôtez pas.

  この絵のアンサンブルをあなたが見たならば、どれほどすべてが調和していることか、どれほど効果が連鎖していることか・・・・・・どれほどこの木はピトレスクなことか。

Pittoresque_Cartepostale_LauvergnePittoresque.jpg
L'Auvergne pittoresque  post cartel, 14x9 cm   image: toupapier.com <http://www.toupapier.com/description.php?lang=1&path=1117&sort=Les plus populaires&page=60&id=2020>

   廃墟趣味的な感性もイギリスと通じ合っていたのかしら。あ、廃墟じゃないか。Chateau de Chazeron?  シャズロン城


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ディドロの「私の古い部屋着への惜別」(0) Regrets sur Ma Vielle Robe de Chambre (0)  [私の古い部屋着への惜別]

ディドロの「私の古い部屋着への惜別」(1) Regrets sur Ma Vielle Robe de Chambre (1) 

 

  調べてみたら、19世紀のアセザ (Jules Assezat編)版ディドロ全集 ?uvres completes de Diderot が全巻ではないかもしれないけれど Internet Archive に入っていました。その第4巻 Miscellanea philosophique (哲学雑篇)の冒頭に "Regrets sur Ma Vielle Robe de Chambre" は収められています。<http://www.archive.org/stream/uvrescompltesde06assgoog#page/n13/mode/2up>

Diderot(AssezatEd.,1875).JPG?

  注釈がついているだけでなく、1772年にパンフレットとして出版された(出版地は書いていないけれど、スイスで印刷されたと推定されている)ときの "R." による読者宛 Avis au Lecteur の前書きも付いていました。ということで0に戻ります(やれやれ)――

Diderot(AssezatEd.,1875)robe1.JPG
Diderot(AssezatEd.,1875)robe2.JPG

  ディドロ氏がたまたまマダム・ジョフラン (Mme Geoffrin) に格別の奉仕をする機会があって、夫人は感謝の気持ちから、ある日哲学者〔ディドロのこと〕のわび住まいの襤褸をすべて引越しさせて別の家具類を入れようと思い立った。新しい家具類は美しかったけれどもきわめて簡素なもので、「緋の衣の改悛者 penitent en robe de chambre d'ecarlate」による詩的な筆致によってはじめて趣味のあるものとなった。
  この「惜別」のなかで語られているライス (Lais) はヴェルネ (VERNET) 〔クロード=ジョセフ・ヴェルネ Claude-Joseph Vernet, 1714-89 フランスの風景画家〕?の絵の題である。ディドロ氏はそれは一文もかからなかったと書いているけれど、氏がヴェルネに25ルイ受け取らせたことは確かだ。たいした額ではないが、哲学者の財布にとってはやはりたいした金である。それは哲学者に自分の絵を絶対に受け取ってくれるよう望んだ画家の罪ではないが、哲学者は、彼のいうところでは、少なくとも絵の具代は払うことを欲して、ヴェルネは譲歩せざるを得なかったのだ。

―R.

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  ヴェルネは本文中でくりかえし言及される画家で、ディドロと個人的に親交がありました。クロード・ロランやサルヴァトール・ローザから強い影響を受けてとくに海洋風景を得意としたのだそうで、文中最初に言及される絵は『嵐』です。―― "Deux estampes qui n'etaient pas sans merite: la Chute de la manne dans le desert du Poussin, et l'Esther devant Assuerus du meme; l'une honteusement chassee par un vieillard de Rubens, c'est la triste Esther; la Chute de la manne dissipee par une Tempete de Vernet."

