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フランケンシュタインの産みの親――子らよのパート2 Progenitor of Frankenstein: My Chillun, Part 2 [Marginalia 余白に]

(BGM は「子らよ」です。)

昨日の記事「子らよ My Chillun」には、ビール(ほんとは発泡酒)を飲みながら適当にやっつけた訳文を付けたのですが、読み直してみると、わかりにくいところがありました。それで、ほんとうはつづきの解答は得られておらないのですけれど、とりあえず補足をして、ついでにお茶を濁しておきたいと思います。

  英語の原文をちゃんと打ってみます。

PREFACE

WHEN "Moods" was first published, an interval of some years having then elapsed since it was written, it was so altered, to suit the taste and convenience of the publisher, that the original purpose of the story was lost sight of, and marriage appeared to be the theme instead of an attempt to show the mistakes of a moody nature, guided by impulse, not principle.  Of the former subject a girl of eighteen could know but little, of the latter most girls know a good deal; and they alone among my readers have divined the real purpose of the book in spite of its many faults, and have thanked me for it.
     As the observation and experience of the woman have confirmed much that the instinct and imagination of the girl felt and tried to describe, I wish to give my first novel, with all its imperfections on its head, a place among its more successful sisters; for into it went the love, labor, and enthusiasm that no later book can possess.
     Several chapters have been omitted, several of the original ones restored; and those that remain have been pruned of as much fine writing as could be done without destroying the youthful spirit of the little romance.  At eighteen death seemed the only solution for Sylvia's perplexities; but thirty years later, having learned the possibility of finding happiness after disappointment, and making love and duty go hand in hand, my heroine meets a wiser if less romantic fate than in the former edition.
     Hoping that the young people will accept the amendment, and the elders will sympathize with the maternal instinct which makes unfortunate children the dearest, I reintroduce my first-born to the public which has so kindly welcomed my later off spring.

 

                        L. M. ALCOTT. 

CONCORD, January, 1882.

  (『気まぐれ』が最初に出版されたときというのは、書かれてから何年か過ぎていたため、出版社の嗜好と都合にあうように改変がなされたので、その結果、物語の本来の目的が見失われ、主題としては、徳義(principle)ではなく衝動に導かれた気まぐれな性質の誤りという主題にかわって、結婚がおもてに出ていました。結婚という主題については18歳の少女はわずかしか知りえず、気まぐれについてはたいていの少女が多くを知っているのです。そして、私の読者のなかで少女たちだけがこの本の真の目的を、本の多くの短所にもかかわらず見抜いて、私にそのことの礼を言ってくれてきたのでした。
  少女の本能と想像力が感じ、述べようとしたものの正しさを、大人の女の観察と経験は保証してくれましたので、私は、私の最初の小説を、その欠点はそのままに、それよりは成功した妹たちのなかに場所を与えたいと願っています。この本には、その後の本が持っていない愛と労苦と情熱がこめられていたのですから。
  いくつかの章が省かれ、もともとあったいくつかの章が復元されています。そして、残ったものについては、このささやかなロマンスの若々しい精神を壊さないでできるかぎり余分な文章を切り取りました。18歳では、死はシルヴィアの難局の唯一の解決と思われました。しかし30年後、失意ののちに幸福をみいだし、愛と義務に手と手を携えさせる可能性を学び、私のヒロインは、前の版よりもロマンティックではないかもしれないけれどもより賢明な運命に向かいあうのです。
  若い人たちがこの書き直しを受け入れてくださることを、そして、年長のかたがたが、不運な子供をこそ最もいとおしいものとする母親の本能に同情を寄せてくださることを希望して、私は、私の初生児 (first-born) を、私のその後の子供たち (off-spring) を親切に歓迎してくれた公衆に再紹介いたします。
                                L・M・オールコット

    コンコード  1882年1月)

 

    (ひとことだけ、オルコットの文章についてφ(..)メモメモ・・・・・・オルコットは文章作法について助言を求められたときに、多すぎる修飾を避けることやセンテンスを短くすることなど挙げていたと思うのですが、この4つの段落は6つのセンテンスからなっていて(二つのパラグラフは一つのセンテンスということです)、息が長いですね。もっともセミコロンの使用でセンテンスとしてまとめているところが三箇所あって、つまるところ論理を重視して文を構築している感じが強く、息が長いといっても語りのスタイルというのとは違うと思います。)