  ヴェルネは多作の画家(200枚以上描いたとか)で、 "Tempete . . ." と題する絵もいくつもいくつもあるみたい。

Claude-Joseph Vernet - La Tempete sur le phare.jpg
Claude-Joseph Vernet  La Tempete sur le phare
[コピーライト] L'Internaute Magazine / Tiphaine Bodin Musee des Beaux-arts de Nantes
 
image: <http://www.linternaute.com/musee/diaporama/1/7026/musee-des-beaux-arts-de-nantes/5/31331/la-tempete-sur-le-phare/>

Vernet_Tempete_cote_mediterraneenne.jpg
Claude-Joseph Vernet, Tempete sur une cote mediterraneenne, vers 1745
Canberra, National Gallery of Australia
image via La Tribune de l'Art <
http://www.latribunedelart.com/spip.php?page=docbig&id_document=410>

TEMPET~1.JPG
Claude Joseph Vernet, Tempete de mer avec epaves de navires
(Ancienne Pinacotheque de
Munich)
image via Romantisme francais <
http://fr.academic.ru/dic.nsf/frwiki/1449053>

Vernet_Tempete.jpg
クロード=ジョゼフ・ヴェルネ 《嵐の海》  1740頃
キャンヴァス、油彩  89.0×167.0cm? 静岡県立美術館蔵?
image: 静岡県立美術館 <
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/collection/symphony/fukei/pt3_31.php>

  あとはディドロの本文の該当箇所で検討することにします。それにしてもサブライムとピクチャレスクの融合みたいな感じで、なるほどサルヴァトール・ローザの影響が大きいかと。


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ターンスタイル(回り木戸) Turnstile [モノ things]

時間が(11月から)空きすぎて自分でもなんだか主旨がわからなくなった書きかけの記事を〆ておきます。 

(承)〔ポーの「悪魔に首を賭けるな」がらみのはなし〕

 ある晴れた日に足の向くまま散歩していた語り手とトビー・ダミットは有蓋橋を渡ることに決めます(resolved というのは、タダでは渡れないからなのかしら)。

One fine day, having strolled out together, arm in arm, our route led us in the direction of a river.  There was a bridge, and we resolved to cross it.  It was roofed over, by way of protection from the weather, and the arch-way, having but few windows, was thus very uncomfortably dark.  As we entered the passage, the contrast between the external glare, and the interior gloom, struck heavily upon my spirits.  (Edgar Allan Poe, "Never Bet the Devil Your Head," Mabbott 2: 626) 〔ある晴れた日、腕を組んで一緒にそぞろ歩いた僕たちだが、道は川の方向にむかっていた。橋があったので、渡ることに決めた。橋には、風雨を防ぐために屋根がすっぽりかかっていて、窓もほとんどない通路は気分が悪いくらい暗かった。入ったとたんに、外の明るさに比べて中の陰鬱が僕の気を重たく滅入らせた。〕
  けれどもトビーのほうは「超絶病〔超絶的なるもの〕 transcendentals」にやられてしまったようで(はっきり症状を「僕」は知らないので断定できないのだけれど)、身をくねらせて、あたるものすべての上や下を跳ねまわらないではいられない〔橋に何があるのか不明でナンセンスw〕し、あやしいわけのわからぬことをしゃべりまくります。
At length, having passed nearly across the bridge, we approached the termination of the foot-way, when our progress was impeded by a turnstile of some height.  Through this I made my way quietly, pushing it around as usual.  But this turn would not serve the turn of Mr. Dummit.  He insisted upon leaping the stile, and said he could cut a pigeon-wing over it in the air.  (とうとう橋を渡り終えかけたところで、歩道が尽きて、僕たちはちょっと高い回転木戸があったので進行をさまたげられた。僕はいつものように木戸を押して回して、静かに通り抜けた。けれどもこういう回転ではダミット氏の順番〔回転〕はすまなかった。木戸の上を跳ぶと言い張り、空中で両脚を合わせる芸当をやってみせると言った。)
  野崎孝は「橋の中程まで来たかしらと思う時分である」と訳しているけれど、"having passed nearly across the bridge" というのはほぼ橋をわたりかけた位置まで来ているのだと思います。
  そこにある turnstile ですが、今日は、遊園地とか交通機関などの改札に設置された、鉄製の、それも水平方向ではなくて垂直方向(というか回転軸は斜め45度ですかね)に回転する棒に進化していますけれど、もともとは牧場などで、家畜が通れない(けれど人は通れる)ように設置したものでした。
  stile というのはそもそもは "step" とどうやら語源的にはつながっていて、障害物とか障壁みたいな古い意味があるいっぽうで、牧場の柵や塀とかに、人は乗り越えられるけれど家畜は通さないために設けた「階段」の意味があります。
WinslowHomer-22-stile.jpg
Winslow Homer, On the Stile  (c. 1878) watercolor, gouache, and graphite on paper, Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon
image: National Gallery of Art (Washington DC)  <
http://www.nga.gov/feature/homer/homer13.htm>
  これが、まずは、上下方向ではなくて水平方向の回転運動に移されたのが turnstile なわけです。
800px-Girl_at_turnstile,_by_Jenney,_J__A__(James_A_).jpg
J[ames] A. Jenney, Girl at Turnstile (Mackinac Island, Michigan 19世紀後半)
image via Wikimedia Commons <
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Girl_at_turnstile,_by_Jenney,_J._A._(James_A.).png>; originally NPYL Digital Gallery <http://digitalgallery.nypl.org/nypldigital/dgkeysearchdetail.cfm?strucID=622344&imageID=G90F409_012ZF>
 
 それが斜めに移されたのがいまの改札のターンスタイル――
MCS_TS_01.gif
Tripod turnstile, column-type [Finishing: arms - stainless steel,
  support - enamel varnish/stainless steel; control board;  
  Power supply: 12VDC / 2A; Space for accumulator battery: 12V / 7Ah;
  Dimensions: 1030 x 800 x 460mm
image: BulgarianIndustry <
http://www.bulgarianindustry.bg/en/products?product=505632699977336006>
1787674_high-traffic-tripod-turnstile-65949.jpg
image: Katalog Produk: turnstile (akses pintu masuk) - SEPAKAT RAYA - Indonesia <http://medan.indonetwork.co.id/sepakat_raya/1787674/turnstile-akses-pintu-masuk.htm>
 
  で、これはこれ。
  ポーの時代の有蓋橋のなかのターンスタイルがどんなものだったのか、わかりませんけど、下もくぐれないような、full-height のものだったのかもしれません。たとえばこういうような。いまふうにはこういう(高すぎw)。あるいはほんとの木戸みたいなもんだったかもしれません。
  橋の通過料を取るというのはあったことだと思います。それでもさすがにコインなりトークンなりを入れて通過するというような機械が19世紀中ごろにあったとは思われないので、人がいて取っていたのではないでしょうか(わからん)。
  
  物語的には悪魔以外の第三者が出てきたり、トビーをさえぎったりみたいなことがあったらよくないのだろうし、第一義的には turnstile は文章の style (文体)の地口 pun として機能しているし、機能すべく導入されたのでしょうけど。あ、悪魔が木戸番ということですか。
He insisted upon leaping the stile, and said he could cut a pigeon-wing over it in the air. Now this, conscientiously speaking, I did not think he could do. The best pigeon-winger over all kinds of style was my friend Mr. Carlyle, and as I knew he could not do it, I would not believe that it could be done by Toby Dammit. I therefore told him, in so many words, that he was a braggadocio, and could not do what he said. For this I had reason to be sorry afterward;―for he straightway offered to bet the Devil his head that he could.
I was about to reply, notwithstanding my previous resolutions, with some remonstrance against his impiety, when I heard, close at my elbow, a slight cough, which sounded very much like the ejaculation "ahem!" I started, and looked about me in surprise. My glance at length fell into a nook of the frame-work of the bridge, and upon the figure of a little lame old gentleman of venerable aspect. Nothing could be more reverend than his whole appearance; for he not only had on a full suit of black, but his shirt was perfectly clean and the collar turned very neatly down over a white cravat, while his hair was parted in front like a girl's. His hands were clasped pensively together over his stomach, and his two eyes were carefully rolled up into the top of his head.