  さて、我ながらわかりにくいと思ったのは「妹たち sisters」 のくだりです。ここで妹たちというのは、作家オルコットの最初に生み出した長篇小説(=初生児 first-born)『気まぐれ』(1864)を長姉としてそののちに世に出た、たとえば有名な『若草物語 Little Women』(1868)やその連作のことです。最初「姉妹たち」と訳したのですが、みんな年下だから「妹たち」かなーと。それにしても、理由は年下をいうためであったかもしれませんが、はからずも作品のジェンダーがあらわれてしまっているのがおもしろいと思います。オルコットにとって本(作品)は女子だったのね。(もっとも「姉妹作」とか日本語でも言うし、そのへんは別種の「コンヴェンション(常套)」があるのかもしれませんが。)

  で、解答が得られない年代問題ですけれど、ほんとうは20年前のことを30年前といい、それが自らの少女時代の18歳とシンクロするという虚構を、意識的にかなかば思い違いでかオルコットはこしらえてしまったのでしょうか(わかりません)。

  と、補足はそれくらいにして、前の記事でほんとうは書きたかったことを少し書いておきます。ひとつは、作品を「わが子」ととらえることは、男もあるかもしらんけれど、女に多くみられ、男の場合は、なかばテレカテライからかもしれませんが、スカトロジカルな比喩が多いんじゃなかろうか(嘘かもしれず検証必要・・・・・・むろん序文やあとがきでウンコと書く作家はおらんでしょうけれど(爆))。もうひとつは、『あしながおじさん』でジュディーが作品の「不滅性」 "immortality" になんとなく触れることについて、「芸術は長く人生は短い」というギリシア以来の常套的観念から、文字を刻むこととか手紙を書くこととか、ふと思い出したことを書きとめようと思ったのでしたが、これはまとまっていません。

  いったい、省みると、こういう想念をこのごろ寝ながら考えているふしがあるのですけれど、先週あけがたに思い浮かんだのはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』でした。シェリーが序文で作品を子供と呼んでいた記憶が残っていたのです。で、さっき六畳のトイレに埋もれていた翻訳を掘り出すとともに、英語の原文も確認しましたので、オルコットとどう比較対照できるか頭を悩ませることはしないで、そのまま排出しておきたいと思います。1818年の初版の序文は旦那のパーシー・ビッシュ・シェリーが書いたようですが、夫が1822年に水死したのちの1831年版でみずからが書いた「まえがき」です。――

Frankenstein (1831) Introduction.JPG
Mary Shelley, Introduction, Frankenstein, 2vols. (1831) <http://www.archive.org/texts/flipbook/flippy.php?id=ghostseer01schiuoft>

    ちょっと前から、創元推理文庫の森下弓子訳を引用します――

  初めはほんの数ページ――短い話のつもりだった。それをシェリーが、着想を展開させてもっと長いものにしたらよいと強くすすめた。ひとつの事件も、ほとんどひとつながりの感情も夫の提案に負うことはなかったと断言できるが、それでもやはり夫の激励なくしては、物語がこのようなかたちをとって世に出ることはなかったであろう。右の宣言〔1816年のスイスでのバイロンやポリドリら一団の怪談づくりのコンテストにおいて、話を考えついたという宣言〕から序文だけは除外しなくてはならない。記憶にあるかぎり、序文はそっくり夫の手になるものである。
  そして今ふたたび、幸運を祈りつつわたしは醜いわが子 (my hideous progeny) を世におくりだす。この子供にわたしは愛着を持っている。幸福だった日々が生みだしたもの (offspring)だから。あのころ、死や悲しみはわたしの心に真実のこだまを持たないただの言葉にすぎなかった。いくつかのページには、わたしがひとりぼっちでなかったころの、散歩や馬車の旅や会話の数々が語られている。伴侶であったあの人に、二度とこの世で会うことはない。でもそれはわたしのひとりごと。こうした連想に読者のみなさんは何のかかわりもないのだから。
  おこなった改訂についてひとことだけつけ加えておきたいと思う。おもに文体上のそれである。物語の一部を変えたり、新しい着想や状況をとり入れるといったことはしていない。言葉があまりに単調で語りの興をそぐようなところはあらためたが、そういう改変はほとんどすべてが第一巻の初めに集中している。全体を通じてそれらはみな、物語のほんの添えものにすぎない部分にかぎられ、核となり本質となるものには手を触れていない。
                                    M・W・S
                 一八三一年十月十五日 ロンドンにて 〔創元推理文庫, 1984, 12-13〕

   たしか、書き直しはもそっと大幅なものであったと記憶しておりんす。

  作家というのはいろいろとつくりごとをするものなのでしょう。か。

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 Frankenstein (1831).JPG
Mary Shelley, Frankenstein (1831), frontispiece

 


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りす姉さん

トイレ6畳もあるんですか(@_@)広いですね!
by りす姉さん (2009-12-07 02:55) 

morichanの父

りす姉さん―そ、そこかいw ま、自分で設計したもので。1×6の縦長(横長)です。
by morichanの父 (2009-12-07 07:52) 

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