Upon observing him more closely, I perceived that he wore a black silk apron over his small-clothes; and this was a thing which I thought very odd. Before I had time to make any remark, however, upon so singular a circumstance, he interrupted me with a second "ahem!"

To this observation I was not immediately prepared to reply. The fact is, remarks of this laconic nature are nearly unanswerable. I have known a Quarterly Review non-plussed by the word "Fudge!" I am not ashamed to say, therefore, that I turned to Mr. Dammit for assistance.

"Dammit," said I, "what are you about? don't you hear?―the gentleman says 'ahem!'" I looked sternly at my friend while I thus addressed him; for, to say the truth, I felt particularly puzzled, and when a man is particularly puzzled he must knit his brows and look savage, or else he is pretty sure to look like a fool.

"Dammit," observed I-although this sounded very much like an oath, than which nothing was further from my thoughts-"Dammit," I suggested―"the gentleman says 'ahem!'"

I do not attempt to defend my remark on the score of profundity; I did not think it profound myself; but I have noticed that the effect of our speeches is not always proportionate with their importance in our own eyes; and if I had shot Mr. D. through and through with a Paixhan bomb, or knocked him in the head with the "Poets and Poetry of America," he could hardly have been more discomfited than when I addressed him with those simple words: "Dammit, what are you about?― don't you hear?―the gentleman says 'ahem!'"

"You don't say so?" gasped he at length, after turning more colors than a pirate runs up, one after the other, when chased by a man-of-war. "Are you quite sure he said that? Well, at all events I am in for it now, and may as well put a bold face upon the matter. Here goes, then-ahem!"

At this the little old gentleman seemed pleased-God only knows why. He left his station at the nook of the bridge, limped forward with a gracious air, took Dammit by the hand and shook it cordially, looking all the while straight up in his face with an air of the most unadulterated benignity which it is possible for the mind of man to imagine.

"I am quite sure you will win it, Dammit," said he, with the frankest of all smiles, "but we are obliged to have a trial, you know, for the sake of mere form."

"Ahem!" replied my friend, taking off his coat, with a deep sigh, tying a pocket-handkerchief around his waist, and producing an unaccountable alteration in his countenance by twisting up his eyes and bringing down the corners of his mouth―"ahem!" And "ahem!" said he again, after a pause; and not another word more than "ahem!" did I ever know him to say after that. "Aha!" thought I, without expressing myself aloud―"this is quite a remarkable silence on the part of Toby Dammit, and is no doubt a consequence of his verbosity upon a previous occasion. One extreme induces another. I wonder if he has forgotten the many unanswerable questions which he propounded to me so fluently on the day when I gave him my last lecture? At all events, he is cured of the transcendentals."

"Ahem!" here replied Toby, just as if he had been reading my thoughts, and looking like a very old sheep in a revery.

The old gentleman now took him by the arm, and led him more into the shade of the bridge―a few paces back from the turnstile. "My good fellow," said he, "I make it a point of conscience to allow you this much run. Wait here, till I take my place by the stile, so that I may see whether you go over it handsomely, and transcendentally, and don't omit any flourishes of the pigeon-wing. A mere form, you know. I will say 'one, two, three, and away.' Mind you, start at the word 'away.'" Here he took his position by the stile, paused a moment as if in profound reflection, then looked up and, I thought, smiled very slightly, then tightened the strings of his apron, then took a long look at Dammit, and finally gave the word as agreed upon―

One-two-three-and-away!


  

 

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ディドロの「私の古い部屋着への惜別」(2) Regrets sur Ma Vielle Robe de Chambre (2) [私の古い部屋着への惜別]

Diderot(AssezatEd.,1875)robe2.JPG

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  どうしてあれをとっておかなかったのだろう? あれはわたしにフィットしていたし、わたしもあれにフィットしていた。あれはわたしの体に窮屈でなく、体のあらゆるラインにはまっていた。わたしはピトレスク〔pittoresque〕で美しかった。もうひとつのは、こわばっていて、ごわごわしていて、わたしをマネキンみたいにぎこちなくさせる。いかなる用事にもあの服はこころよくはからってくれた。というのも貧窮というのはつねに親切なものだから。本がほこりだらけになっていると、部屋着の襞がそれを拭いてくれた。ペンのインクが濃くなってきて出るのを拒んだときには部屋着がその裾を提供してくれたので、頑固なペンから出てきた長い黒いラインが跡になっているのが見えるだろう。長いすじは、その持ち主が著述家、作家、刻苦する人間だということを吹聴していた。いまのわたしは裕福なのらくら者で、誰もわたしが何者かわからない。

  本文のつづきです。やっと第2、第3、ついでに第4パラグラフ――。

Sous son abri, je ne redoutais ni la maladresse d'un valet, ni la mienne, ni les éclats du feu, ni la chute de l'eau. J'étais le maître absolu de ma vieille robe de chambre; je suis devenu l'esclave de la nouvelle.
あれの庇護のもと、わたしは従僕の粗相も、わたしの粗相も、火の閃光も、水の飛沫もおそれなかった。わたしはわたしの古い部屋着の絶対君主であったのだ。それが新しいやつの奴隷になりさがってしまった。

Le dragon qui surveillait la toison d'or ne fut pas plus inquiet que moi. Le souci m'enveloppe.
金の羊毛を見張っていた龍(*) もいまのわたしほど不安ではなかった。憂いがわたしを包んでいる。

Le vieillard passionné qui s'est livré, pieds et poings liés, aux caprices, à la merci d'une jeune folle, dit depuis le matin jusqu'au soir: Où est ma bonne, ma vieille gouvernante? Quel démon m'obsédait le jour que je la chassai pour celle-ci! Puis il pleure, il soupire.
手も足もくくられて若い娘の気まぐれと愚かさに身を委ねた情痴の老人は、朝から晩まで愚痴をこぼす――わたしのもとのいい、わたしの古い家政婦は、どこだ? この娘にかえてあれを追い出したときに、いかなる悪魔 (démon) がわたしに取り憑いていたのか? そして泣いたりため息をついたりする。

(つづく)

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金の羊毛を見張っていた龍(*)

「金羊毛 la toison d'or」(英  the Golden Fleece)は、ギリシア神話(伝説)にでてくる宝物で、英雄 Jason がアルゴ船隊員たち Argonauts を率いて、王女 Medea の助けを借りてコルキス Colchis より奪還した。モノとしては、人の言葉を話し空を飛ぶ金毛のオヒツジの皮。もともとはフリクソスとその妹ヘレがいけにえに捧げられようとしたときにヘルメスが母親のネフェレに与えたヒツジだったけれど、このヒツジに乗ってコルキスに逃れたフリクソスはヒツジをゼウスに感謝の犠牲として捧げ、皮が森の奥のカシの老木にかけられ、龍がその見張り番につけられた。

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Jason, a Greek hero, led the Argonauts on the quest for the Golden Fleece. Here, Jason finds the ram's hide hanging on a tree.  image and text via Myth Encyclopedia "Jason" <http://www.mythencyclopedia.com/Iz-Le/Jason.html>

  龍は踏みつけにされています。

JasonSchwab.jpg
Schwab による挿画 
image: Dictionary of Greek Mythology "Golden Fleece" <
http://www.mlahanas.de/Greeks/Mythology/GoldenFleece.html>

GoldenFleece&Dragon(MedeahelpsJason).jpg 
image via Astrology by Lauren "The Hero's Journey" <http://www.astrologybylauren.com/apps/blog/show/4782101-the-hero-s-journey>

   龍=蛇  
  ヒツジさんは実体がなくなって皮になっています。

  フリースは服のイメジを持っているのかしら。

Denis Diderot, "Regrets sur Ma Vielle Robe de Chambre" E-text at Project Gutenberg <http://www.gutenberg.org/cache/epub/13863/pg13863.html>

 


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